妻
書いてある内容をちらっと
娘の運動会前日
夕食後、いよいよ明日に控えた運動会に際し、娘と妻と3人で話し合いの場を設けた。
妻『明日、いよいよ運動会だけど不安な事とかある?』
娘『ない』
妻『じゃあね、今から娘が楽しく運動会を出来るように大事なお話するからね』
娘『はい』
ニコニコと笑顔を浮かべ、やや頭を左右に振りながら妻ににじり寄る娘。
妻『はい、いい子で聞くフリはしなくていいの。分かろうとして聞いてくれる?』
第一関門突破。娘がよく陥るのは、大事な話を聞こうとする時に“いい子でちゃんと聞く態度”をしようとし過ぎて肝心な“話を理解する”という部分が抜けてしまうこと。そうすると返事や表情は理解しているように見えるし、質問にも模範解答で答えられるが、実際に行動しようとすると自分の実感ある行動とは結びつかず実にならない。
今、妻は娘の仕草にそれを見つけ、未然に防いだのだ。ここに気が付かずに話を進めると、そこまでの話がほぼ無駄に終わり、一から説明をしな直さなくてはならなくなる。……頭に言葉は残るので完全に無駄という訳ではないが、これが実感として彼女の言動に反映されるには、必ずどこかで“ちゃんと理解しようとする”必要がある。
こちらが働きかけずに彼女が実感として理解することがあるとすれば、【失敗して痛い目にあった時】が大半になり、本人の自己評価が下がる危険性が高い。
こちらが働きかけずに彼女が実感として理解することがあるとすれば、【失敗して痛い目にあった時】が大半になり、本人の自己評価が下がる危険性が高い。
娘『あ……、へへ、うん』
妻『まず、明日はあなたの運動会です。お父さんやお母さんは応援にいきますけど、それは“運動会を頑張っている娘”を応援しにいくのが目的なので、お父さんやお母さんを見つけても一緒にいるのが目的ではありません』
娘『………はい』
妻『近くに通った時に手を振るくらいならいいけど、振り返してくれなかったからといって怒ったり、へそを曲げたりしてはいけません。なぜならあなたの目的は運動会を頑張ることだから』
娘『はい』
妻『お菓子ももらった分で終わりです。食べる時間も決まっています。ダラダラいつまでも食べていると、運動会が遅れてしまいます』
娘『はーい』
妻『もし、競争とかで負けても、それは相手が頑張ったからです。そこで怒ったりグズグズ言うと、せっかく頑張った相手の子がつまらなくなります』
娘『はーーい』
妻『……本当にわかったの?』
私『ちょっと、いいかな?』
明らかに娘が話を受け流し始めていた。これは最初の【いい子で聞くフリ】とは違う、最近見え隠れしてきたもう一つの真意がある。
私『今、お母さんがした話は“いい子は守ろうね”みたいな約束じゃない。君が去年まで……いや、今までの運動会で全部やって来たことなんだよ』
娘『……えっ!』
私『うん、覚えていないだろうね。これから話す事は、楽しい運動会を前にした君に言うのは良くないのかもしれない。でも、これが君の保育所での最後の運動会だから。もう同じ間違いをして、その時にお互い悲しい気持ちになるのは嫌だから全部話すね。……ああ、いい子で聞くフリはしないで、思い出したり思い浮かべたりして、自分の事だと想像しながら聞いて』
笑みを浮かべながら距離を詰めてかかってきていた娘が、我に返ったように相手の頭から肘辺りまで視界に入るようにする“会話の間合い”に戻った。
私『君は毎年、自分の競技が始まって、お母さんの姿を見かけると“手を振って!”“近くに来て!”とお母さんに求めた。でも、お母さんは次男の応援もしなくちゃいけない。お母さんがそうしてくれなかったり、ちょっとでも席を外すと、君は大声で泣き叫び、お母さんへの怒りをぶつけた。思い出せるかな?』
娘『…………うん。やってた……』
私『それどころか疲れてくると今度は、お母さんが自分のそばにいないで保護者席にいることすら許せなくなって、ぐずついたりお母さんを引っ張ろうとしてきた』
娘『……うん』
私『おやつの時間も、もう休憩時間が終わるからダメって言ってるのに、目を盗んで他所の席のところまで行ってお菓子をおねだり。そして去年もそうしてギリギリまで食べて手はベタベタ、これから自分のが始まるっていうのに“手を洗いたい”って先生にゴネて、思い通りにならなかったからふてくされて、その後は運動会に参加しなかった』
娘『やってた……』
私『今、お母さんが話していたことを、君は“分かってる”って思ってたから、軽い気持ちで聞いていたでしょ』
娘『うん、分かってるから“うん”ってやってた』
私『でも、その“分かってる”事を、君はいざその時になると毎年失敗してきたんだよ。そう言う時はいつも決まって“分かってるけど、その時はそう思ったんだもん”と言う』
娘『!』
私『それは“分かってる”とは言わない、“知ってた”ってだけだ。“知ってた”はその時に思い出せてないんだから“知ってた”ってだけ。思い出せたら“知ってる”になって、“知ってる”事をしっかり守りながら、その理由までしっかり分かってて初めて“分かってる”といいます。だから君のは“分かってる”とは言わない』
娘の表情が一気に現実味を帯びた真面目な顔になる。6歳児に説明するには難しい認識の話だが、どうやら彼女には思い当たるフシがあったようだ。
私『……お父さんの言いたいこと、分かったみたいだね?』
娘『……わたし、できてなかった』
私『じゃあ、難しいついでにもう一つ、君が思い出せなかった理由を話すね。
君はお母さんが言ったような失敗を今までしてきた時に、“自分はそうしたいのに”が凄く強かったんだよ。いや、それしか頭になかったんじゃないかな。だから“どうしてダメなのか”までは考えてなかったし、理由を聞く事もなくいきなり怒ってしまったんじゃない?』
君はお母さんが言ったような失敗を今までしてきた時に、“自分はそうしたいのに”が凄く強かったんだよ。いや、それしか頭になかったんじゃないかな。だから“どうしてダメなのか”までは考えてなかったし、理由を聞く事もなくいきなり怒ってしまったんじゃない?』
黒目が大きくなった訳でも、表情が締まった訳でもない、急に古いビデオテープからデジタルハイビジョンに切り替わったような、意思が鮮明になる感じ。理解がある程度の段階を越えるとやって来る、娘が娘に戻ってくる瞬間である。
娘『うん、おこってた。だからききたくなかった。そういうの、いいたかった』
私『そうだろうね。そうなると“なんでそうなったか”とか“自分がどうしてたか”まで、なんだか分からなくなって、自分じゃないような気になるんじゃない?』
娘『じぶんじゃ……ない? みんなが“はやくち”になるやつ?』
彼女の場合はそうなのか。長男とも妻とも異なる、彼女の独特な“離人状態”を初めて耳にして鳥肌が立った。嫌悪感とか畏怖とかではなく、交わることのない他人の意識の世界と、ふと自分の意識の世界とが一瞬だけ混じったような、他人の感覚の追体験。
娘の表情が曇っている時、もしかしたら私たちは早回しで送られているのかもしれない。
娘の表情が曇っている時、もしかしたら私たちは早回しで送られているのかもしれない。
私『……そういうのはね、君が“今”を分からないから起こるんだよ。そして憶えていられない。この運動会でそうならないためのコツがあるんだけど、聞きたい?』
運動会当日
娘が参加する一番最初の競技は【かけっこ】。ふだんはくねくねと落ち着きがなく、頼りない印象の娘だが、意外と運動能力は高い方である。彼女もそこには自信があるらしく、ゴールに向かって本気で飛び込んでいった。
結果は2位だったが、彼女の表情は硬い。負けたことが悔しかったようだ。
妻『ありゃ、ふてくされてる……うーん』
私『…………』
退場するために保護者席の前を通るのだが、娘はこちらを意識してはいけないとばかりに、カチコチに硬く前だけをみつめて退場していった。
妻・私『……………………ぬう』
開始早々、テンションがた落ちな娘と私たち。長い一日になるのではないかと怯えながら、しかし、体力のある午前中は常に上機嫌の次男の完璧な【運動会園児】ぷりに、意識を取り戻した心地だった。
妻『次男の安定は凄いなぁ、午前中は』
私『うん、全く物おじしないし、さっき○○パパとかに声かけられても、爽やか笑顔で手を振りながら競技場所に歩いて行ったわ。大したものだよ、午前中は。でも今年は秘策も授けたしね。娘もチャンスがあれば復帰できると思うよ。今は呑まれているだけだと信じよう』
─── 昨夜。
娘に策を講じようと【運動会に~~のコツがあるんだよ】と誘いかけると、次男まで身を乗り出し聞きに来た。
私『あー、まあ次男も午後、眠たくなるとグズるからなぁ、聞いとく?』
次男『あー、次男わぁ、ねむたくなるからぁ……きいとく』
私『なんでちょっとおねえ口調? まあいいや、ええとね、君たちはね明日主役なんだよ』
娘・次男『しゅやく?』
私『そう、主役っていうのは一番輝いていて、その人が頑張らなきゃ話にならないって人のこと。ワ○ピースならル○ィだし、仮面○イダーとかなら仮面○イダーとかのことだね』
娘『わたしと次男は、しゅやくなの?』
私『そうだよ。明日の運動会では君たちが主役。まあ、保育所で運動会に参加する子供たちみんながそうなんだけどね。で、先生は主役たちが頑張れるように助けてくれる役目で、お父さんやお母さんたちは応援して主役たちが頑張っているのを見に行くのが役目』
娘『だからおかあさんといっしょにいちゃいけない?』
私『そうだね。だってさ、ル○ィは闘っている間にウ○ップが応援しなかったら怒るかな?』
娘『それはないよ。ル○ィはそんなことはしない!』
次男『ないない!』
私『おお、熱いね君。そうだね、それはル○ィが自分が主役で、今その敵と戦わなければいけないのは自分だって分かってるからだね』
娘・次男『うん』
私『だからル○ィは応援されて嬉しいとは思っても、されなくたって怒らないよね。やるべきことは“今、闘うことを頑張る”なんだから。で、これは明日主役になる君たちも同じってこと。明日君たちは主役なんだから、頑張らなきゃいけないことがあるだろう?』
娘『うんどうかいをがんばる』
私『そう、それが役目。だから頑張ることをしないで、負けたからクヨクヨするとか、お母さんがこっち見てないから怒るとか、眠いからグズグズしようとするのは違うよね。お父さんたちも応援することが役目なんだから、君たちが役目を忘れて頑張るのをやめちゃうと、誰を応援すればいいんだ? 帰るしかなくなっちゃうよね。それに、逆に人が頑張ることを邪魔するのは悪者の役目だと思わない?』
娘『うん』
私『君たちはね、この役目を忘れてすぐに“お父さんとお母さんに甘える子どもの自分”に戻ってしまったり、知らないおじさんおばさんに“構ってもらいたい子ども”に戻ってしまったりして、やらなきゃいけないことを忘れちゃうんだよ。
そうやって違うことをしてると注意されたりして嫌になったり、ちゃんと出来ていない事が嫌になって、どんどんどうしていればいいか分からなくなって、“早く終わらないかな”って考えたりしちゃう』
そうやって違うことをしてると注意されたりして嫌になったり、ちゃんと出来ていない事が嫌になって、どんどんどうしていればいいか分からなくなって、“早く終わらないかな”って考えたりしちゃう』
娘『やくめ……』
私『君たちは主役です。役目は運動会を頑張ること。練習の通りに、いつもと違うことがあっても運動会をがんばって楽しむことです』
そして、役目を背負うために告げたのは以下の様なポイント
・応援席の前を通る時にしていいのは手を振ったりするくらい
・手を振ったりするのは入退場で通る時だけ
・ほめるのは終わって家に帰ってから
・だからどんなに頑張っても最後にグズグズしたら褒めない
・嫌な気持ちになったら『主役なんだ』と思い出す
と話を閉めようとした時、ふと、娘が涙を流した。
私『どうしたの?』
娘『わたし、いままでできてなかった……』
私『それでいいんじゃない? だから正しいやり方が分かったんでしょ? 大人だってそうやって正しいことを数えきれないくらい教わりながら生きてきたんだよ。だから大人は自分の役目を知ってるでしょ?
言われなくたって掃除・ご飯・お片づけ・お仕事。大人はそういうの、もうそういう役目だなんて忘れちゃうくらい、自分のやることを大事にできるから大人なんだよ(俺、できてないけど)』
言われなくたって掃除・ご飯・お片づけ・お仕事。大人はそういうの、もうそういう役目だなんて忘れちゃうくらい、自分のやることを大事にできるから大人なんだよ(俺、できてないけど)』
娘『……わかった。あした、がんばる』
─── 娘、第二競技。
私『あー、その次が役員出動か、じゃあこの競技の用具配置も手伝っちゃうか……』
妻『あ、そうする?』
この保育所では保護者会役員が、持ち回りで競技の用具配置をする。ただ、役員が人手不足なので、あまり担当は関係なく、自発的に空気を読んで協力するのが習わし。これから娘の競技ではあるが、パッと用具出しだけ手伝おうと立ち上がった。
役員『あ、夫さん、これ手伝ってもらえます?』
夫『あー、いいすよー』
わらわらと役員が蠢く中、ふと気がついたら次に娘が出る障害物競争のネットくぐりのネット持ち役になっていた。
私『……(応援席にいないけど、むしろアリーナだから大丈夫か。でも、さっき娘カチコチだったしなぁ。近くにいない方がいいのかなぁ)』
色々と交錯する中、段々と娘の順番が迫ってくる。去年まで私との距離を取れず依存し、常に私の前で“いい子でいよう”とか“褒めてもらおう”と必死になり過ぎて潰れていた娘。ここ数年、保育所のイベントは私がいることで“余裕を奪う懸案”が増えてしまい、パニックの引き金になることが頻発していたので私は参加を見合わせてきた。
それが今年、ようやく運動会の応援に参加できるほどに安定してきたのだ。
今までが不安定であることが当たり前であった分、やはり内心“いつ、なにが引き金になるのか”と不安を抱えていたのも正直な気持ちである。
今までが不安定であることが当たり前であった分、やはり内心“いつ、なにが引き金になるのか”と不安を抱えていたのも正直な気持ちである。
【俺は今、ここにいていいのだろうか?】
この関係の距離感に対するおぼろげな不安感は、長男誕生以降、9年間抱き続けてきた。その不安の中、とうとう娘の順番が回ってきた。
鳴り響くスターターの破裂音、一斉に駆け出す中、他を引き抜きながら余裕でネットくぐりの前に差し掛かり、そして彼女は私がネットの片隅に佇んでいるのに気がついた。
鳴り響くスターターの破裂音、一斉に駆け出す中、他を引き抜きながら余裕でネットくぐりの前に差し掛かり、そして彼女は私がネットの片隅に佇んでいるのに気がついた。
娘『あっ! おとうさん!』
私『おお、頑張れ! 役目役目! 頑張れー!』
ニッコリと笑い、ワンテンポ置いてから彼女はネットをくぐり抜け、脇目もふらずゴールを目指して駆け抜けていった。
立ち位置と強迫的思考
閉会式の最中、娘は妻と手をつないで参列し、私は次男の手をとって佇んでいた。
運動会はどうであったか? 一言に表せば【大成功】であった。
運動会はどうであったか? 一言に表せば【大成功】であった。
あの障害物競争での掛け合いから調子を取り戻した娘は、その後も競技に集中し、かつ今までのイベントで見られた『人目を気にする』様なキョロキョロした不安な様子も、何かに突き動かされるように自分の衝動にとらわれる、あの余裕のない言動も鳴りをひそめていた。
社会一般的に求められる【こういう時はこうするものだ】という通念は、極当たり前のようにみなが持っていることが前提とされている。娘にとってはその通念の中に、【こういう時、自分はこういう立場なのだ】という発想が無かったのかもしれない。だから【何をするべきか・どう振る舞っているべきか】を、その場その場でいちいち処理することとなり、慣れない雰囲気も相乗効果となり混乱を来していたのではないだろうか。
この運動会に際して私が彼女に伝えたものは、単に立ち位置のことであるが、娘にとってはその足がかりは、対象物すれすれであった視界を、そこに関わる者として適切な距離に引かせる結果になったようだ。
途中、電池切れで保護者席にうなだれこんできた次男も、こちらが言うでもなく私に寄りかかった後、すぐに『ああ、しょうだ! しゅやくだった!』と待機場に走っていった。これは予想だにしない効果であった。
途中、電池切れで保護者席にうなだれこんできた次男も、こちらが言うでもなく私に寄りかかった後、すぐに『ああ、しょうだ! しゅやくだった!』と待機場に走っていった。これは予想だにしない効果であった。
ひとつ問題があったとすれば、彼らの頑張りに奮起した私がリレーに参加し、日頃の運動不足から豪快に足を縺れさせ、他人を巻き込みながら転倒。自分だけ美しく回転受身を決めながら颯爽と競技に戻り、勝利をせしめるという、人として疑われる勝ち方を、文字通り体をはって子供たちに披露したことである。
……まあ、それを差し置いても、わが家初の“楽しい運動会”であったことは間違いない。
振り返れば娘に【立場・立ち位置】の概念が抜けていたことをようやく理解した一件であるが、同時にこの概念は妻のパニックを抑えていくための、状況整理の要素としても大きな効果を生むこととなった。つまり、妻にもこの概念は薄かったのだと分かった。
妻『あー、立ち位置かぁ。私もそういうの無かったからかなぁ、何かみんなで協力してやるイベントとか、頑張り過ぎたり気を使いすぎて疲れるから嫌だったんだよね』
子供たちに前日、立ち位置や役目について説明している時に、妻がつぶやいた言葉である。
子どもの場合、反応が同時に起こる多すぎて問題が見えにくくなることが多いが、出てくる反応は直接的なので、ひとつ掴めれば残りの問題も見えてくることがある。対して大人の場合は取り繕ったり、なじませる能力が高いので見えにくくなることがある。妻の場合も今回の子供たちのように、立ち位置や立場が見えないために、自分がそこにいる必然性を求め、半ば強迫的にそこに合わせることを意識していた面があることが明確となった。
子どもの場合、反応が同時に起こる多すぎて問題が見えにくくなることが多いが、出てくる反応は直接的なので、ひとつ掴めれば残りの問題も見えてくることがある。対して大人の場合は取り繕ったり、なじませる能力が高いので見えにくくなることがある。妻の場合も今回の子供たちのように、立ち位置や立場が見えないために、自分がそこにいる必然性を求め、半ば強迫的にそこに合わせることを意識していた面があることが明確となった。
わが家の場合、子どもに見えてきた問題が、妻の中でも隠れて猛威を振るっていたということがよく起きている。そんな中、わが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者たちに思うのは、男女・年齢に関係なく物事に対するインプット・アウトプットのズレや認識不足が問題なのであり、そのズレている理由をつかむ所まで進まなければ、解決が難しく感情的になる事もあるということである。
しかし、立ち位置や程度を明確に言葉にしなければ、極端な所まで追い求めてしまうのは、彼らの特性であり長所にも短所にもなる能力の一つだ。返して言えば、そこを明確にしていくことで適度なボーダーを手にしていく事が可能であるという事ではないだろうか。
しかし、立ち位置や程度を明確に言葉にしなければ、極端な所まで追い求めてしまうのは、彼らの特性であり長所にも短所にもなる能力の一つだ。返して言えば、そこを明確にしていくことで適度なボーダーを手にしていく事が可能であるという事ではないだろうか。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~最初の成果~
スポンサーリンク