妻
書いてある内容をちらっと
娘の手がかり
『アスペルガー症候群』のキーワードを知ってから、私は連日食い入るようにネットで検索し続けていた。
当時は『アスペ』などの言葉を、ネットや掲示板でちょくちょく見かけるようになってきていたが、その時まで私はその言葉を【ちょっとした社会性に苦手の多いタイプの分類】くらいにしか思っていなかった。
まして自閉に関連する社会障害の話だとは、全くわかっていなかった。
娘との共通点は確かにある。しかし、色々と重ならない部分もあり、私の中で精神障害への疑いも晴れていなかった。
なぜなら
・情緒に季節的な波、週の波、1日の波がある。
・父親への依存傾向が特殊で、共依存状態を仕掛けてきている。
・注目されることに対しての欲望が強く、常に演技がかっている。
・父親への依存傾向が特殊で、共依存状態を仕掛けてきている。
・注目されることに対しての欲望が強く、常に演技がかっている。
など、『パーソナリティ障害』の方が一致する点が多かったのだ。
しかし、それは彼女が『アスペルガー症候群ではない』という証拠にはならない。私はノートにASに見られるとされる特性や傾向を書き出し、それに一致する娘の行動を合わせてみた。
この頃は検索しても子どものアスペルガー症候群に関する、チェック項目などのデータが少なく(今は結構簡単に見つかる)、大人のチェック項目に合わせていくしかなかった。
娘(4歳)が幼すぎて、社会性の部分での判断が想定しにくいが、現時点での行動の本質を見極めながら作業を進めていく。もちろん、幼いから出来ないことなどは考慮しつつ、彼女の性質からの判断となった。
……結果、およそ8割の項目での一致がみられた。
(ちなみに当時、ごっこ遊びと再現遊びの見極めは知らなかった)
(ちなみに当時、ごっこ遊びと再現遊びの見極めは知らなかった)
そして、信憑性うんぬんは抜きにして、いくつかのネット上の『アスペルガー診断』を娘のふだんの行動を元に受けてみる。
……ことごとく閾値を越えて『診断を受けましょう』などの答えが出てくる。
一応私は妻にも『娘になったつもりでやってみて』と、いくつかの診断を受けさせた。細かな部分での彼女の行動真意が読めない妻でも、一致するか確かめるために。
そして結果は全て『診断を受けましょう』。
目に見えぬものとの闘い方
妻との話し合いが始まった。うつ状態で頭が非常に重く、起き上がるのも億劫だったが、この話し合いがどれだけ将来に渡って重要であるかぐらいは分かっていた。
【娘に障害があるのかもしれない】
情況証拠がそろっていっても、妻は非常に落ち着いていた。取り乱すでも、感情的になるでもなく、ただただ冷静に『納得がいった』と一種独特な清々しさが漂っている。
それは私も同じことだった。いや、私の場合、すでにこの時、『疑い』では済まないことをハッキリと予感していた。
一応、私が娘を判断するためにまとめたノートを広げ、妻との見解を合わせてみる。
勘違いや思い込みなどではない、全てのピースがはまっていく感覚が私達を満たしていく。
もう、私の気持ちは決まっていた。そして妻に告げる。
『明日から、病院の情報を集める必要がある。
なるべく情報が多く、経歴がはっきりしている病院を、遠くてもいいからまず探すこと。』
なるべく情報が多く、経歴がはっきりしている病院を、遠くてもいいからまず探すこと。』
『まだ、僕らの勘違いがある可能性もあるから、今からふたりで情報を集めて勉強する必要がある。ただし、これは無駄に終わっても構わない。意思統一のためだ。』
『もし、幼すぎて診断がつかなかったとしても、また、あの子がそうではなかったとしても。今問題が目の前にあることに変わりはない。どっちみち療育などの専門的な対応には触れていく必要がある。』
初診までの1ヶ月
病院の選定にはさほど時間はかからなかった。
いくつかをピックアップし、すぐに車で50分程度の場所に、理想的な診療所を見つけ出した。
いくつかをピックアップし、すぐに車で50分程度の場所に、理想的な診療所を見つけ出した。
しかし、予約で一杯の状態。最初の問診と顔合わせまでの1ヶ月待ち。
私達にとってはさらに情報を精査する、貴重な猶予となる。出産からの育児日記や、妻のスケッチブックを開きながら、問題行動と印象的だったやりとりなどを書き出していった。もちろん、思い込みを排除するために、その出来事が単発だったか、常習的なつながりがあったかもチェック。
1週間程度で原稿用紙10枚程度のレポートが出来上がった。
診療所からの必要提出書類などが届き記入。先のレポートと合わせて返送。気がつけばあっという間に1ヶ月が過ぎていた。時期的にはちょうど娘の安定する1~3月時期、私も妻も安定していた。何より、今までこれほど娘を理解する手がかりに恵まれた時期はなく、奇妙な充足感が私達にはあった。
娘の診断結果
初診日は顔合わせ、担当医と心理士の先生との個別問診で終了。その後数回に渡って面談と聞き取りから、3歳までの様子を元に情報を集めていき、その一週間後、ウェクスラー式知能テストを中心とした、いくつかの診断テストと共に、アスペルガーの診断が行われた。
診断結果は数日後、仕事の都合上、私一人で受けに行くこととなった。
診断結果は
自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群)
知性などの遅れは見られないが、情緒面での遅れがややあり。
極穏やかに診断結果を告げられ、そのまま診断関連の書類作成に立ち会った。胸のつかえが取れたような、長年のシミが取れたような……。幾つか担当医師とやり取りをしながら、書類が作られていく中、私には冗談を交え歓談できるほどの余裕があった。
よく、お子さんの診断を受けた保護者の方の書き込みで、【泣き崩れた】【得も言われぬ不安に襲われた】という心情を目にしていた。
では、私はどうだったのか?
スッキリしていた。
やっぱりね。と、大きなイベントをやり遂げた後の、実行委員の胸中の様に、冷徹なほどに清々しく。
娘の障害が判明してスッキリ?
【人として、親としての心がないのか?】と思われる方がいるかもしれない。しかし、あえて正直に言おう。私はスッキリしていた。
【人として、親としての心がないのか?】と思われる方がいるかもしれない。しかし、あえて正直に言おう。私はスッキリしていた。
むしろ診断がつかなかったら、私は逆にとてつもない不安に押しつぶされていたかもしれない。
なぜなら、診断がつくなら
まだ、闘える─。
この家庭を歪めている現象が、娘の性格のせいでも、私のしつけのせいでも、妻の無力さでもない。一定の基準に基づいた前例のあるものであれば、そこには先人の知恵も対処も心構えも説法も、きっとそこに存在している!
今まで、子育ての本もサイトもタイトルすら見ずに、かたっぱしから読み込んだ。そして、自分の考えを改めてみたり、新たな一歩を見つけようとしてきた。中には一方的に『抱きしめる愛』ばかりを親に押し付け、ただただ子どもの自由しか謳わない、結局子どもの将来の自由を奪ったような啓蒙書までも。しかし、それら全ての試みは失敗に終わり、すでに一般的な育児の知恵などでは手に負えない所まで来ていたのだ。
私にとって、娘の本質を理解できたことは具体的な戦いに満ちた、家族や自分が摩滅するだけではない道への、初めて掴んだ希望だった。
【つづき】⇒~最低限の体力~
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