妻
長男の異変
それは最初は小さな変化だった。
長男も小学校に上がり、よくわが家に友達を連れてくるようになった。まだまだ小学1年生男児、落ち着きなく遊びまわったり、些細な事で興奮したり落ち込んだり。充分許容範囲内での様子で一安心していた。
しかし、激しいうなされや夜驚症が毎晩つづき、時折夕方には沈んでいるような感じで、口数が少なくなっている様子が見られた。
私『最近、学校どうだ? 楽しいか?』
長男『うん、楽しい』
私『友達と楽しく遊んでる?』
長男『うん、楽しく遊んでる』
私『勉強は難しい?』
長男『う~ん、難しくはない』
話しかけるとごく普通な表情で返事をする。思い過ごしかと胸をなでおろしていた。
それでも一応妻に
【様子を見ておいて欲しい】と伝えた。
【様子を見ておいて欲しい】と伝えた。
所持品がよく壊れる
やがて、長男が学校から帰る度に、キーホルダーが壊れたり傘が折れていたりと、大きな損害ではないが何かしらが壊れて帰ってくることが増えてくる。
服が破れていたり、妙なところが汚れていたり、ランドセルが泥だらけで帰ってきたり。毎日必ず何か【異変】が続く。
本人に聞いてみても
『遊んでてこうなっちゃった』
『~~くんがこうしたけど、ぼくも遊んでたから』
『遊んでてこうなっちゃった』
『~~くんがこうしたけど、ぼくも遊んでたから』
長男が帰ってくる時が一番仕事が忙しい時間帯なので、【なるべく様子を聞く】よう妻に任せ、しばらく様子を見ることにした。
……が、やがて物が壊れる現象は、家の中でも起こるようになり始める。
家が舐められる
長男が小学校に入学してから、初めての夏休みになると、長男の友達が毎日のように遊びに来るようになった。彼らのやり取りがなんとなく仕事部屋にまで届くのだが、あきらかに様子が以前と違ってきている。
子どもたちの言葉遣いが非常に乱暴。
一年生になり、多くの子供同士で遊び始めると、言葉遣いが荒れたり強がったりすることは男の子の場合よくあること。それは私自身もそうであったから身に覚えのあることだ。しかし、四六時中ということはない。
彼らがいる間、そこにいる全員がケンカ口調。そして、行動も必要以上に叩きつけたり放り投げるような攻撃的な遊びが多く、何かしら『壊れちゃった』の報告が増えていく。
私が顔を出すと子どもたちは神妙にしていたり、バツが悪そうにしていたりするが、妻が行くと止められない。結局、毎日何度も仕事を中断させられ、集中力をそがれていく。そのうち、攻撃的な言動はわが家全体に向けられるようになる。
家の花壇や家庭菜園の畑を踏み荒らされたり、ドアのチャイムをいたずらされたり壊されたり、汚い言葉遣いで何かを要求してきたり。あきらかに『舐められている』。
夫の観察
何度か私自身、他の家の子とは言え、それらの子どもたちを叱ったことがある。……が、彼らにそれをやっても無駄なことはよく知っている。
子どもは純粋なだけに残酷だ。
自分の思い通りに出来る相手や場所を理解すれば、徹底的にそこを食いつぶそうとする。興奮が混じれば余計にそのブレーキは判断できず、知らず知らずのうちにエスカレートしていくものだ。
『その家には怖いオヤジがいる』ことを知っておきながら、『舐めた態度で家に上がれる』状態は、すでに息子がそのターゲットになっている可能性が高い。
『その家には怖いオヤジがいる』ことを知っておきながら、『舐めた態度で家に上がれる』状態は、すでに息子がそのターゲットになっている可能性が高い。
これはある程度現場を確認する必要がありそうだ。ここまでくると子どもたち同志で何とか出来る問題ではなく、ある種の集団ヒステリーのように物事は動き出してしまうからだ。大人が動くには理由が必要になる、それには私自身が確認しなくてはならない。
合わせてそこにいるメンバーが普段はどういった遊びをしているかのリサーチも同時に行う。
結果はこうだ。
通常彼らは遊んでいる時、決して元気な方ではない。わが家に来た時、もしくは長男と遊んでいる時に攻撃性が高まっている。例えば『戦いごっこ』としてゆるいプロレスごっこのようなものが始まり、周りで見ている数人がだんだん白熱、長男が羽交い締めにされて集中攻撃にあう。ふつうなら泣いて嫌がったり、悔しがるところだろう。
しかし、そこで長男は反抗も制止もせず、笑っている─。
遊びから暴力に変わりつつある空気を感じながらも、それがなぜなのか理解できないため、自分が笑うことで冗談に転化しようとする様子が見られた。
それは他の子供達からすれば『嫌だ』という表現にはあたらない。本来ならば嫌だと拒否され、自分の良心や教えられた道徳と合わせて判断し、自分を止められる。しかし、長男が相手の場合、どこまでやっても冗談に変えられてしまうので、彼らの止めどころもない。
それどころか『自由に攻撃できる』のは、自尊心が曖昧な子どもにすれば蠱惑的な対象だ。
また、恐ろしいことに長男本人も、こういったことが日常化しているため、むしろ遊びの誘い方の段階ですでに『挑発』が現れていた。この微妙なやりとりは、どちらかが自覚しない限り止まらない。これは実は大人でも起きている初歩的な社会心理である。
アスペルガーが静かに問題に呑み込まれる理由
そして、妻の【様子見】はどうであったか。
実は妻は早くから息子がなにかしら【殴る・蹴る】されている様子を目撃していた。ランドセルや体操着の汚れの理由も知っていたが、妻は『様子を見ていた』のだ。彼女はこの時、『これは止めたほうがいいのかなぁ、判断にこまるなぁ』と悩み、考えているようでありながら『答えを先送り』にしていたに過ぎない。
これは解決する気が最初はあった。しかし、線を引く位置があまりに曖昧であることが、状況を判断できなくする大きな原因となっている。
先送りにしてしまった段階で、実はすでに問題を投げているのだが、それに気が付けず、心の奥にこびりついた苦手意識のよう処理してしまっているのだ。
先送りにしてしまった段階で、実はすでに問題を投げているのだが、それに気が付けず、心の奥にこびりついた苦手意識のよう処理してしまっているのだ。
つまり先送りした先がどこだかは考えていない。
動き出すポイントが連動してだんだんと奥にいってしまい、気が付くと解決できない所まで進んでしまう状態。
動き出すポイントが連動してだんだんと奥にいってしまい、気が付くと解決できない所まで進んでしまう状態。
これは瓦礫にはまった子猫が、救助隊に怯えてさらに奥に逃げて状況が悪くなる感覚にもにている。
だから彼女は自閉症スペクトラムの特性以上に、自分の息子の相談を上手く引き出すことはできていなかったし、重要な彼の言葉などをほとんど自分の胸にしまっていた。
……まあ、無理もない。
本人が『いじめられている』自覚がないのであれば、それは相談しようがないものだし、それが遊びだと思っているのであれば冒頭の【長男への私からの質問】の答えは、その通りになる。
『学校は楽しいか?』⇒楽しい。
『友達と楽しく遊んでる?』⇒遊んでいる。
『友達と楽しく遊んでる?』⇒遊んでいる。
そして自分の友だちをかばおうとして、事実を自分からしっかり伝えようともしない。つまり、長男も知らず知らずに自ら瓦礫の隙間に潜り込んでいったのだ。
彼の認識では『楽しめて』いるが、心が嫌だと反抗している。それが夜のうなされにつながっていたのかもしれないし、後で妻から聴きだした大きく重要なヒントとなる言葉につながった。
『ぼく、みんなと遊ぶよりおとうさんたちといるほうがいいなぁ』
カサンドラの気持ち
彼の言葉を後で聞いた時、私は後悔と情けなさで胸が張り裂けそうになった。なぜ、最初から私が動いてやらなかったのかと。
我が身がふたつないことを悔やむような発想だが、家族の半分以上がこうして自ら穴に陥っていく行動を頻発していれば、ひとり状況を把握できている人間はどんなに予言しても救うことはできない。
それはさながらギリシャ神話のトロイの王女カッサンドラーのようだ。
恋人アポロンに預言者の能力を与えられながら、
その能力のために、アポロンの愛が冷める未来を知り、相手を拒もうとしたために『信じてもらえない呪い』をかけられた預言者。
その能力のために、アポロンの愛が冷める未来を知り、相手を拒もうとしたために『信じてもらえない呪い』をかけられた預言者。
彼女はどこまで人々を愛し、憂いて未来を予言しても、その結末を知りながら救うことができない悲劇の預言者。
AS当事者と定型のカップルに生まれる感情的・肉体的症状を【カサンドラ症候群】と呼ぶが、これほど私を納得させた由来も他にはない。
この妻と長男の放っておくと落ちていってしまう感覚は、定型の私にオーバーワークを起こさせる原因にもなり、救えないことで感情の剥離が起こる。
信じてもらえない呪いに挑む
状況を把握した私が最初に行ったのは、長男に対し『人間関係の天秤』を教えることだった。まずは鉛筆の真ん中を指で支えて即席の天秤を作り、我慢をすると片方が沈む様子を見せた。
私『友達に叩かれるのは嫌だよね?』
長男『うん。嫌だ。』
私『じゃあ、どうしてお前は笑っている?』
長男『……なんでだろう』
私『それは嫌だっていったら友達が遊ぶのをやめちゃうと思っていないか?』
長男『……! そうかも!』
私『じゃあ、今はこの天秤みたいにお前が沈み込んでいるってことだ』
長男『うん。そうだね。』
私『お前が嫌だとハッキリ、へらへらしないで真顔で言わないと、みんな分かってくれない。』
長男『…うん』
私『で、我慢しすぎると天秤が偏りすぎて壊れる』
下に落ちた鉛筆を目で追う長男。
私『この天秤は【楽しい】と【嫌だ】の天秤。ぶっ壊れるのはお友達でいることすらできないってこと』
長男『!』
私『じゃあ、明日から頑張って真顔で嫌だって言ってみよう』
長男『うん。』
……表情は明るい。眼の色に演技がない。よし、伝わった。
長男の場合、依存が強いので解らなくてもその場の空気に合わせて返事をしたり、わかったふりをしてしまう。そして今回、私がこの天秤で説明したのには2つの意味があった。
ひとつは『嫌だ』を理解させ、自分でしっかり発言させ、本人に人付き合いを教えるため。もうひとつは、今後より彼の『自分』を強く認識させるための、私が仕掛けた汚い罠。
結果がどうなるか? ここまで冷静に行動している私が、理性的な父親だと思うだろうか?
いや、私は冷静に深く怒っていた。
この罠が上手く発動することを待ちわびながら。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~いじめとの闘い~
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