妻
息子の安定
それまで私を避け、癇癪を起こし、硬直を続けた長男に変化が起きた。
【恐竜のイベント】での一件以来、私からあからさまに逃げることがなくなり、なんと自分から話しかけてくるようになった。
今までの態度や硬直がなんだったのかと馬鹿らしくなるほど、彼は年齢通りの甘え方を私にしてくるようになる。
ただ、それを通り越して常にベッタリ。保育所から帰るとずっと早口でしゃべり続ける。
反動─?
ただ、楽しくし過ぎると目がおかしくなり、情緒が不安定になる。笑っていたと思ったら急に不安そうな顔になっていたり、ささいなことで泣きだしたり。
しかし、逃げられるより、背を向けられるより、青ざめて震えられるよりは百万倍マシだ。
【一定のところで抑えるようにしていれば、もうおかしな家族になることはない。】
……この時はそう思っていた。
ゆるい十戒
以前、私が倒れた時、妻は決意を持って変化を望んだ。しかし、結果は妻の【パンク】に終わってしまい、家庭の終わりを感じさせるほどに停滞してしまった。
この失敗は妻自身の【詰めの甘さ】や、私自身の【考えの短絡さ】が招いたものだ。
『こうすればこうなる』
『こうやれば変わる』
『こうやれば変わる』
こういう一般的な『家庭の知恵』のようなものが、わが家にとって何の意味も持たないことを証明しただけだった。
そしてその理想と現実のギャップに妻は自失し、
私は希望を失いかけた。
私は希望を失いかけた。
私達は『何が問題で足りていなかったのか』を具体的に話し合い、できる限り具体的な対応策を作り上げていった。
【仕事のこと】
・仕事場に大きなホワイトボードの設置
⇒常にお互いの仕事を把握し合い、全体の流れをふたりとも把握する。
⇒常にお互いの仕事を把握し合い、全体の流れをふたりとも把握する。
・仕事始めに予定を必ず告げる
⇒分かりきっていても確認しあうことで認識のズレをなくす。
⇒分かりきっていても確認しあうことで認識のズレをなくす。
・外部との打ち合わせは必ず夫婦同席
⇒仕事への責任感を持つために、客先の人となりを刷り込むため。
⇒仕事への責任感を持つために、客先の人となりを刷り込むため。
・仕事の集中時間と家庭分別の徹底
⇒仕事中には家事や家庭のことは忘れる。
⇒仕事中には家事や家庭のことは忘れる。
【家庭のこと】
・休日の予定は前日までに予定を立てる
⇒当日でのゴタゴタはパニックしか生まない
⇒当日でのゴタゴタはパニックしか生まない
・母親が注意をする。叱る。三回ルールの徹底
⇒注意は三回まで、それでも止めなければ叱る。それは当人にも必ず告げた上で実行する。注意は具体的に【~~は~~だからいけない】とダメな理由から話すこと。
⇒注意は三回まで、それでも止めなければ叱る。それは当人にも必ず告げた上で実行する。注意は具体的に【~~は~~だからいけない】とダメな理由から話すこと。
・父親と子どもの間に母が入る
⇒父親が注意するのは最終手段。まず母親が入ること。父性、バランスの安定化。
⇒父親が注意するのは最終手段。まず母親が入ること。父性、バランスの安定化。
【妻本人のこと】
・気持ちを絶対に言う
⇒喜怒哀楽の他、気になったこと、考えても出てこないことの相談。
⇒喜怒哀楽の他、気になったこと、考えても出てこないことの相談。
・体調の変化を必ず告げる
⇒具合が悪い、疲れを感じたなどの変化があれば大小関係なく報告。
⇒具合が悪い、疲れを感じたなどの変化があれば大小関係なく報告。
・できなくても『今より良くなること』を思い続ける
⇒同じことを繰り返すサイクルを止める
⇒同じことを繰り返すサイクルを止める
などなど、いくつかのルールを設置し、馬鹿らしくても実行。最初はなんだか学生の合宿生活の様だったが、あえて声出し確認のように儀式的に行っていった。
そしてこれは思いの外、大きな効果がみられた。
妻にとっては『分かりきっていること』でも、実際にそれを『自分の物にできているか』は別であることが多く、認識と現実のズレを少しづつ正確に把握できているようだった。
あいまいな『苦手意識』が浮き彫りになり、具体的に把握する『苦手箇所』へと変わることで、迷うことなく挑むことができた。
最初の好転
まず、仕事が変わった─。
これは職業柄すぐに変化がわかる。デザインやアートなどのクリエイティブな仕事は、私生活の変化がよく出てくる。
妻の仕事はまず
・色彩、色数の変化
・手数の増加
・苦手意識の脱却
・手数の増加
・苦手意識の脱却
に現れた。
よけいな不安や迷いがなく、手にした仕事のクオリティを保ちながら、さらに向上できるだけの余裕が生まれていた。これは技術が上がったからではなく、明らかに仕事中の雑念のカットが大きいだろう。
集中が仕事から見られるようになった。
そして、子どもたちを叱るようにも。
まだまだぎこちないが強めの声も出すように。
まだまだぎこちないが強めの声も出すように。
それが連鎖するように、長男は妻に甘える時間を持とうとするようになった。
今までも甘えることはあったが、ただベッタリとくっついていたり、ああしろこうしろとグズグズで気を引こうとするだけの、ただ一方通行なコミュニケーションではなかった。
叱る・突き放すなどの距離感を見せることで、相手の存在を認識できることもあるんだなぁと感心させられた。
長男の誕生から5年。初めて私の知っている『親子のやりとり』をしている姿を見て、何度涙が出そうになったことだろう。
正直、崩れそうな物を無理やり自分の『想い』だけでカタチをとどめ、『これが家なんだ』と思い込もうとしているだけな気がしていたから。
情けないことに、私はこの時、
【ああ、俺、お父さんになったんだなぁ】
とハッキリ再確認できた。
【ああ、俺、お父さんになったんだなぁ】
とハッキリ再確認できた。
今までがちょっと必死になりすぎていたのだろう。初めての息子の胎動をこの手で感じたあの頃から、だいぶ経ってしまったけど、久しぶりに自分が何者なのかを思い出すことができた。
【つづき】⇒12~束の間~
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