ASDでACの妻と
アスペルガーのこども2人を持つ
定型夫の研究帳を公開します。

Category:軽度アスペ・ACな妻

アスペ妻の記録~決めて掛かる優しさ~

2014-10-10 Category:軽度アスペ・ACな妻

娘の特性

落ち着いてきて初めて分かるいくつかの特性。娘には今、その特性を無自覚のままに突き動かされ、しかし、ひとつひとつの行動は激しくズレてはいないために、問題視されていないものが見えてきている。
その最たるものが『思ったことに飛びついてしまう』特性。
例えば誰かが何かをしているのを見ると、自分もどうしてもやらなければ気がすまなくなってしまい、止められても癇癪こそは起こさないが、内心非常に傷ついていて、確実にフラストレーションになってしまう。ただし、それは“目についた”事を自分の衝動や欲求と早合点する、0が一気に100になる瞬間でもある。
これは視覚情報だけではなく、誰かの会話から食べ物の話やお出かけの場所などが、ちらっと耳に入り認識した途端に【全力の欲求】になることがある。
また、自分が今思っている事にも全力になるため、その他の提案をされても一切の吟味なく断り、場合によっては完全否定までするものの、実際目の前で誰かが始めると、それをどうしようもなくやりたくなってしまうという欲求の瞬間的なジャンプも起こる。
当初、これは“幼いから”とか“子どもらしいから”といった、一般的な子どもの行動様式があったため、その反応があまりに劇的であったり、親の目線で勘付いていても、周囲から諌められることが多く、強く言い切れなかったのが正直な所でもある。
何より一時期はそこで起こる反応が、激しいパニックや癇癪であったり、意思の疎通が一切できないほどのフリーズなど極端過ぎて、何が何やら判別がつきにくかったのも理由ではあるが……。
色々な事への認知のズレを補正しながら、こういった極端な反応がなくなり、そこで見えてきた『思ったことに飛びついてしまう』特性は、思い返せば今までの彼女の言動や行動を一言で言い表せている。この特性は彼女が知覚するあらゆる事に対して起きていて、そしてそれは家庭で触れ得る“良いこと悪いこと”の状況や環境にも平等に起きていた。

“楽しい”の罠

娘の『思ったことに飛びついてしまう』特性が、本人にも周囲にも最も悪い方に出やすいのが、“楽しい日”である。これもかなり軽くはなって来てはいるが、やはりまだまだ気を抜くことはできないし、もしかしたら些細なようではありながら、彼女の人生のテーマになりかねない要素にも思えてくる。
彼女が“楽しい”に突き動かされた時、それは“楽しい・自由・のびのび”と言った子供らしい気持ちを超え、絶対的な自由・全肯定・傲岸不遜などの“許される”と混同してしまうことが多い。結果的に今まで我慢していたことや、咎められていたが納得がいっていなかった事など、ふだん禁じられている行動を優先的に起こそうとしてしまう。
ここでタイミングが悪くやり切ってしまえば、前例となり執着してしまったり、その場で大きな問題に発展することもある。行動初期に止められて、我慢したとしてもそれはいつもよりも激しい憤りとなり、【お母さんにダメっていわれた】と、自分のやってしまった罪よりも憤りの方を大きく抱いてしまう事がある。
つまり長らく、わが家にとって楽しいことが起こる日とは、何かしら衝突や何らかの説明に追われ続ける日となり、前後の調整含めて重苦しい日になってしまう日でもあった。
現在は彼女の癇癪も収まり、自己評価の持ち方もかなり正当なものになりつつあるので、大きな問題に発展することはないが、楽しい日の締めくくりに調子に乗ってやらかしてしまったり、些細な事で泣き出して雰囲気が壊されるなどの事はしばしば起きている。

“憤り”を腑に落とす

娘のこの特性に対しては、いくつかの対策を打ち立ててきていたが、感情的になるのを抑えたり、極端に受け取ってしまうのを避けられるようになった今、有効な手段は非常にシンプルになって来ている。
“憤り”を腑に落とす
楽しい日にいつもの“憤り”を出してしまうのなら、いつもの“憤り”自体を彼女の納得した完了案件にしてしまえばいいということ。
様々なことに突飛に突き動かされる彼女だが、その突飛な方向性にも多少の個性が見えてきつつある。【こういう事に対して飛びつく】とか【こういう時に飛びつく】ということである。そういう事に気がついた時は、その熱が熱いうちに“1に説明、2に説明”。時にはそこから連想されて思い出される、過去の似たような失敗に関しても、その場で再度取り上げながら実感を持たせて説明をし倒す。
この時、彼女の場合(わが家の自閉症スペクトラム当事者3人共通でもあるが)、【ああ、分かった】にも実は認知のズレが存在している事が大きなポイントである。
【ああ、わかった】=【ああ、そういう話ね】
であり、【ああ、だからこうなのか!】という所にまで及んでいない事が多く、特にこの【ああ、そういう話ね】で完結してしまうと、それ以降の理解は一切得られなくなる。ただ、頭の中に言葉としては入っているので、次に同じ事が起きた時に答えを言うことはできるが、それが起きることを阻止することは、真に理解するまで半永久的に不可能であったりする。
【“憤り”を腑に落とす】ためには、この【ああ、わかった】すらツッコみながら話しつつ、分かった気分で押し切ろうとしてくる時などは、引っ掛け問題で足止めしてでも聞いてもらう必要がある。このゴリ押しな理解への突破口は、範囲をある程度押さえてくると、そこに関連する頑なな態度や、抜け出せないパターンをさらっと解決に導くことがある。
ただ、わが家で問題なのは、特性上、妻が自発的に自然と娘や他の子供達に実施する場合にハードルが高いということである。
父親が一方的に話すのでは、言葉が強すぎるためにバランスが悪く、やはり心理的にも母親の口からの方が心象としても他に及ぼす影響が少ない事は多い。

決めて掛かる優しさ

この妻の特性上の問題とは、【そこに起きている問題に気が付けない】事であったり、【子どもの言葉通りにとらえてしまい、真意が見抜けない】など、前後関係を見抜いていく部分での苦手であるが、実はこれはふだん本を読んでいたり、ドラマや映画、また利害関係のない状態での会話などであれば実に自然に対応していることがある。
つまり、完全に出来ないのではなく、特定の状況によって“出来る”だけの余裕を失ってしまっているのではないだろうか。そして、彼女が何に対して余裕を失っているのかと言えば、それは今までの家族のつながりから、もうハッキリと見えてきている。
“どう言えばいいのか”などの“やり方”への葛藤である。
この葛藤が子供たちの起こす問題に対し、直接的に気持ちを聞こうとした段階で、“でも、これってどうしてやったんだろう”とか“なんでこういうことするんだろう”などの、自身の疑問と結びつき、どこから手を付けていいのか分からなくなってしまうのだ。
それをどう整理が付くようにしていけばいいのか。
答えは意外と簡単で、“子ども自身、そんなに深い考えあってのことではない”という事実と、“間違えることは悪ではない”という点をクリアしていたことで、ひとつの視点を導入することで大幅に乗り越えることが出来た。
以下は日課である【今日の○な事・☓な事の1行日記】を、保育所の遠足に行った日の娘が書いた日記を読んだ妻の娘との会話──。
妻『じゃあ、今日の○だった事ね、うーん、“えんそくがたのしかった”って書いてあるね 』
娘『うん、えんそくがたのしかった』
妻『何が一番楽しかったの?』
娘『うーん、○○くんとはなせたこと』
妻『そっかー、でも○○公園まで行ったんでしょ? どんぐりいっぱいあったんじゃない?』
娘『あ、どんぐりいっぱいひろった! たのしかった!』
妻『どんぐりは誰と拾ったの?』
娘『○○くんと○○くんと……○○ちゃんと○○ちゃんと……』
妻『そんなに居たなら、途中で違う遊びとかになったんじゃない?』
娘『うん、とちゅうからおにごっこして、○○せんせいとぉ~……』
妻『じゃあ、“えんそくがたのしかった”っていうのは、みんなで公園まで行って、どんぐり拾いして、鬼ごっこしたり先生とたくさん遊べたのが楽しかったってことね』
娘『うん、そういえばいっぱいたのしかった』
妻『じゃあ、今日☓だったことは? うーん、“ごはんのときに次男がいなかった”って?』
娘『うん、次男かぜひいてねてるから』
妻『うーん、遠足では何かなかったの? 注意されちゃったとか、分からなかった事とか、不安になっちゃった事とか』
娘『え、ちゅうい? うーん、おぼえてない』
妻『電車に乗っていったんでしょ? じゃあ、電車の中ではしっかり座っていられた?』
娘『あ、しかられた』
妻『しかられたって……どう叱られたの?』
娘『イスからあるいて、ほかのところにいこうとしたら、ほかのおきゃくさんのめいわくだから、○○ほいくしょのこはここにすわるのって』
妻『それは叱られたんじゃなくて、注意をされたんだね? じゃあ、ちゃんとした乗り方も教えてもらったんでしょ?』
娘『うん。みんなのめいわくにならないようにって』
妻『じゃあ、それは☓なことだけど、次からは間違えないから○な事にも出来るよね。○○先生に感謝しなくちゃね?』
娘『うん』
読んでいて、【何が?】と思われるかもしれないが、まずひとつ。これまで妻と娘の会話がこれほど長く続いたことはないし、ひとつのテーマで脱線せずにラリー出来たことは非常に画期的なことである。以前であればどうであったかと言えば、おそらくこうなっただろう。
以下、シミュレーション(と言うか、いつもはこんな感じだった)。
妻『ふーん、遠足楽しかったんだね(本当は何が楽しかったんだろう……何聞けばいいのかな……)』
娘『うん』
妻『遠足の何が楽しかったの?』
娘『どんぐり』
妻『ど、どんぐりをどうしたの?』
娘『ひろったの、どんぐり』
妻『あ、ああ、どんぐり拾いして楽しかったのね(どんぐりはしょっちゅう拾ってるけど他にはないのかな、自分から言わないってことは他にはもっと……うーん)』
娘『(テレビをつけだす)』
妻『あ、テレビはだめ』
娘『え……っ?』
妻『書いてるから、今、日記。じゃ、じゃあ☓なことは……次男がごはんの時にいなかったのが嫌だったの?』
娘『うん』
妻『何が嫌だったの?(寂しいのか、家族が揃わないことか、うーん)』
娘『次男がいなかった』
妻『そう……(日記閉じる)』
先の実際の会話とシミュレーションで決定的に違うのは何かというと、妻が会話に対して尋ねていく立場でありながら、主導権を相手に預けきっている事がまずネックになっている。そのせいで彼女は質問することにすら、どこか“お伺い”を立てるような、質問することに対して完璧主義にならざるを得ない、不必要な緊張状態に自分を置いていた状態。
彼女が実践的に娘に行い、会話のラリーを生んでいた要因は、【決めて掛かる会話】を心がけたこと。
【じゃあ、~~だったんだね】
【~~ってこともあったんじゃない?】

【そうすると、こうなったんじゃないかな?】

など、会話の結末を妻からある程度決めつけて進めていたのである。
この効果はどこにあるかといえば、答えをこちらが用意しているので、返ってくる答えまで想定して質問を考えなくていいということ。いわば、余計な事を考えず、むしろこちらが答えを決めておいて、相手が違うといえばその違いを聞くだけですむ、【仮置き】の活用。
妻は余裕を失わずに、淡々と娘の行動を想定して推理していくことに集中できたため、会話のテンポを崩さずに済んでいたことになる。そして何より大きいのは、余裕を失うことで感じていた【苦手意識】が娘との会話自体であると錯覚せずに済んだため、いっぱいいっぱいにならずに進められたことである。
会話に対して【決めて掛かる】のは、どこか危険性をはらんでいるようにも聞こえるかもしれないが、実際は【決めて掛かり、尋ねる】事で、相手が答えを言いやすいルートを敷いている点が一方的な決めつけとは大きく異なる。むしろ話しやすい【優しい決めつけ】とも言えるのだ。
妻が【対人】、特に我が子や家族、そして親しい人に対して、どこか他人行儀になってしまったり、子どもに対して直接的に問題点を指摘していけないのは、単に自分の立ち位置や会話での方法論に不明瞭な部分があったことが大きいのかもしれない。
後にこの【決めて掛かる】事や立ち位置に対し、もう一歩踏み込んだ部分にまで妻が母として進まなければならない状況に陥るが、そこに至るまでにももう少し、今度は妻自身の認知のズレにアプローチをかけていく必要が起こるのだった。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~立ち位置と強迫的思考~

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  • 夫。30代。
    定型。フリーのデザイナー。
    自宅で仕事をするかたわら、家事・DIY・訪問営業撃退に勤しむ。 本人は定型だが、何かしら発達障害との縁が深い。
    心労と過労で3度倒れ、一時はうつ状態に。 ところがどっこい完治なタフガイ。

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