妻
書いてある内容をちらっと
子どもの季節疲れ
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の子どもに限らず、幼いうちは季節の変わり目や温度変化が続くと、疲労が蓄積しやすい。うちの子どもたちも例にもれず、夏と冬の頭や終わりには、疲労が蓄積して表に出してくることがある。それが今までは再起不能になるまで突き進み、またその失敗を引きずっては、子どもたちが不安定になることの繰り返しだった。
特に多かったパターンは、ちょっとした疲れからマイナスなことに敏感になったり、極端に悪い方に考えたりすることが重なると、【失敗や悪い態度をとらない】様に意識しすぎて疲労に拍車をかけていくことである。
これが始まると手をつけられず、取れる手段としてはとにかく一人休ませることだが、体調に敏感な彼らは表向きな症状などが出ないうちからそれを感じ取り、困惑し、突如よそよそしさやパニックを爆発させていた。
これが始まると手をつけられず、取れる手段としてはとにかく一人休ませることだが、体調に敏感な彼らは表向きな症状などが出ないうちからそれを感じ取り、困惑し、突如よそよそしさやパニックを爆発させていた。
しかし、今は違う。
疲れてきてグッタリしたり、余裕のない表情になったりはするが、そこから急降下にはいたらなくなっている。その理由として、ある程度体調の変化を言葉にできる認知力がついてきたことと、何より【家族はいるだけでいい。何もしなくていい】というキーワードが効力を発揮していた。
彼らが頑張る必要がなくなったのだ。
特に【家族はいるだけでいい。何もしなくていい】は、一時集中的に“硬い様子”が見られる度に伝えたり、帰宅する度に妻が抱きしめながら『お家は楽な所。何かしなくちゃいけないことはないよ』と儀式を続けていてくれたことが大きい。
これによって疲れから自縛していく事が激減、また、もし硬直したとしても『家族はいるだけでいい・お家は楽な所・何もしなくていい』の3つの言葉を使うことで、ほとんどの場合はリラックスを取り戻せる。これは大きな進歩だった。
そこまでしてもダメな場合は、本格的に疲れているということなので、すぐさま寝室へ行かせるという段階的な線引が出来た。
これによって疲れから自縛していく事が激減、また、もし硬直したとしても『家族はいるだけでいい・お家は楽な所・何もしなくていい』の3つの言葉を使うことで、ほとんどの場合はリラックスを取り戻せる。これは大きな進歩だった。
そこまでしてもダメな場合は、本格的に疲れているということなので、すぐさま寝室へ行かせるという段階的な線引が出来た。
そして、子どもたちが安定するということは、生活の急激な変化が収まり、妻の小パニックなども大部分解消できる。わが家なりのマニュアルに沿って行けば良いと安心した彼女は、だんだんと問題の起こらない期間を増やし続けていった。
しかし、これは問題の波を抑えられただけであって、妻自身の【すぐにパニックを起こしてしまう】という特性への、根本的な対処方法の確立には至っていないという事でもある。
むき身の自己評価
子どもたちも安定してきたとは言え、疲労が蓄積しやすいことには変わりはなく、こちらからの声がけや気づいてやろうとする姿勢が必要なことは同じである。かつては妻がこういった様子の変化に気が付けない理由が分からず、ストレートに指摘し彼女を混乱させてしまった。そしてそれが“混乱している”とも分からず、途方に暮れていたのだ。
妻がASDであると理解してからは、お互いに出来る事出来ないことを見極め、【出来る事は協力し、出来ないことは任せる】という支えあうスタンスを確立しようとしてきた。
……しかしそんなある日、突然、妻はまた混乱をきたしてしまった。
表情は硬く、話している時もこちらの目ばかりを見て黙りこみ、不安そうに手をもじもじさせたり、しきりに口元に手を当てる仕草が増え始める。どうみてもパニック状態である。ただ、もう私も昨年末からの、ジェットコースターの様なおびただしい変化の波をほぼデータ化しつつあった。
今、妻が硬直している原因は、子どもたちの変化に気がつけなかったことである。食事の準備をしている時、やや次男と娘に硬直が見られたために、『子どもたちの様子が……』と話した時から、彼女の様子が徐々に変わっていったことが分かった。
子どもたちが寝た後、私はいつもの様に紙とペンを用意して、彼女に切り出した。
私『ちょっと元気が無いように見えるんだけど、今、何か考えちゃってない?』
妻『……えっ、うん……えっと』
テーブルの上で指を組んで、落ち着きなく拳を揉み出した。どうやら正解だったようだ。そしておそらく今、彼女はその時に考えていたことを【うまく話そう】として、散々ループしていた問題の答えを出そうとしている。
私『……あー、今、答えまでまるっと聞こうと思っているんじゃないんだ。何が原因で君が困っているのかを突き止めようとしているんだよ。安心して欲しい』
妻『……わかった』
私『多分君は今、子どもたちの様子に気がつけなかった事と、そこで有効な発言が出来なかったことを自分で責めたりしているんじゃないのかなぁって』
妻『……! うん。どうして私、こういうことが出来ないんだろうって思って、そしたら情けなくなってつらい気持ちになってきちゃって……』
ややパニックの時の彼女には、なるべく分かりやすく短い言葉で、目の前で紙に書きながら話をすると伝わりやすいことがある。私は今聞いた妻の気持ちを、2行程度にまとめて大きく丸で囲った。
私『……うん。よく分かった。でもね、子どもたちの様子や表情の変化に気づいていくことと、有効な発言を生み出すことは、君にとって苦手なことだし、まずその二つに関しては【子どもたちの様子に気がつくこと】っていう第一関門を超えなきゃいけないよね。今同時に二つのことで自分を責めているけど、問題はまず最初の一歩のそこに失敗しているだけってことが抜けてないかな?』
妻『……うん。そうだね。だからどっちも考えられなかったんだと思う』
私『それに忘れているようだけど、それは俺の仕事だよ。得意な方がやればいいって決めたじゃん?』
妻『そうなんだけど……、申し訳なくって……』
目には涙が溢れていた。パニック時に自分を責めようとしている時に、彼女が涙を流す事も知っているし、そういった時は地力で抜けられない所にいることも分かっている。問題はなぜ彼女はまたここにハマりこんだのかということだ。
私『もしかして君は、【子どもたちの様子に気がつくこと】をミスった自分を、自分の人間性から責めてやしないか?』
妻『……?』
私『娘や長男もそうだったから、なんとなくそうなのかなって思ってはいたんだけど、それはいきなり自己評価を傷つけるような両極的な発想だよ』
私は紙に一本の線を書き、その両端に【良い】【悪い】とそれぞれ書き、真ん中に【ふつう】と書いた。娘に【両極思考】を説明した方法と全く同じである。【ふつう】から数ミリ【悪い】よりの部分に点を打ち、そこに【気がつけなかったミス】と書き込んだ。
私『君のミスはだいたいこの程度の問題だ。だけど君は自分を責めている。これは極端過ぎるんじゃないだろうか?』
妻『あっ、うん、そうかも知れない!』
私『実際に起こった問題に対してどうすればいいかを考えれば済むことだし、分からなければ相談すればいいことなのに、“できなかった自分”を責めれば余計に冷静な判断は出来なくなって身動きが取れなくなるよ。まして、俺は君の出来る事出来ないことを完全には理解しきれていないから、毎度なぜ苦しんでいるのかを推理しながら話をしていくのは難しいんだ』
妻『……ごめん』
私『あ、いや、ごめん。責めてるんじゃないんだ。君は“出来る・出来ない”をいきなり自己評価に結びつけて無いかってこと』
妻『自己……評価?』
私『うん。例えば人に相談すれば起きなかったミスが起きたとして、多分君はやっぱり“相談するって発想がわかなかった自分”を責めてると思うんだよ。でも、多数派の人たちは違う。“相談する選択をミスった”ことを悔やむだけ。自分の能力や人間性に結びつけては考えないよ』
(※関連記事⇒気持ち・体調・相談を口に出せない理由│ASD当事者の自己評価ライン)
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妻『そ、そうなの!? えっ、みんなそうなの?』
妻が身を乗り出す。顔にはもう困惑の色がなく、某恐妻家刑事物の推理映画でトリックを解いた瞬間の様な、声のない【ああ!】という表情だった。
私『そう、だからもしかしたら君は“相談”することでも、“断られたらどうしよう”とか、“怒られるかも”とか自己評価に傷がつくのが怖く感じているんじゃないかな? それはいきなり極端なところから考えてるから、普段からも相当に孤独な闘いを強いられてることにならない? 自己評価が最初から剥き出しなんだよね』
妻が恐ろしい速さで紙にメモを取り始めた。どうやら本当にトリックが解けたらしい。私は心地よいペンの音を聞きながら、エビス顔でお風呂に向かって歩き出した。
パートナーの在り方
娘と同じく、やはり妻もすぐには【自己評価と両極思考】の対策は実にならないだろう。でも回数をこなしていけば、必ずいつか“え、当然でしょ? 何言ってるの?”と言わんばかりの、ケロッとした顔でここも越えてくることだろう。
ただ、それには身の回りでその問題が起こっているだけでは意味が無い。
それを認識できるものが、出来る限りそばで言葉にして認識させていくことが必要だ。認識されなければ経験として残らないし、言葉にして【見える化】していかなければ、彼女の足場を組んでいることにならないからだ。
それを認識できるものが、出来る限りそばで言葉にして認識させていくことが必要だ。認識されなければ経験として残らないし、言葉にして【見える化】していかなければ、彼女の足場を組んでいることにならないからだ。
私が今、パートナーとして妻にしてやれることは、出来ない・苦手なことを“やらせる事”ではないし、そこから隔絶することでもない。出来る限りライブで今起きていることを、彼女の心の状態も含めて淡々と明解な言葉で教え、やがて彼女が自然に【言葉と現実が重なりあう瞬間】を向かえるまで繰り返すことだ。
ここまで来て、ようやく私は妻のパートナーであることの、基本原則に頭が向かうようになれたのかもしれない。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~お酌の尺度~
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