妻
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病床の手記
この手記は今、病床に伏せる私の手によってまとめられている。
師走の半ばに倒れ、一度は回復するも再度同じ症状に倒れてしまった。症状も原因も同じであり、またこの病は数年前にも二度発症し、一度は入院、一度は自宅療養で乗り越えた経緯がある(過去記事⇒06:アスペ妻の記録~夫の限界~)。
身体から発せられる何らかのサインを見逃し続けると、慢性的な症状として残ってしまう事があるが、私の場合はストレスが直接内臓に響く体質となってしまったようだ。
診断名は『大腸憩室炎』だが、これまで診断に関わった3人の医師は、口をそろえてその原因を『ストレスでしょうね……』とお茶を濁した。
大腸憩室炎とは、10人に1人の腸壁にあると言われる憩室(腸壁の一部にイボの様に突出した部分があり、内側は小さな窪みや部屋の様な隙間ができる状態)が、何らかの原因で炎症を起こすものである。炎症は腹膜にまで広がったり、腸壁に穴を開けショック症状に至る危険性もある。
起こる原因としてよく言われているのは、便秘・刺激の強い食事・過度の飲酒などが引き金となり、菌が繁殖してしまったり、窪みに老廃物が溜まり糞石となり、その圧迫や刺激で炎症をおこすとも言われる。
私の場合、原因となる糞石は見られず、便通も食生活も問題はない。さらに憩室の数や形状も問題となるものではなく、炎症も急に広範囲に現れる。最初に発症した時に憩室の部分が強く炎症していたことから憩室炎となったが、その直接的な物質などの原因は結局不明なままである。
ただ言えることは、過去に倒れた2回も、今回の連続2回も、それがストレスや過労からくるものである事は、家族の状況的に一致している。
再発
振り返れば夏終わりに起きた長男のパニックから、次男・娘共に入れ替わり立ち代り、何らかの問題が起きていた。妻はその間、目覚ましい成長や気付きを起こし、習慣や物事に対する受け答えなど短期間で考えられないような変化を遂げてきた。
夫としてそれは頼もしい限りだし、共に考え歩める様になったことは、とてつもない幸福感がある。しかし、ここまでの変化も、その裏側にはその起点となる問題や揺れがあってからの流れである。つまり去年の夏以降、ある意味で常に気の抜けない瞬間が延々と連続していたことになる。
特に12月に入ってからの娘が抱えた【家族との距離感】の問題は、次男も巻き込み毎日のように胃の痛むこじれ方をしていた。
この1年、娘が今までにない安定を得て、時に家族の営みの中に自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)という言葉を忘れてしまえるほどの成果が出てきていただけに、その喪失感はなおさらだった。
それらもようやく一息ついて、さあ、仕事納めにもうひと踏ん張りといったところで、どこか覚えのある“胃部の激しい痛み”が襲いかかってきた。同時に吐き気と下痢・微熱が始まり、やがて痛みの位置が移動し右下腹部に集中し始める。
妻『あれ? 夕飯食べないの?』
昼ごろに始まった違和感が夕方まで続き、痛みの位置が確定したのは、夕食の準備も終わり、家族分の配膳を済ませた辺だった。
私『いや、ちょっと止めとくわ。キッチン周りの片付けしたら、ちょっと部屋で休むよ。何か疲れたみたい』
妻『そう……大丈夫?』
まだ確定したわけではないが、もう三回目。私の場合は胃に違和感を受けた時点から絶食を開始し、なるべく早くに抗菌剤の投与を始めるのが良いと経験から学んでいる。お守り代わりにと処方してもらっていた抗菌剤と整腸剤を飲み、その日はそのまま床についた。
気が抜けた。一言にすればそんな感じだろう。
パニックの連鎖
翌日、すぐに診察を受け、以前と同じ診断と処方をもらい帰宅。早く処置をしたのがよかったのか、症状も比較的軽く、【歩くのが辛い】程度の痛みで済んでいた(以前は息をするのも辛いくらい⇒09:アスペ妻の記録~夫、再び倒れる~)。
ところが、妻の表情が酷く硬い。初めての入院の時よりも、再発を告げた時よりも、硬く重苦しい表情で会話にも反応が鈍い。
妻の硬直はそのまま夕方になっても解けることはなく、子供たちが帰ってくる時間になっても、そのパニックは続いていた。
私『大丈夫? ごめんね、こんな時期に再発しちゃって。でも、今回は早くに対処したから安心だし、これ以上酷くなることもないと思うから安心して?』
妻『……うん……』
私『ん? それとも何か違うことが気になってる?』
妻『……いや、なんでもない』
いや、なんでもなくはないだろう。明らかに表情は硬いし、同時進行で何かを考えようとしてメモリがアップアップになっているような様子が強く出ている。パニックだと考えて間違いないだろう。しかし、ここまで急激に反応が鈍くなるような状態の場合、何らかのショックや動きがない限り、彼女から胸に抱えている“それ”そのものを口にすることもないだろう。
今はこれ以上余計な負荷を持ちたくはない。妻には悪いが、それ以上のフォローもせず、私は引くことにした。
しかし、私の思いをよそに、昨日夕食を共にしなかった事、また母親の反応がいつも通りでない事を、必要以上にとらえてしまうのが、わが家の娘である。
まず、帰宅して私と顔を合わせるなり、急速に何かを考えようとする戸惑いの色を浮かべ、また、母親からそのフォローもない事にどんどん集中していってしまう。
ここで何らかのアクションを起こさなければ、そのまま娘は必要以上の意識にとらわれて、数日もかからずに硬直し切る所まで突き進むだろう。だが、ここでのアクションを間違えれば、一瞬にして硬直まで落ち、そこから這い上がるためには非常に強い刺激が必要になる。
───それにはこちらにも大きな体力が必要だ。
これはもう今まで何十~何百と繰り返されてきたパターンであり、それがこの1年、ようやく起こらずにいたものが、年末に差し掛かり一気に当たり前のように復帰したのだ。さらに折り悪く、次男も最近つられて不安定になりがちであったのが、クリアできたのがほんの少し前。まだほとぼりが冷めていない時期である。
私の再発から二日後には、この時に予想した嫌な予感は全て実現されることになる。私が病気になった事と合わせ、それはもう見事なまでに娘は数日前の激しい硬直状態に落ちていってしまった。
静かなクリスマス
私の再発から3日目、娘がパニックに一気に逆戻りしたその翌日、妻ははたと我に返った様に調子を取り戻した。本人曰く『自分も体調が悪く、どうやら風邪のひき始めだったらしいのだが、どっちとも言えない症状であった上に、具合の悪い夫に話していいものか迷っていた』との事。
……なんともタイミングの悪い。
これがもう少し強い風邪の症状であったら、彼女はそれを相談してくれただろう。いや、もう少し軽い症状だったら、気を入れ替えることで平常通りの彼女のままでいてくれただろう。また、妻のこのタイミングが後一日早いか一日遅ければ、娘がパニックに突き進むあの瞬間を、二人で協力して乗り越えられたかも知れない。
まるで低いところに転げ落ちるように、最初から家族がそう動くのをプログラムされていたかのように、物事が娘の硬直を起こすために流れていくかのように……
いや、言うまい。環境の変化に敏感な娘が、こうした何らかの【さあ、これから!】とか【今だけは何も起きてくれるな……】という状況が差し迫ると不安定になるのは、そういう仕様なのだと言われても納得出来てしまうほどの頻度で起こる。
それは今までにない安定を手にした今年中も、要所要所で起こしていたのだ。
さらにタイミングが悪かったのは、娘が毎年不安定になる引き金となっていたクリスマスが目前であったこと。
娘は年末のイベントの重なる時期の環境変化はもちろん、【サンタさんは良い子のところにやってくる】という言葉に、必要以上にとらわれ、そして追い詰められる。
今年は非常に大きな安定を手に入れていたのであるいは……と考えていたものの、もはやその淡い期待はなんの意味もなさないことは明白だった。
───娘は帰宅すると、完全に硬直・思考停止するようになってしまった。
その姉の様子に戸惑い、また私の表情と姉の表情とを読み取ろうとしたり、平常心を取り戻そうとかえって躍起になってしまう次男もまた、夕方以降の体力を維持できないようになっていってしまう。
娘だけ隔離しようにも、すでに次男の緊張が始まってしまった今では手遅れだ。結局、保育所からの帰宅後、軽食と軽い入浴ですぐに寝室へと2人は隔離せざるを得なくなってしまった。
クリスマス当日に近づく程に硬直を強めていく娘に、もう私が打てる手は残されていない。しかし、これも例年のことだが、娘は前日にはにわかに落ち着きを取り戻し、当日だけはパーティーにのみ楽しむ心持ちを取り戻すことがある(完全に潰れる年も何度かあったが)。
今年もそのようで、気持ちを切り替えられないまま置き去りにされている次男を他所に、娘はクリスマス・イヴ前日から、スイッチが入ったように平常運転に戻った。
結局、私は絶食のままなので完全に裏方に徹し、キッチンで用意するだけ用意。子供たちだけでもと考えたが、次男はやはりどこか表情が硬いまま、妻も私も疲労の色が隠せず、長男もそれを理解しているだけにどこか大人しい。
娘ひとり何事もなかったようにパーティーを楽しんでいたが、次男のこともあり、早めに切り上げることとなった。
夫の決断
クリスマスパーティーが終わり、翌日には娘の硬直モードは当たり前のように復帰されている。これも例年の事。彼女の事をよく知る前までは、この手のひら返しにも正直ショックを受けていた時期がある。
二年前までのわが家のように、静かな緊張と違和感に満ちた、薄暗い年末の空気が漂っていた。
私たちの住む地域は、冬は天気が荒れることが多く、また雪が多い。ただでさえ雰囲気が悪くなる中、外の空気を吸いに行くこともハードルが高くなり、屋根に積もる雪の重さが段々と重圧をかけてくるようにすら感じられる。
また、こうして娘が家族の距離感に何かしらの問題を抱えている時は、離れすぎても復帰が難しくなり、近づきすぎても疲弊させてしまうという非常に難易度の高い関係が要求される。これから過ごす年末年始・冬休みの期間がどうなるものか、すでに予想が立てられてしまうだけに辛くなる。
そんな中、妻が実家の義母へと電話を掛けていた。義母が子供たちにクリスマスプレゼントを贈って来てくれたので、取り急ぎそのお礼の電話だった。
妻『ああ~、年末ね。帰りたいんだけど、ちょっと今年は夫さんが病気を再発しちゃったから、ちょっと無理だと思う。ごめんね』
そんな言葉がたまたま耳に届いた。私の実家にはすでに“今年は帰れない”と連絡してある。私の病気のこと、そして子どもの不安定状態のことも含めて。当初の予定では妻の実家により、また私の実家にもより、今年の安定具合を報告する予定だったのだが……。
と、その時、あることがひらめいた。
(まてよ、俺は移動するのは難しいし、無理してもかえって子どものためにも自分のためにもならない。でも、妻と子供たちだけで、ちょっとした旅行気分で彼らだけを行かせたら、多少のリフレッシュになるんじゃないか?
今までの娘の成長度では不可能だったかもしれないけど、今は不安定とはいえ、そういう行動は無理ではない。上手く行けばコロッと違うモードで実家での時間を過ごせるかもしれない。
妻は里帰り、義母は喜び、子供たちはリフレッシュ。俺は一人優雅に絶食~おかゆの豪華な寝正月! いやっほう!)
後半のテンションを抑えつつ、電話を切ろうと話をまとめに入っていた妻にアイコンタクトを送る。
妻『ん? どうしたの?』
私『もしご迷惑じゃないのなら、君たちだけでご実家に行くのもいいんじゃない?』
妻『え? でも身体、ひとりで大丈夫?』
私『大丈夫も何も、薬のんで寝てればいいんだし、全く問題ないよ。俺の事は気にしないで、行くといいさ。子供らももう年齢的に大丈夫だろうしね』
妻『そっか……、うん、ありがとう。……ああ、お母さん? 夫さんが私と子供たちだけでもそっちに帰ったらどうかって。うん、その方が夫さんも一人で楽だろうしね。うん、うん』
雪の重みと鉛色の空の中、重苦しい家族の雰囲気に発想力が落ちていたのだろうか。妻と子供たちだけで動けるだけの成長をしていながら、その答えが浮かんでいなかった。
思えば一人で過ごす正月など何年ぶりになるのだろうか。いや、これが初めての体験かもしれない。とにかく私は初めての一人の年末年始と、結婚後初めての休暇を得られることとなった。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~妻の里帰り~
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