ASDでACの妻と
アスペルガーのこども2人を持つ
定型夫の研究帳を公開します。

Category:軽度アスペ・ACな妻

アスペ妻の記録~お酌の尺度~

2014-08-01 Category:軽度アスペ・ACな妻

お酌の尺度

それはなんて事のない週末の晩酌時のことだった。妻はそれほど飲む方ではなく、どちらかと言えばつまみ目当て、その日もちょこちょこと酒に合わせながら、作っては飲み作っては飲みをふたりで楽しんでいた。
飲み始めて何度目かの、手酌でグラスに注ぎ足した時、ふと妻の視線を感じた。そして何となくの“違和感”。その時に私がそれを感じられたのは、言いがかりか霊感かというほど、本当に些細で小さな引っ掛かりだった。
付き合っていた頃からのことなので、自分でももう当たり前のことになっていたから、今までなんの疑問も感じずにいたが、妻の違和感で思い出したのだ。彼女は飲み始めの一回以降は、一度もお酌をしてくれたことがない。また、つまみなども用意をしてくれたことはない。
私自身、それを不満に思ったことはないし、特に不便に感じたこともないが、今なぜ彼女に“引っ掛かり”を感じたのか……いや、この“引っ掛かり”が何なのかは、もう私の肌が知っている。
私『……そう言えばさ、うちって“奥様からのお酌文化”ってないよね』
妻『……! そ、そうだね。私そういうの分からなくて。ごめんね~』
深刻にならないように、しっかりと言葉では軽くいなそうとしているが、明らかに動揺していた。やはり小さな引っ掛かりは当たっていたようだ。
つまり……
私『分かってはいるけど、実際どのタイミングで、どれくらいの頻度でやればいいのか、自信がないだけでしょ?』
妻『…………はい(極小)』
私『いや、ごめん、責めるつもりじゃないんだ。こういうのってタイミングのコツとかもあるし、断られることもあるから分かりにくいよね。別に俺もして欲しいってわけじゃないんだ。でも、今ね、今一瞬だったんだけど、君が【分からない・やらない】んじゃなくて、【どうしていいか】って葛藤しているような、悩んでいるような仕草が見えたから……』
妻『…………バレた?』
私『…………はい(極小)』
そこで私は私なりの【お酌論】を少し話してみることにしてみた。
私『【冷たいのが美味しいビールとかの場合は、相手がそろそろ飲み干せる程度に減った頃にすすめるのがいい】とかなんとか、目上の人にはなんたらかんたらあるけど、基本的には飲み干すか、明らかに飲み干せそうな時に“どう?”って感じで、ボトルとかお銚子を持つくらいでいいんだよ。もし、そこで相手が首をヨコに振れば“呑み休みくださいな”ってことで放置でよし。また飲み始めたら“どう?”ってタイミングを待てばいいだけ。
でも、結局一番大事なのは【あなたが楽しんでいるか、気にかけていますよ】を、分かっていても・分かっているだろうと思っていても所作に表すことなんだと思うんだわ』
妻『所作に表す……』
私『そうそう、俺は別にそういうことを望んでいるわけじゃあないけど、やっぱり楽しい方向に気にかけてもらえるって嬉しいでしょ。綺麗なものを見てる時に“綺麗だね”って改めて口に出されると一際感動があることってあるじゃない。
それに、君がなんとなく【お酌に苦手意識がある】ってだけで、それをしなくても楽しめるのに、薄ぼんやり自己評価に引っかかるようなとらえ方しちゃってたらもったいないじゃない』
妻『ああ、やってもらえたら嬉しいんだ! なんか今までタイミングつかめなくて“うーん”ってなってたよ。あー、なんだぁ、やってみても良かったんだぁ!』
私『ん? “やってみても良かった”ってどういうこと?』
妻『ん? いや、夫がまだ付き合ってた頃に“そういうのいいよ”って言ってたから』
記憶を手繰り寄せ、その頃の雰囲気を思い出そうとすると、結構すんなりと思い出せた。
私『だってあの頃君は、天井裏の曲者をヤリで刺さんばかりの殺気で、俺のグラスとボトルを凝視しながらタイミングを測ろうとしてて、正直飲んだ気がしな……』
妻『ああ、お風呂入ろっと』
私『……ぐぬぬ』

【気を使う】と【気を配る】の違い

結局妻は10年以上も、私が飲んでいる隣で【やっぱり、何かした方がいいのかな】と小さな葛藤を続けていたことになるのだが、実はここにわが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者3人の性質を如実にあらわしているものがある。
【気を使う】と【気を配る】の違いである。
人に【気を使う】のは、相手の気持ちや行動に対して、自分に制限をかけたり曲げていくこと。相手に対してのリターンを望んでいたり、評価の見返りが心のどこかにある状態で、多くの場合は相手に対して言葉で確認するプロセスが飛ばされることが多い。
対して【気を配る】のは、自分への評価などの関係がなく、相手が動きやすいように声を掛けたりなど、相手の行動をサポートする立場にある。言葉で相手に確認を取ること自体が、相手の心を軽くしたり喜びを与えることが多い。
一見似たような言葉ではあるが、前者は自分の評価を相手に委ね、自分を曲げているためにストレスを生むがその割に感謝されにくい傾向にある。わが家のASD当事者である娘や長男、妻は両極思考や自己評価の低下から、この【気を使う】に偏るばかりであり、またそれを使命感のように捉えてしまうので、人といること自体に疲れてしまう。
この二つの違いは誰にでもよく起こり、人生経験が浅いほど混同しやすく、また人間関係で混乱している時ほど見えにくくなる性質がある。
多くの場合は【気を使う】からスタートして、間違いを繰り返しながら照準を合わせていったり、教わることでケーススタディを積んでいく。中には最初から感性が鋭く、幼い頃からでもサポートの観点に立てる者もいるが非常に稀だ。圧倒的多数は【ああ、これはやり方が違うんだ】【ああ、こうすればいいのか】と、トライアンドエラーで無駄をそぎ落としていく。
しかし、【失敗=自分が悪い】などその選択肢のミスではなく、自分の能力や自己評価を責める形に偏るタイプの場合は捉え方の違いから傷つきやすく、トライアンドエラーに発展できないまま手を離してしまうことがある。
気がつくとクリアできなかった物事が周りに増え、一定を超えたあたりから“自分が窮屈になった”ような感覚に締め付けられていってしまう。
妻はこのタイプで、人といると楽しいのに何処か苦しかったり、本人の予測以上に疲労してしまったりもする。【気を使う】が過ぎて苦痛になるくらいなら、気にしないで欲しいと思うこともある。しかし、それが不可能であることも分かっている。コミュニケーションへの想いが最初から不安や観念などではなく、自分のするべき何かをもってそこに居ようとする、関わっていようとする心理なのだから

建設的な一辺倒

では、【気を使う】と【気を配る】が必要となるようなやり取りの中で、“自分が窮屈になった”ような感覚になったらどうすればいいのかと言えば、単純にこの言葉を思い出せばいい。
質問不足と声がけ不足
相手は何をしようとしているのか、何をしたらいいのか分からないなら、それをストレートに聞けば、頭を抱えていることのほとんどはそこでもう解決している。その答えに協力したらいいかどうかをさらに尋ねたら、もうその時点で気を配っているのだ。
慣れてきたら言い方を変えていってみたり、タイミングを調整していけばいいだけだ。これらの練習の場は、家族でも職場でも地域の作業奉仕などでもどこにでも転がっている。最初は相手の心を軽く出来ないかもしれないが、そんなことは上手くなってきたら出来るだろうし、相手の心が軽くなったかどうかに固執するのは見返りを求めてしまっている証拠でもある。
だからこそ軽いトライアンドエラーで数をこなしていき、特別だったり重くないものだと認識していくことが方を軽くする。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性によっては、一つの解答に縛られてしまい、『これさえやっていればいい』と思ってしまうことがある。
もちろん、その対応だって自分を守ったり、余計な振れ幅や失敗を生まないための方法論である。ただ、【気を使う】と【気を配る】などのやり取りが求められる場合や、それを実現していく場合には時に失敗につながりやすくもなってしまう。
『前にやってみたら断られたから』
妻はよくこの言葉にとらわれ、気がつくと人間関係に【気を使う】ばかりになり、一番大事なことを見過ごしてしまっているケースがある。それは【断られた理由はなぜなのか】である。それが解決しない限りは、何度でもこのケースにはぶつかるし、苦手意識に支配されていってしまう。そんな状態で『これさえやっていればいい』と、理由のわからないまま前回の通りの対応を続けているのは、何より未消化なままの自分の方が辛くなる。
状況に合わせて選択していくのが困難で、やり方が一辺倒になりがちになってしまうのなら、ある程度難易度が低くて建設的な方法がひとつ考えられる。
人への尋ね方や質問の仕方に、いくつかの『これさえやっていればいい』を持てばいい。
対応を固定するから変化についていけないが、変化を補足する方法論を固定しておけば、やがて聞くべきポイントを絞っていく道も見えてくるのではないだろうか?

曖昧の美徳

社会にあふれるコミュニケーションのほとんどは、お互いの気持ちや意見をハッキリとは突き合せないグレーで曖昧なもの。妻はそこに苦手意識や理解していくことに困難があり、さらにそこでのスレ違いや失敗が、ひとつひとつ自己評価に突き刺さるようにして受け止めていたのである。
曖昧、その社会の在り方が害悪なのかといえばそうではない。
曖昧なコミュニケーションには、日々多様に変化する人間同士の心をあえて口に出して共感したり、すり合わせる場所や落とし所をお互いに照合していく必要がある。もし、人間の感情がずっと一定であれば合理的な方法論でも問題はないだろう。しかし、私たちの社会は泣けてくるほどブレのある動物の集合体である。
その度に誰かがズレて、折れてしまう形式は結局合理的な結果を生まない。結果的に曖昧さへの歩み寄り方を模索する方が安定を生みやすいのだ。そしてそのプロセスは、常にお互いがどんなブレ方であるかを認識しておくことにもつながる一石二鳥の方法論。古来から延々と続いてきた美徳のようなもだ。
この美徳を単に通念としておぼろげなままに巻かれていれば、ストレスを溜めたりあくびが出ることもあるが、方法論としてのメリットを分解していけば、伊達に長年愛されてきた方法ではないなと理解することも出来る。
妻の葛藤ひとつに社会の風呂敷を広げだして、なんとも大げさに思われるかもしれないが、彼女がそれまで苦手だったり頑なに拒否し続けてきたものは、こういった通念の分解からいとも簡単に解けることがあるのだ。社会に用意されている通念は曖昧で、しかし、中を見れば方法論が簡略化されただけのものだったりすることも多い。そして、理解をした時の彼女は強い。
こうして、ただただパニックを起こしてしまう状態を越え、今度はゆっくりと【なにが不安だったのか】をひとつひとつ掘り返して、消化し直す日々が続いていた。さらっと書けばただの勘違いの修正の様に思われてしまうかもしれないが、実際は人工的に思春期を引き起こしているような、波と不安と、ある日突然の大きな成長が巻き起こる、目の回るような変化の毎日だった。
そんな彼女を見ていて度々考えさせられるのは、
脳の機能に障害があるのではない、処理の段階に混乱が起きているのではないか。だから大人になってもいきなり成長をしたり、情緒に大きな進歩が見られるが、それは今獲得したのではなく、交通整理が済んだもの。深い浅いはあっても、混乱の裏では同時に理解も進んでいる
というものである。
グダグダと妄想を書き綴っておいて、結局私がこの時何を得られたのかと言えば、晩酌時の妻の完全なるリラックスとまさかの【奥様からのお酌文化】であった。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~レッテルを貼る~

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  • 夫。30代。
    定型。フリーのデザイナー。
    自宅で仕事をするかたわら、家事・DIY・訪問営業撃退に勤しむ。 本人は定型だが、何かしら発達障害との縁が深い。
    心労と過労で3度倒れ、一時はうつ状態に。 ところがどっこい完治なタフガイ。

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