妻
イベントの密集
夏も終わり、秋が近づくこの時期、わが家は毎年頭を悩ませていることがあった。それは小学校と保育所と地域のイベントが重なりに重なり、毎週の様に何かしら参加することが出てきて、且つ平日も遠足など子どもたちの行事が密集する事である。
単純に自分の意志とは違う、こなすべき行事でカレンダーが埋められていけばゲッソリとするものだが、わが家の場合は一般家庭に比べて、さらに一行程二行程の準備が必要になるのだ。まず一番気をつけなければならないのは、イベントに参加する子どもたちのコンディション調整。何かしらの練習が始まったり、遠足や運動会、お祭りなどに参加する行事日程を聞けば、否応なく興奮は高まり通常の生活もどこか浮足立つ。
……これだけで済めばいいのだが、問題は当日までに気疲れして燃え尽きてしまうこと。また、抱えなくていいレベルまでイベントを抱え込み、圧潰してしまう。
長男は一昨年くらいまで、娘は去年末まで毎年このイベント熱にやられ、いつもできていた事ができなくなったり、情緒が不安定になり潰れるなどの被害は当たり前のように起こっていた。それから参加する意図を教えたり、彼ら自身の立つべき立場の説明をするなどして、少しずつ耐性が出来て来たものの、まだ完全に手放しでは安心しきれない所もある。
そして、もうひとつの大きな問題───。
私『……大丈夫? 表情に余裕が無いけど、今何を困ってるの?』
妻『……ん? ああ、ごめん。なんだろうね、疲れちゃったのかなぁ。何かがって事ではないと思うけど……うーん』
妻の容量オーバーである。
何かが大きな問題となって沈み込んだりするのではなく、未解決の案件が目先に積み重なっていると、それらを取捨選択してフォーカスを当てられず、知らず知らずのうちに思考力が失われていってしまう。
何かが大きな問題となって沈み込んだりするのではなく、未解決の案件が目先に積み重なっていると、それらを取捨選択してフォーカスを当てられず、知らず知らずのうちに思考力が失われていってしまう。
今、ここでふつうに会話ができているだけ、今年の余裕は桁違いに大きいが、それでも隣でパートナーが眉間に力が入ったような、余裕のない表情で口数少なく佇んでいられるのはこちらまで息苦しくなってしまう。
それでもここまで余裕を保てる様になったのは、重ねてふるいに掛けながら、残ってきたいくつかの対策が効果を発揮している。
それでもここまで余裕を保てる様になったのは、重ねてふるいに掛けながら、残ってきたいくつかの対策が効果を発揮している。
【気になった事から何から何でもメモする小さいノート】
【カレンダーとは別に、ホワイトボードで子ども達にも一週間のスケジュール提示】
【毎日3回の『ほう・れん・そう』タイム】
【疲れを感じたらそれを公表し、なぜなのかハッキリさせる】
【スケジュールから“助けて欲しい事”を予め確認し、協力事項を確定しておく】
要は思考する際に入り込んでくる、余計な不安や考え事を目に見える形にして認識し、メモリが奪われるのを防ぐというもの。特に助けて欲しいことを決めて、最初に協力を決めておくのは、彼女にとっては大きな安心につながっているようだ。
ただ、それでもこの時期のイベントの密集状況は痛い。
徐々に妻の余裕は奪われていき、子どもたちの変化に気がつけるだけの注意力が失われてしまう。ある程度の事は私が妻に指示を出したり、直接動けば済む事ではあるが、基本型が“認識不可状態”で来られると、どうしてもタイミングを逃したり、私が口を出す事が増えすぎてしまうなどのバランス崩壊を招いてしまう。
楽しいはずの行楽シーズンが、イベントに余裕を割かれてカツカツになるという、わが家独特の苦悩である。これが二ヶ月ほど続き、気がつけば自前で行楽を堪能する余裕を保てない時期になる。
意思の統一
妻が余裕を失い始めるのは、一度その習性を知ってから非常に分かりやすくなっている。まずは余裕のない表情。眉間に力が入った様な緊張が見られ、何かを考えているような素振りにも見えるが、本人にはその意識がない。そして口数が少しだけ減り、激しくはないがどこかツンケンした様な返答やリアクションが多くなる。これはふざけたやりとりなどでも、傾倒していくのが見られ、やがて反応すら鈍くなっていく。
去年までに比べれば、雲泥の差ではあるが、やはりそれでも彼女が余裕をなくしてきているのは確かだ。これは今までの方法だけでは弾き切れない、何らかの不安要素があるということだろう。
彼女にはなるべく手ぶらでいてもらい、できれば自分の将来に向けて思案するための余裕確保を出来るくらい、実感のある状態でいてもらえる事が理想だ。
彼女にはなるべく手ぶらでいてもらい、できれば自分の将来に向けて思案するための余裕確保を出来るくらい、実感のある状態でいてもらえる事が理想だ。
さてどうしたものかとそんな事を考えながら、カレンダーと彼女のメモ書きを見ていて、一つの事に気がついた。
私『あのさ、ちょっと100円ショップ行きたいんだけど』
妻『うん、いいよ。私もちょっと必要な物があったんだ。……何か必要なの?』
私『なるべくシンプルで、日付ごとカレンダーに直接書き込めるタイプのスケジュール帳を2冊』
妻『?』
私『俺用と君用に買って、向こう二ヶ月分のスケジュール打ち合わせを、そのまま書いてお互いに持っておくの』
妻『メモ帳ならあるけど?』
私『メモ帳じゃだめなんだよ。まあ、いいから買いに行こう』
腑に落ちないといった表情の妻と近くの100円ショップに行き、なるべく小さくてカレンダーに書き込めるタイプのスケジュール帳を調達。何かある度に100円ショップのお世話になっているような気がするが、これだけ手軽な物で認知を変えられるという一つの象徴だと自分に言い聞かせる。
私『……では、今月のスケジュール打ち合わせを始めたいと思います。まずは全てのイベントを書き込みましょう』
妻がリストアップした参加するべきイベントと、その日程に合わせて二人同時に各々のスケジュール帳に書き込んだ。そして、次の要件を追加していった。
・お弁当の具材など準備が必要な物は、その準備日も確定する
・簡単に終わるイベントには赤いマーキング
・私が中心になって動くべきイベントと、がっちり協力するイベントに緑のマーキング
それを各々のスケジュール帳に施した。
妻『うわ、わかりやす……』
彼女の表情を見れば一目瞭然だった。やることが一発で分かる様にするには、スケジュールの難易度と参加度合いまで分かる必要がある。マーキングで色分けしたのは大きく3つにカテゴリーの難易度を表すためだ。こうすれば軽い日のものまで必要以上に重く感じることがなくなるだろうと考えた。準備日まで決めたのは、『空いた時間でいかなくちゃ……』など、こういった不確定なものを極力排除するため。
そしてなぜ、2冊お互いにスケジュール帳を用意したのかであるが、まずは彼女自身が書いただけでは、私がそのスケジュールの“面倒臭さ”に気が付けない事があるからだ。自分の事の様にスケジュールを書き出せば、彼女が辛くなるであろう箇所に目処が立つ。
そして、一冊はリビングのいつでも手に取れる場所に。もう一冊は仕事場のデスクの上に置いた。カレンダーに同様のスケジュールは書いてあるのだが、どうにもカレンダーを見に行くという行動が一つ入るだけで、どこか認識と日程の把握状況とに間隔が空いてしまう気がしたのだ。いつでも手にとれて、自分の好きな距離で手軽に把握できるには、やはり手に取れる気軽なものである方がいい。
問題の先延ばし
スケジュール把握に対してランク付けと手軽さが追加されたことで、彼女の中で一段と楽になったようだ。嬉しそうに手帳を開いて眺めている。
私『ところで、イベントとは別に子供の事とかで何かしなくちゃって思ってることない?』
妻『……んー、ああ保育所での娘のお昼寝がそろそろ終わる。これからは昼寝がなくなるんだけど、何か考えておいた方がいいかなぁ?』
私『おお、それは大きい問題だ。しばらくは夕方の様子を見ておいた方がいいね。おそらく疲れてくると次男に意地悪したり、自分勝手な行動が増えてくるだろうね。抜け出せなくなる前に気付き次第“今、疲れてない?”とか“疲れてるからって意地悪するのはダメ”とか、どんどん言っていこう』
妻『後は週末どうするかだね』
今まで、前例を作るとそこにこだわりやすい娘に対し、昼寝のするしないをその時々で考えるのは整合性が保てないし、保育所で寝ようとしなくなるなどの問題が出てきたため『保育所でお昼寝があるうちは、家でも絶対昼寝をしてもらいます』と統一してきた。それがとうとうなくなる。
私『今後も昼寝に良い印象を持ってもらうためにも、週末の昼寝はあっさり卒業しといた方がいいだろうね。ただ、少しでも疲労が感じられたら、寝てもらうことはしっかり説明しなくちゃね。できればそういう時に自発的に休むことが選択できるのは“大人”だってイメージ付けに成功できるといいんだけど……。じゃあ、それは保育所のお昼寝がなくなった週の、金曜日の夜にでも俺が説明するよ』
妻『わかった。ありがとう。じゃあ週末昼寝がなくなったら何させてればいいかなぁ』
私『ただ遊んでいいってだけだと、あの子は今後昼寝することに変な反発を持ちそうだね。……長男はいつもこの時間に宿題やってたりするし、昼寝の大事さを印象づけておくためにも“お兄ちゃんは今まで君たちが寝ている間に勉強してたんだよ”って論点で、知育ドリルをやる時間に決めたらどうだろう?』
その時、妻が膝を叩く勢いで目を見開くリアクションをとった。
妻『その手があったか!』
最近、療育の一環で様々な言語のテストを受けているが、その中で娘の問題として【言葉や問題文を理解しているが、いざ解こうとすると“どう解くのか”で迷って手を引く】という点がでてきたのだ。妻はその中で彼女に【様々な出題に対して問題慣れしておいた方がいい】と判断していた。そのために知育と小学校の準備などの問題が様々に散りばめられたドリルも購入していた。しかし、やらせる時間が見えてこない事と、急ぎではない事から着手できずにいたようだ。
妻『いやー、どの時間で知育の時間を設けようか悩んでたんだよね……、あれ?』
私『どうしたの?』
妻『……私、これが気になってたのかもしれない』
どうやら彼女の中で、実はこの【いつ知育をやらせるか】がボンヤリとした問題として、思考メモリの一部を占領していたかも知れないということだった。
妻『あー、こういう所が私の課題なんだよね。この事がメモリ奪ってたのに、これが問題なんだって自分で自覚できてなかったんだよ。こうやって話すと“問題だった”って分かるんだけどね……』
この言葉を聞いた瞬間、私の中でひとつの謎が解けた気がした。その謎とは彼女に感じていた【問題を先送りしてしまう癖】を、無自覚に引き起こしてしまう原因である。
私『多分ね、多分君はこういう問題に対して、最初に考える時に“こういうことも考えていった方がいいんだろうな”とか“どうしようかなぁ”って考えていると思うんだよ』
妻『うん』
私『でね、そこで終わっちゃってるんじゃないかな。それだと“その問題を知った”所で止まってるんだよ。俺の場合はそういう問題が出てきた時、“じゃあ、何時だったら時間調達できるかな”とか、“今度の休みにでもまとめて決めちゃおう”とかの目処を立てる所までを考えてる』
妻『ああ、そうだね。“どうしようかなぁ”で止まっちゃってる気がする。いや、いつもそうだなぁ』
私『怠ける気持ちとか、面倒臭がってるんじゃなくて、目処を立てるのに必要な所まで線引しておかないから、実際は手付かずの問題がずっとそこに宙ぶらりんで“なんとかしなくちゃなぁ”にスゲ変わっていってるんじゃない? だから余計に問題が大きく感じられるようになる。触れてないのに触れ続けている感じになるからね。それは手の付け所が段々なくなるよね』
妻『! そうか! だから横で夫に楽々解決された時に“こんなに簡単な事でどうしてウジウジしてたんだろう”とか黒い気持ちになってたのか!』
私『黒い……(笑) まあ、これで証明されたんじゃない? 今まで“問題を先送りにする癖がある”って問題があったけど、君が怠け者だとか解決能力がなかったって事ではないって事が。目処を立てるまでの思考に、必要なアプローチが足りてなかっただけだったんだよ』
そう、彼女が問題を先延ばししたり、手を出してしまえばいいのに着手しない事がある時、なぜだか面倒臭いなどの悪い気持ちや、打算的な考えは感じられず、ジッと足が動かない自分を疑問視している様な淡い自責を感じていたのだ。
こういう訓練を伴わない、視点の変化が必要なだけの場合は、彼女の場合納得がいった瞬間から概念として浸透する傾向がある。一応具体的な方法として、今までの【なんでもノート】に【どうしようかなノート】という概念もプラスし、なるべくそれを書き、書いたら相談する習慣を提案したが、おそらくその必要もなく彼女は把握していくだろう。
出来ないのではなく、アプローチやアウトプットにズレがある。
ズレが原因で未処理となり、メモリを奪われたり苦手意識として処理されてしまう事が彼女には見られるが、その典型的な例として今回の発見には大きな意味がある様に思える。こうして彼女のスケジュール過密に対する対策は、また一段と進むこととなった。そして、そんなわが家に待ち受けているのは、毎年最も私たち親の心を挫けさせてきた娘の運動会である。その日程が目前まで迫ってきていた。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~決めて掛かる優しさ~
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