妻
峠を越す
右下腹部の痛みも、内臓全体の引きつるような痛みは鎮まり、常にゴロゴロしていた異常な動きもない。クリスマス前から続いていた、私の憩室炎の劇的な症状もようやく治まりかけていた。
さあ、待ちに待った回復食のスタートである。
絶食を一週以上強いられたため、おかゆでも刺激になることがあるので、まずはおかゆの上澄み【重湯】から。それでも自分の体温以上、そして水以上のなんらかの濃度を持った、このお米の香を含んだ液体が、涙がでるほど美味い。
ここまで来れば余程のことがない限り、まず寛解に向かうだろう(結局原因は不明だし、完治とは言わない。あくまで臨床的なコントロール下にできた寛解)。
───ただし。
【余程のことがない限り】これは今、私にとって何の保証もないどころか、現在進行形でその【余程】は存在している。
【余程のことがない限り】これは今、私にとって何の保証もないどころか、現在進行形でその【余程】は存在している。
娘の硬直がすでに【何かしらの原因】や【不安になる理由】がなく、【そこにいること・立ち振る舞いを気にする】という彼女自身が無為にとる対処法が、そのまま問題に移行しているのだ。言わば彼女の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者としての特性である、“とらわれる”が私や家族、また依存の強い相手に強く向けられ、人間関係の継続において藪蛇だらけのパターンに陥っているからだ。
ここに進まれると、本人が自力で立ち戻れたことはただの一度もない。本人が倒れるか、誰かとぶつかり大問題になるか、終末が訪れるまで突き進むしかない。そしてそれは優しい言い聞かせなどでは、むしろそこに固執する原因にすらなってしまう。
つまり、彼女が平静を取り戻すには、【本当にこうしていてはいけないのだ】と、彼女が実感をともなう刺激になるまで止まることはないし、それには誰かしらその対象となる人物が必要となる。
残念ながら、今それを出来るのはこの世にまだ私しかいない。そしてこの役目は、私にとっては今、避けるべき【余程】になり得る危険性に満ちていた。
妻の功績
娘の“とらわれ”を払拭する刺激として昇華するには、彼女がなぜそうしているのか、きっかけは何であったか、なぜそれをしてはいけないのかを確実に提示する必要がある。同時に会話の途中で“分かっているフリ”を始めたり、“こう言う態度をしていればいい”と現実から離れるスキを与えると、そこまでの流れが全くの無駄になる。
妻は娘との対面にこうした理路整然とした説明と、表面的な観察とその調整というふたつの対応を同時に取ることが苦手である。ただ、以前までの妻とはその“苦手”を受けてから先の行動に、その一線を画している。
以前であれば、ひとつ苦手と判断すればそれに関わる多くのことを手放したり先送りにし、すぐに見ないようにしていた。それでは物事の進歩が【ゼロ】だ。しかし、今はそれでも何らかの他の行動を見つけ、目の前の問題や課題に対し、自分なりの【+1】を繰り返せるようになっていたのだ。
【完全に終わらせることが出来ないなら、それ以上起こさせないように阻止する】
例えば今、娘は硬直する理由が何なのか本人も分からないまま、いや、理由がないことも、それが問題となっていることも分かっているが、ただただ人といる際に【そこにいること・立ち振る舞いを気にする】所からアクションを始めるクセを繰り返している。
これは言葉で説明したのでは全く意味が無いのは先述の通りであるし、彼女の資質として一度決めたこのパターンを自ら変えることは想像できない。妻がそれを逐一注意したとしても、最初に【そこにいること・立ち振る舞いを気にする】パターンから始めることを止められはしないが、“こうしていていいんだ”とただただ執拗に繰り返す状態になるのは防げる効果がある。
今回、実は娘の不安定な状況はかなり大きなもので、しかしそれでもなお、この程度の違和感で抑え切れているのは妻の功績である。
娘のパターン
妻の功績により深刻化は免れている。とは言え、根本的な問題解決にはなっていない。原因はもうすでに目に見えるものではなくなっているからだ。遅かれ早かれ、妻の手から漏れた瞬間にでも、娘の硬直が一瞬にして最大化することは目に見えている。
娘が不安定になる時、表面的にとる行動や態度はいつも同じであり、硬直・緊張する一辺倒である。しかし、実はそこには様々な理由があり、それぞれに困惑していたりするが、本人がその困惑の原因に気がつかないまま突っ走っていることが多いのだ。
─── つまり理由は違えど、アウトプットは全て同じ。
そして、一度でも何らかの問題で困惑し硬直すると、そこから余計に【どうしよう】と問題意識にとらわれ、ループして抜け出せなくなる。最初の原因はなんであれ、一度不安を生み出した場合、その不安が不安を呼び続けてしまう。
この原因の多くは、娘自身が感じた不安や不快感、体調の変化や疲れの感覚などを、自身で感じ分析することが極端に苦手である面が強い。ここでの不安感が単に【ネガティブな感覚】として一つの感情として処理されてしまい、その結果が硬直であったり、特定の人物に対する緊張に繋がるのがこのパターンである。
この原因の多くは、娘自身が感じた不安や不快感、体調の変化や疲れの感覚などを、自身で感じ分析することが極端に苦手である面が強い。ここでの不安感が単に【ネガティブな感覚】として一つの感情として処理されてしまい、その結果が硬直であったり、特定の人物に対する緊張に繋がるのがこのパターンである。
妻が似たようなフリーズのループをクリアできたケースでは、こういった自分の感情の取り違いなどの認知のズレを見つけていくことで、その感覚自体を変えることは出来なくても、不安定にならないだけの安心材料を、キーワード化するなどして先に作っておくことが出来た。
しかし、娘の場合は6歳。低年齢な上に、こういった感覚的な目に見えない事への理解力は、実年齢以上に苦手であることも彼女の性質である。
わが家で娘の行動が深刻化しやすい理由は、まず、何らかの不安が浮かんだ時点で、遅かれ早かれそれが人間関係の距離感への不安定感に直結すること。そして本人にその因果関係や自覚が薄く、事実の前後関係が掴めないために、無自覚のまま何度でも同じ状況に陥ることである。
さらにこれを頑強な状況にしているのは、本人はそういった対人対応をしている間、気力体力的な疲弊はしていても、自分から表に出してぶつかるなどの現実的なアクションを起こさない点が挙げられる。そうしてただジッと、考え続けている様な気になっているだけなので、本人にはエネルギー消費を自覚することがない。またその体感覚も認知する訓練も出来ていない。
結果、自分の対応が悪手であると気が付くきっかけが皆無であり、自分からの解決を完全に放棄してしまうゆるい流れになる。
だから彼女はパターンに一歩でも足を踏み入れると、終末的な状況に陥り、誰かが解決に乗り出すまで、むしろ突き進んでいく事すらパターンの形式としている。
以前はこのパターンに持っていかれると、どんな些細な事がきっかけでも全く同じアウトプットで返されるため、“全ての問題と、それに対するすべての努力が水泡に帰す”という錯覚をさせられ、幾度と無く絶望感を味わう原因となってきていた。
要するに、娘は今まで多くの問題にぶつかり、それを超えはしてきた。しかし、その度に表面的な反応や行動は全て、人間関係の距離感に由来するような、周囲の接し方に問題があったかのような……
それは、あまりにも誤解を生みやすいアウトプットだ。
今までが間違いであったのではないと、ここまでの掛け合いでも実感はしてきている。それでも、やはりこのアウトプットの方法は、親としては無自覚とはいえ何度されても馴染めないし、実際の問題を見つけるまでの膨大な労力と時間が掛かる。
─── そして今、私にその体力が残されていなかった。
だからこそ、今回の妻の里帰りは、【家族団らんのお正月】よりも、家族の亀裂を食い止めるために必要な措置。悲しいほどにバッチリな“渡りに船”であった。
里帰り決行
娘の違和感が消えないまま、妻の里帰り決行の当日となってしまった。余計な刺激にはしたくはないので、極力顔を合わせないようギリギリまで自室で過ごし、見送りのためにリビングに顔を出した。
この数日、根本的な解決は出来ないまでも、なるべく気分の振れ幅は抑えようと、妻と二人協力関係を組んできた。
そして、出発当日。
娘は出発直前に些細な事で次男とケンカをしようとしていたが、出発する不安から普段の決まり事を狭い視界で再解釈して、次男の行動に不平不満をこぼしているだけだった。この程度の不安定さであれば、かえってリフレッシュになるかもしれない。
ここまでの観察でも、里帰りを中止する理由は見当たらなかった。そしてその日、予定通り妻と子供たち3人は、片道数時間の妻の実家へと出発した。
家族を見送り玄関まで戻った時、私はふと立ち止まった。
─── あれ? 休むって、どうすればいいんだ?
思い返せばひとりで正月はおろか、家庭を持ってから一人でゆっくり羽を伸ばした記憶が無い。結婚、長男の誕生から続く異変と疑問の数々、娘の誕生から本格化した戸惑いの日々、転職の失敗と開業。生活を少しでも変えれば起こる、混乱と不安定の日々。遠出はもちろん、旅行も満足にできず、気がつけば何処か最初から諦めなければならない様な事が膨らんでいた。
そうか、頑張らなくていいんだ ───。
とたんに眠気が襲い、とりあえずこたつに横になると、気がついた時には窓の外は真っ暗になっていた。軽めの本を読んだり、ちょっとしたスマホアプリで遊びだすと、恐ろしいほどに時間が過ぎていく。無為に過ごす時間とはこれほどにも軽く、瞬く間に過ぎていくものだったか。
ああ、そう言えば子供の頃、楽しい時間はあっという間で、お休みの日は凄く短く感じていたっけ。
結婚後初めての私の休暇初日は、どこか時間の感覚すらつかみにくかった。そして次に驚いたのは、不眠に近いほど寝付きが悪い私が、目を閉じればいくらでも眠れるということだった。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~再現の破壊~
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