妻
書いてある内容をちらっと
本音と建前
家族が帰宅した翌朝、洗面所へ向かおうと階下へ降りると、子供部屋からリビングに向かおうとする娘と鉢合わせた。
娘『オハヨウ』
私『おはよ……』
私のあいさつを聞くまでもなく、娘は顔を蝋人形の如く硬直させ、口元を歪ませて笑顔を作る。そして“ふつう”を装う時や、“ふつうにすること”を全ての動作に強制的に意識する時の、彼女独特な歩き方でリビングのドアに向かった。
バランスが傾き、左右の足の動きがチグハグ。手指の先にまで何らかの“そこにあるコツ”を探るような、普段無意識に身体が行ってくれる全ての動作を、頭で再分解していちいち点検しながら活動するようなぎごちなさ。
【そこにいること・立ち振る舞いを気にする】
今、娘は確実にここから入る生活へのスイッチを、非常に薄い自覚のままに入れた───。
娘が開けたドアの向こうに、その姉の様子を不思議そうに目で追う次男の姿があった。そして、その返す目は私をとらえ、すぐに“見なかった”とするように顔ごと反らすと、ドアの向こうの死角に去っていった。
去年末、冬が訪れてから何度目かの、ふたり同時完全硬直の始まりである。
それはこちらが何するでもなく、表情のひとつも失敗する隙も暇もなく、ただ唐突に理不尽に始まった。先ほどまで何となくでも感じられた、子どもがいる家特有のにぎわいの気配が、ドアの向こうからプツンと消えてしまったのだ。
これらがもし、私が怖がられているとか、なつかないなどの単純に把握できる理由であれば、まだ整理の付きようもあるのかもしれない。こちらが気にしないという方法が成立するからだ。
しかし、娘の場合は違う。ただの過剰な意識である。それは何らかのきっかけから、ふと感じた不安を処理しきれないままに、その出来事とは関係のない依存相手に向けるだけ向け、原因もきっかけも忘れた後も自ら引くことが出来ない一方通行な意識。
だからこそ、こちらが気にしないようにしようものなら、わざわざ後を追いかけてきてまで、その姿を見せようとすらして来る事がある。
解ってるよ。どうせもう何がきっかけなんだかも忘れているんだろう。何が原因だってどうだったって構わないんだ。“こうするものだ”と決め付けるように、そのやり方をなぞって流してるだけ。
例え今、根本的な問題をクリアしても、ここまで来られたら、とことんまで怒鳴られでもしない限り、“やめられない”と思ってる。そして、それは本当は自分でも分かっていることも知ってる。でも、いつやるかは絶対に決めないし動き出さない、ただの先延ばしだ。
例え今、根本的な問題をクリアしても、ここまで来られたら、とことんまで怒鳴られでもしない限り、“やめられない”と思ってる。そして、それは本当は自分でも分かっていることも知ってる。でも、いつやるかは絶対に決めないし動き出さない、ただの先延ばしだ。
親である俺がそうすれば、いつもみたいに止めるんだろう? でも、そのやり方でないと終わらない事に、本当に一番苦しんでいるのは誰なのか分かっているのか?
お互いに分かっているのに、それを無理にでも感情的で野蛮な方法で処理させられる側の苦しみが、理解ができるようになるのは何十年先になるというんだ?
解ってるよ。解ってる。まだ6歳なのだからわからないことも、その幼い我が子にこうして翻弄されている私が情けない大人であることも認識しているさ。だからといって、放っておいたって、それを自然と理解していくなんて保証はないし、そうされることを許さないのは君自身だろう!
綺麗事では片付けられない、この有耶無耶にこんがらがった、中途半端な歪みへの憤り。どこに向けようも当てようもない、痛烈な本音が建前の隙間からこぼれ出てくる。こんなにも問題は見えていて、打てる手立ても分かっていながら、“年齢的にギリギリ理解は難しいかもしれない”という目処のつけにくい曖昧な基準で、否応なく立ち止まるというジレンマが立ちはだかるのだ。
コンディションによっては、自然と理解していられている時もあるというのに。
……それをグッと飲み込む。胸の少し下にひりつくような無理を感じながら、これ以上のこじれと無意味な流れを増やさないためにも、最大限の効果があるその瞬間にまで。
妻、再起動
娘は段階を踏まなかった。一気に【そこにいること・立ち振る舞いを気にする】を最大化させ、親がいる限り“何か”を考え続け、また自由に過ごすという立ち振舞自体を難問のように扱い出す。
親がいる間は常に考え硬直し、次に何かするべき指示をもらえない限り、ただただフリーズをし続ける。その外面的な反応や様相は、まるで暴力的な親に対して怯えているようにしか見えない。
娘本人によって、なるべくして流れを創りだしたフルパニックが、もうハッキリと始まっていた。そして、次男はその隣で姉の変貌に戸惑い、父と姉の関係や間の空気を分析しようと、その情景に心とらわれる。
─── この状況に、私はただ打ちひしがれていた。
自身の体力を取り戻し、また仕切りなおすためにとった里帰りの決断が、完全に裏目に出ていることはもちろん。“そうではない”と分かっていても、今までの自分の積み上げてきた娘との足跡が、あたかも全てが無意味であったかのように、ゼロの状態に戻されてしまったという錯覚に陥る。
一度は完全に家庭崩壊しかけた、娘が5歳の頃そのままの状況へと、なんの脈略もなく一気に戻ってしまったのだから。
こういう時の娘は、反動をつけるように親のいない部屋では大胆な行動に出たり、次男に対して尊大な態度に出て自尊心を取り戻そうとする。強気で大きな声。対して親の前では小さく最低限の返事しかしない。
ギャップに満ちた娘の声が階下から響く度、みぞおちの辺りに物質感すら感じられる程の、重苦しいモヤモヤが渦巻く。
今、私に打てる手はない。また数週間の時間を掛けて安定し始めた頃合いを待って、少しずつ分かるように言葉を探しながら説明していかなければならない。しかも、少しでも地雷を踏めば、一気に硬直へとワープするように戻ってしまうのだ。これは時間も体力も激しく消耗する。
そうやって膨大な作業と労力、消耗を思い浮かべて絶望しかける私の隣で、妻は突如再起動を掛けた。
妻『さっきまではごめん。娘の事で相談させて』
家族の中にまだ、“一歩進む”事を行動できる者がいた。ただそれだけの安心感が、視界の色彩まで増やすかのように、生きた心地を取り戻させた。
踏み込む意識
仕事部屋のチェアーに腰掛け、いつでも視覚的に会話できるよう、紙とペンを用意し妻との話し合いが始まった。
妻『まず、パニクっててごめん。出かけた先であの娘に注意したり、一線引いて教えようとした時に、やっぱり“子どものやることだから”って言われたりすることがあってね。それは社交辞令として言ってくれているのが分かるんだけど、それを好機に前例を作ろうとされたりして、色々戸惑ったんだ。
そこでパニックになるとかは起きなかったんだけど、家に帰ってきたと思ったら、一気に安心して気が抜けちゃって感覚が鈍くなってたと思う』
妻の自己分析は完璧に近かったのではないだろうか。帰宅したばかりのあの時は、私自身話し合うことを諦めたので伝えていないが、私の予想とほぼ一致する内容でもあった。
妻『その上で今までの家で積み上げてきた、“こういう時に気をつける”とかの流れがぶっ飛んじゃって、取り戻せないうちに娘が明らかにおかしくなってくのを見てショックをうけちゃって……』
私『……俺の方も疲れているとか、パニックに陥っていると分かっていながら、冷たい言い方をしてごめん。でも、ちょっと打ちひしがれちゃったよ。一気に噴出されれば流石にね』
妻『……ごめん』
ふと妻の申し訳無さそうな表情を見た時、急にある事が掴めたようなひらめきが来た。
私『ねえ、本当に悪いのは誰だと思ってる?』
妻『……え? ……娘……だよね』
私『うん、そうだよ。でもさ、君は彼女に対して、直接怒りや焦りとかを感じてる?』
妻『え……あ、薄いかもしれない』
私『確かに問題の中心的人物は俺と娘の距離感だろうね。これが一番目立っていて、大きくなり過ぎたから、君にまで娘の距離感の問題が波及してきてるのは間違いないよね。娘と君との問題の部分は直接的ではないんだけど……、結局あの娘が問題を起こしていることで、うちは良い状況になっているのかい?』
ハッと目を見開き、妻は小さなノートに手早く何かをメモし始めた。そして書き終わると同時にふっと肩の力を抜きながら苦笑し、私の目を真っ直ぐに見て口を開いた。
妻『状況は……よくないよね。あの娘の行動で夫とあの娘が問題になって、次男にも影響は出ているし、夫も倒れるほどストレスを溜めてる。私はそういう状況に右往左往したりして、すぐに“分からない”って立ち止まっちゃってるし。そうなってて被害を被ってるのは私も同じだよね。
……私も怒っていい立場だったんだ』
私『うん。これが昔でいう肝っ玉母さんとか、切った張ったで子供に対応するお母さんだったら、娘が家族に対して“居かた”を考えようとモヤモヤしだした途端に、首根っこ掴んでどやしたりしてたかも知れないね。
それが正しいことかは分からないけど、タイミングや叱るべきポイントを的確に掴めているんじゃないかな。その原動力は“母親(自分)の感情”だよね』
それが正しいことかは分からないけど、タイミングや叱るべきポイントを的確に掴めているんじゃないかな。その原動力は“母親(自分)の感情”だよね』
仕事部屋にペンの走る音が響く。これだけ長いのは、一言一句間違わないようにメモしているなどではない。今、妻は過去の自分の行動を思い返し、それを一行にまとめて並べていき、視覚的に定時しておくことで思い浮かべる労力をカットしながら、総当り的に【実際どうだったか】を回想している。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性として、妻の場合はワーキングメモリが別のことに支配されやすい。今、彼女はそう言った無駄を省いた処理を、メモ帳を使うことで焦点を合わせて処理するテクニックを展開している。
テンポのいい乾いた音が流れ、そして考えを引き絞りまとめる彼女の思考と連動するように、ペンの走りは強弱をつけ、筆圧も上がり切った後、それは静かにテーブルに置かれた。
妻『私は……自分の気持ちを気づけていなかったんだね。実際は嫌な気持ちや焦りを持っていながら、出来事が夫と娘の事だから、私は一歩引く立ち位置でいることをいつの間にか決め込んでたんだ。……そうか、だから私はいつも迷っていたんだ』
私『立場として引いてしまっているから、現場との距離も遠い。自分の感情で動いていれば早くて分かりやすかったのが、“こういう場合は”って一般論に照らし合わせてたのかもしれないよね。
だからルールが決まった事とか善悪が分かり切っていることには注意したり叱る事が出来ても、違和感を感じる程度の表面的に曖昧な問題の場合は、スルーも出来ずにただただ困惑してたんじゃないかな。君の場合は自分の気持ちに気がつくのが苦手って資質もあるけど、それはもしかしたら、こういう風に立場が遠く設定されてしまっていた可能性もあるかも知れない。
最初に“誰が悪いか”を尋ねた時、君は娘の名を自信なさげに呟いたね? その自信なさげな返答には、こうした踏み込みが浅いからこその困惑もあったんじゃないかな』
過去、妻がよく物を落としたり倒したりしてしまうそそっかしい自分に、内心いちいち自尊心を傷つけていたことがある。その時、【意識が最後まで届いていないのかもね】と意識の踏み込みに対しての指摘が、劇的に状況の改善へとつながった事がある。今回の踏み込みの問題に関しても、それは意識を持つ強さの問題ではないだろうか?
2年前くらいの頃の妻と比べて、今の妻の母親としての子どもとの接し方は、別人といえるほど変化してきている。それは単純に父親母親の役割が持てるようになったという単純なメリット以外に、子どもとの関係性や子ども自身の安定状態も大きく向上させた経緯があるのだ。
しかし、一つのことが進めば、その分新たな課題が見えてくるのは世の常である。今度はどこか妻が子供に対して気迫を持ちきれなかったり、問題を本腰入れて終わらせるなどの実感を持ちきれない様子が見え隠れしていた。
今、上手く行けば、現状打破に繋がるどころか、さらに妻自身の戸惑いを一気に解消することに繋がる可能性が出てきていた。
経験者はかく語りき
妻が強い確信を持って動く足がかりを手に入れた一方で、我が身ながら情けないが、里帰りの数日だけでは、ここまでの消耗を回復しきれてはいなかったようだ。
回復食にようやく漕ぎ着け、寛解かと安心したこのタイミングで、私の症状が一気に悪化し始めた。
みぞおちに感じていたモヤモヤは、胃・膵臓・肝臓あたりの消化器官の異変を、健気にも明確に訴えていてくれたのだろう。私はまたそれに耳を傾けずに、押し切ろうとしてしまったのだ。いや、次々に起こる物事から守り切ってやれなかった。
これ以上のストレス状態や緊張状態を受けたら、自らの消化活動で自らの内臓にダメージを与えることになりかねない。それこそ緊急入院だ。そしてこれは大げさでもなんでもなく、今の私の身体であれば何時起きてもおかしくはない。
私は妻にそれを打ち明け、今後の対応についてしっかり話しあうことにした。
とりあえず私は再発のためしばらくの絶対安静と絶食。長男はまだ冬休みだが、全く問題もなく却って特別なことをすれば不安を与えてしまうかもしれないので、何事もなかったように今まで通り。次男は保育所がスタートしているので、子供たち同志発散させることで安定を保つよう、様子見しながらの通常運転。娘は自室にてこの旅でのブレや、失いきった心の余裕を取り戻すために、保育所も休ませて安静を保つ。
今の娘では安定するための余裕すら残されていない。いや、正しくはその余裕を今現在も、彼女の決めたやり方によって消耗し続けていると考えた方が賢明だろう。
さて、ここまでが【この手記は今、病床に伏せる私の手によってまとめられている】と書きだした、67話冒頭の部分の再発の流れである。そうして、表面上平静な生活が数日経ったある日、ふとリビングに顔を出した私に、完っ全にリラックスし切った長男が寝転がりながら漫画を読みつつ声をかけてきた。
長男『お父さん、ぐあいはだいじょうぶ?』
私『ん? ああ、もうほとんど大丈夫だよ。ありがとう。でも、お前には悪かったなぁ、どこにも連れてってやれないから、退屈だったろう?』
長男『へ? ぼくはおばあちゃんの家にも行けたし、たいくつもなんか楽しいって、さいきんわかってきたよ(笑)』
私『おおっ! すげぇな! 退屈も楽しめるようになったら、そりゃあもう大人だよ』
合わせてる様子もなければ、背伸びをしている様子もない。昨年秋に超えた人間関係の大きなハードル【人は人、自分は自分】以降、彼はなんの含みもなくリラックスが出来るようになっている。人を気にしていなければ、何かするべきことを考えずに済む。必要となって超えたことだが、彼には大きな財産となりつつある。
私『とは言え、本当はお父さんだって遊びに行きたかったりするんだけどね。本当のことを言っちゃえばね……ふふふ。まあ、娘がまた始めちゃったし、次男もちょっと娘に釣られて楽にできなくなってきてるから、どっちにしろ好き勝手に遊ぶには難しかったかもね』
長男は読んでた漫画本をこたつの上に置いて、ちょっと思い出すような仕草をした後、ほわっと柔らかい表情で私の方を見た。
長男『次男はまだ、“おとうさん”ばっかりなんだもんね』
その時はそんな会話を簡単に済ませ、特に気にしていなかった。しかし、彼の言葉が少しの間を置いて、私に大きなひらめきをもたらす引鉄となったのである。
例えば誰かに相談事を“ただ聞いてもらっている”だけの時、その人が『大丈夫だよ』と口にしなくても、表情がそういう表情であった場合、なんの解決にも至っていないのに話した側が安心を得られる事がある。
長男の言葉にはこうした、【安心の材料】が表情や口調に含まれていたのももちろんあるだろう。
それとは別に、私が彼から大きなヒントを得られたのは、あの言葉の冒頭、『次男はまだ』の部分である。これは距離感を超えた、その経験者である彼の言葉だから、妙な説得力があったのだろうか?
『まだ』とは、一体どこに対して掛かってくる『まだ』なのか。もしかしたら子供独特の、不必要な言い回しや、無用な引用だっただけで、なんの意味もないのかもしれない。ただ、人にとって何らかのひらめきが起きる時と言うのは、その意味合いなどどうでも良くて、そこに着目できる一瞬の寄り道が起爆剤となる事がある。
─── 私は長男の一言をきっかけに、定型でありながら娘と行動がリンクしてしまう次男の本質を、唐突に理解できたのだった。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~人間関係のジレンマ~
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