ASDでACの妻と
アスペルガーのこども2人を持つ
定型夫の研究帳を公開します。

Category:軽度アスペ・ACな妻

アスペ妻の記録~愚者の縮図~

2014-05-30 Category:軽度アスペ・ACな妻

積み木の塔

昼食後、長男が眠そうにしていたので昼寝をさせ、食器を片付けている時に妻は娘と次男を連れて保育所から帰ってきた。
妻の後ろで硬い作り笑顔を浮かべたまま目をそらし、状態をゆるやかにロッキングさせている娘。妻は硬直している娘に一瞥もくれないまま、カウンターにもたれかかり、保育所の様子を語りだした。
妻『来年度からの教室は~~になって、持ち物は~~になるんだって』
…………発表会の話ではなく、来年度の話?
何かがおかしい。現に自分の後ろにピッタリくっついて、完全にフリーズしている娘に気がついてもいなければ、世話もしようとしない。
私『とりあえず、帰ってきたんだから、荷物下ろそうか』
妻『……うん? うん、そうだね』
いつもなら母親に指示を出されるはずが、今日は放置。自分がどうしていればいいのか分からなくなった娘は、さらにパニックを深め、状態の揺れと作り笑いのあからさまな様相がどんどん大きくなっていく。眼にはもう光がない。
ここで私が話しかけると、確実に大きな混乱になり、1~2週間の落ち込みにつながる。このクリスマス前の不安定時期に、それは致命的な段差になりかねないし、今までこれを避けるために努力してきたのではなかったか?
妻は娘のカバンなどを取り、次男の世話をしながら、しきりに洗濯機の様子を見に行っている。疲れて眠そうな表情の次男。加速度的に自分の思考にとらわれていくのが目に見えてわかる娘の姿。思わず口をついて出てしまった───。
私『ちょ、ちょっと?』
娘『………………!? ビクン! ガクガクガク……』
娘の眼が声を出した私をとらえた。
心の声が聞こえたのなら、
(見てしまった! えっと、チラチラ見て顔色うかがっちゃいけないんだった! 今のはダメなの? でも見てしまった、お父さんを見てしまった! 正される注意される怒られる! また間違ってしまった!)
とでも思っていただろうか?
いつもと違うイベントの後、ただでさえパニックになりやすい条件が揃っている上、父親を意識し過ぎることがいけないことだということを意識しすぎた娘。これは普段の私たち夫婦なら、かんたんに予想がついていたことだ。
そして、こういう状況でもっともやってはいけないこと。それは私が娘に話しかけること。
この時、まだ私は娘に話しかけてはいない。しかし、彼女は私の存在を【意識したか・していないか】の判断に全力でとらわれ、思考のループにはまりながらもその表層的な考えに心奪われている。そんな状態の時に私が一声でも発せば、それは自分に向けられたものだと、すぐに勘違いしてしまうのが彼女の特性。
───しまった!
そう思ってももう遅い。私が妻に向けて発した音声は、もう娘にとっては自分を断罪するための、評決の木槌の音にも聞こえただろう。
おずおずと私の方に体を向け、私の顔を見ながら数メートル先に焦点を当てるような虚ろな眼。ゆらゆらと大きく体を揺らしながら、首を左右にクネクネ曲げだす。顔は不自然に力の入った満面の作り笑顔。顔色は蒼白
この数カ月の安定は、稚拙な積み木の塔の様に、ほんの些細な振動で音を立てて崩れだした。
妻のもとに行こうと立ち上がると、娘はビクンと大きく反応し、背中を向けた。もう遅い、もう遅いが今はとにかく妻に的確に動いてもらう必要がある。洗濯機にわざわざバケツで残り湯を汲もうとしている妻を止め、指示を出した。
私『洗濯なんていいから、今は娘たちを昼寝させてやってくれ!』
妻『……? うん』
妻は訝しげな色を浮かべ、子どもたちを着替えさせる。
娘は一刻も早く私から離れようと、次男を待たずに対面の壁沿いに擦れるように避けながら、廊下へと出て行った。
雨が一段と激しく屋根を叩きだした。

妻は自分を責めた。あの時、どうして娘の様子を見ようとしなかったのかと。なぜ、禁じられていた洗濯をあの時優先してしまったのかと。あの時妻は、娘が発表会で問題を起こさなかったことに安堵し、緊張の糸を完全に断ち切ってしまったのだ。その結果、ここまで徹底してきた、子どもとの関わりなどの続けるべき根本的対処まで放棄してしまった。妻はあの時、瞬間的に娘にするべき対応も含め【全てが終わった】と勘違いしたのだ。
この自責にとらわれ、立てなおそうと思案を巡らせることに縛られ……、そして黙り、こわばり、視界が狭くなっていった。
ここ数ヶ月の流れなどどこにもなかったかのように、分かりやすいほど全てがゼロの状態に戻っていた。日に3回の『ほう・れん・そう』もおざなりになり、夕方以降はやらなくてもいいような家事に没頭して、子どもの様子が眼にはいらない。
娘は母親が声がけをやめたこと、やるべきことを教えてくれないことで、不安症様なこわばりや緊張が増えていく。また、元のよそよそしい態度が復活した。
長男は安定しているものの、母と妹の空気と私の疲れきった表情を察知して、なにかしら盛り立てようとしたり気を使いすぎているのが分かる。これは遅かれ早かれ、疲弊して彼自身が潰れるだろう。私が笑顔を見せれば多少安心した顔に戻るし、彼が気にすることではないことを、様々な方法で伝えた。
しかし、その時は納得しても、私が少しでも真顔になれば不安に駆られたように話しかけてきたり、気まずそうに『どうすればいいんだろう』と考えこんだりするのが手に取るように分かった。
実は疲弊している時には、長男のこれが私の精神にとって、一番重荷になってしまうことがある。
それは常にこちらに気を使う彼に対し、こちらも気を使い、笑顔でいることを強要されるからだ。私は常に彼にも気を使いながら娘と次男の様子を観察し、妻に最適な対応をしてもらうために答えを考えなければならない。彼は私が動く度に、身を翻して私の表情を確認し、一喜一憂してくる。
本来、安心できる家を与えるはずの親が、ここまで子どもに顔色をうかがわれるとなれば、大黒柱としては失格だ。子どもにすら迷惑を掛けてしまっている。
うつ傾向が出ている時はよく、この考えに追い詰められてきた。
長男の願いは父親が笑顔でいること。これに従えば長男は表向き落ち着く。しかし、そのやりとりを見て、今後は娘が考える。
わたしも、わたしもお父さんとかかわりたい───!
この欲求の発端は、すぐさま激しい葛藤へと転化していき、新たなフリーズを生み出す。勝手に考え、勝手に葛藤し、勝手に絶望し、勝手に怯える。
分かっていてもこれが止められない。今、また会話を聞けない状態に逆戻りしている時期だからだ。これは単なるパニックなのか、それとも上手く行かなかった時のフラッシュバックが起きているのか、それともタイムスリップを起こして、自分が思考も対応もできない状態に引き戻されてしまっているのか……。今はそれを確かめることさえできない。話しかけるだけで青ざめるほどに怯え、硬直し、離人を起こして無反応になる。
こうなってしまった娘は、距離感の取り方が非常に難しい。こればかりは療育の先生でも、専門の小児科医でも答えが出せなかった。幼いうえに独特の特質があり、複雑に絡み合った認知のズレが、彼女自身、自分の考えを理解できないようにしているからだ。ふつうの定型の子であれば、抱きしめ優しい言葉をかければ落ち着いてくれたかもしれない。しかし、彼女はその私の行為すら【想定と違う答え】となり、パニックを起こしてしまう。何年かすれば急にこのつまりは流れだすかもしれない。しかし、それは何年後になるのか見当もつかない。
この地方の冬は雨天が多い。世間は明るいクリスマスムードに進んでいく中、私たちはどんよりとした、とらえどころのない暗がりでお互いの足を取り合っているようだった。

初めてのクリスマス

妻は自責から硬直し、娘は欲動の自家中毒を起こしてパニック、長男は空気を読みすぎて不安症様な混乱を起こす。
まず、どうやって元の流れに戻すか──。
しかし、事態はもう変化している。以前の手法では通用しないかもしれない。娘は記憶力が高く、一度上手くいっていたものが失敗すると、今度はその失敗にとらわれてその方法を受け付けなくなる。もう一度、妻の声を信頼し、その提案に従おうとするかどうか……。
このパターンは何度か今までも起きていた。
上手く行き始めると、小さな、ごく小さな失敗でその手法ごと無駄になってしまう。また、新しい方法を考えださないと、今までの方法がなんの意味もない、場合によっては逆効果になる悪手になってしまうのだ。
本来、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)のマニュアルとしては、【生活や親の対応をあまり変えないこと】が挙げられる。ただ、わが家の娘の場合、この特質が大きな壁になって立ちはだかる。親がとる対応の意図を読み取れないのに、意図があることだけは敏感に察知し、そうされることを嫌がってしまう。これがわが家が対応の本道にもっていけない大きな原因の1つでもあった。
そんな中でも仕事は来る。頭でクリエイティブな仕事と、ネット関連の技術的な作業を行いながら、同時に家族全体のバランスを取れる新しい一手を考えなければならない。
ふと、耳がつまる。
───嫌だ、今は絶対に倒れられない。働かない頭のかわりに、スマホのメモアプリに考えを箇条書し、取捨選択しながら思考。眠れない夜を過ごし、朝起き上がれない体を無理やり起こす。
また一からだ。0ではない、一からだ。それでいい、少しずつ進めるなら何度だってやってやる。今までだって少しずつ進んできた。それさえ信じられれば心は保っていられる。
当面妻には、私と娘との接点を極力減らし、元の方法【日に3回のほう・れん・そう】などを復帰させ、子どもの世話やケアを主体で動いてもらうことにした。指示は私が出し、妻が遂行する。また前の通りの方法。ただ、今は彼女に余計な思考を入れられると、かえって家庭が停止しかねない。そのために方法論は今までどおりだが、説明の仕方を変えて、妻の反応を確かめながら事を進めた
娘に対して全く顔を見せない場合、それもパニックの元となるので、夕食を作る役だけは絶対に続けていこうと決めた。ただ、一緒にいると硬直して食事をとらなくなるので、作り次第退出するしかない。私がリビングに現れると、娘はあからさまに硬直したり、気を引こうとはしてきたが、私は彼女の行動に余計な意図があるかぎり、一切正面から受け止めず、食事を作り仕事部屋に戻ることを繰り返した。
まずは安定した時間を作り、娘自身の心の波を小さくすることが先決だからだ。
この読みは正解だった。段々と娘の硬直が和らいでいき、発表会前ほどとはいかないが、やや安定した状態にまで戻ってきた。娘が誕生してから5年、今までクリスマスを家族揃って祝えたのは2回しか無い。激しいたそがれ泣きや、毎年訪れる12月の超不安定な波が問題となり、娘は家族と一緒にいることすら出来なかった。その祝えた2回だって終盤怪しくなり、嫌な雰囲気で幕を閉じた。
そして、このクリスマスは、初めて最後まで和やかなムードのまま、一度も無意味に嫌な空気も流すことなく終えることに成功した。
聖夜の奇跡。よくこんなロマンティックムードみえみえな題材のドラマや映画が存在するが、うちの場合はちょっと違う。
長男誕生からの動乱を含めれば、およそ7年間で初めてのふつうのクリスマスが送れたのだ。奇跡的に聖夜が楽しめたという悲しいことではあるが、なんとかつぎはぎでもここまで辿りつけたのだ。

師走

クリスマスの翌日、娘は手のひらを返したように、私への意識しすぎる態度を復活させた。よそよそしく、わざとらしく、意識に意識を重ね、緊張して潰れ、フリーズし、泣きだし……。
あまりにあからさまに態度を一変させたあたり、クリスマスパーティーに参加したいがために猫かぶってたんじゃないのかと疑念が首をもたげる。いや、単純に緊張の糸が切れたのかもしれないし、あまりに楽しかったからもう一度来ることを願い、そこに生まれた欲動が整理できずに混乱しているだけだろう。そう分かってはいても、ここまで分かりやすく手のひらを返されるのは、どうしても遺恨が残る。
【本人に悪気はない】その言葉をただただ信じようとするしかなかった。
私は再度、娘との接点を最小限に抑え、自分の仕事に没頭した。その間も妻からの報告を受けながら、子どもたちへの対応を思案し、調整をはかり続けた。
ここでも成果は得られて、娘はだんだんと安定を取り戻していった。毎年この時期になるとイベントが少ないために、少し落ち着き始めるのだが、彼女はようやく混乱が無意味なことであることを少しずつ理解し始めているようにも思えた。
例えば私と同室にいる場合、一度別室に出てから戻ってくるとすぐに硬直していたが、どこかそのプロセスがぎごちなくなってきている。明らかに、ちょっと疑問に感じながら、後は思い込みでトライを強引に決めに行っている感じ。
妻は相変わらず、安定してくると安心しきって気を抜いたり、思考停止すると自分でそのまま諦めていってしまうクセが残っていたが、以前よりはかなり意欲的に向きあおうとする点が見られた。
これは彼女自身、自分の弱点をしっかりと把握し始めたことと、私自身も彼女の【できること・できないこと】を理解したことが大きい。
それでも週に1~2回、子どもの事で反応が鈍くなる日があった。その度に、なぜ硬直したのか、どうすればいいのかを一緒に考えることで、ケーススタディを済み重ねていた。
長男は一足先に冬休みに入り、私は今年中に終えるべき仕事を終え、数日に分けた大掃除も完了。私は妻と長男を連れて、近くにある大衆温泉施設に行くことにした。下ふたりを預けている手前、長くは楽しめないが、せめて1時間くらいはリラックスして垢を落としたい。
長男を連れてはいるが、彼はこの施設は何度か来ているため、おかしなことにならないことは分かっている。
……しかし、私は浅はかであった。妻が娘の発表会に慢心して、大事なことを見落としてしまったように、私もこの時、長男の習性を忘れてしまっていた。
長期休みの間は、表面上ふつうにしていても、親との距離に敏感になる。【お父さんお母さんを独り占めできる!】この想いが強すぎて、おもちゃ屋さんで起こす混乱に似た、【うれしいパニック】が起こりやすい。最近、彼が安定していたことで、私も慢心し彼のこの弱点を忘れきっていたのだ。
途中施設内のゲームコーナーに気を取られ、一発で目が座りだした長男は、もう正常な思考をすることはできなかった。
『いつまでここにいるの?』
『もう上がっていい?』
『おとうさん、まだ入ってるの?』
いつもの彼ならこんな事は言わず、彼も温泉を楽しめるのだが、今日は違った。落ち着かせようと何度か話したものの、彼はその時は納得して落ち着くのだが、違うことに気を取られるとすぐにまた元に戻ってしまう。結局、ろくにお湯に浸かれないまま、ウロウロする彼を捕まえ、ゲームコーナーで気が済むまで遊ばせた。
今度はそこで手に入れたおもちゃに夢中になり、今、手の中で遊んでいるものの、【家で本気で遊びたい】と考え、帰宅することで頭がいっぱいになってしまう。どうやら自分のおもちゃと合わせて遊びたいらしい。
彼がここまでスイッチが入るのは珍しい。いつもなら、自分がどうしてそういう落ち着かない気持ちになっているかを理解すれば、すぐに混乱から冷めてスイッチが切れる。しかし、この時の彼は数分ごとにスイッチが入っては戻り、スイッチが入っては戻りを繰り返していた。
しばらく時間を潰して、湯を満喫した妻と合流したが、妻はその彼の様子に一切気がついていない。……もういい。気を取り直して、私たちはその施設内の食堂で昼食を済ませることにした。メニューが豊富で長男の好きなモノがたくさんある。今までも湯を楽しんだ後は、ここで軽食をとったり休んだりしていた。いつものこの場所だったら、もしかしたら食べ物に気持ちがむいて、落ち着いてくれるかもしれない。
しかし、そう上手くはいかなかった。ゲームコーナーでもう一度遊ぶ、もしくは家に帰り、手に入れたおもちゃで遊ぶという考えに夢中になっていた。
彼がとった方法は【今ここにいる事を否定することで、自分の考えに誘導しようとする】やりかた。
『いつまでここにいるの?』
『ここはつまらない』
『いつまでごはんたべてるの?』
それらの否定的な言葉に妻は一切反応しなかった。意識がそこに向いていないため、耳が拾おうとしていない。
私『今日はさ、お父さんたち凄く疲れちゃったから、ゆっくりするために来たって言ったよね? そういう言い方しても気分が悪くなるだけで早くは帰らないし、ゲームコーナーももういかない。さっきも説明したね?』
長男『……………………うん』
一瞬、妻の表情が変わった。
何かが起きていたことを理解したようだが、それが何だったのか分からないといった表情。しかし、何があったのかを聞こうともせず、『子どもに意識的でなかった自分』という、あまりに抽象的で曖昧な括りで自分が動けていなかったことを否定的に考えだしてしまう。また自分のミスだと決めつけ考え込み始めていた。
目が座ったままの長男。オロオロから段々と眉間に力が入っていく妻の表情。
私『いや、長男はゲームコーナーで遊ぶか、このおもちゃで家で遊びたいだけなんだよ。その為に嫌な言い方をして早く帰らせようとするのはおかしいって、今注意しただけ。気づけなかった事を気にしないでよ。今日はうちの締めなんだから』
妻にそう説明したが、もう遅かった。
彼女の頬骨の辺は白く、目の周りは赤く。自分を恥じた時にする、独特な顔の紅潮具合。
私『いや、だからさ……』
長男『で、いつまでここにいるの?』
私『うるさいっ!!』
妻と長男の目が一時的に戻り、私の表情を伺ってくる。
つい、感情的になってしまった。それは反省している。しかし、ふたりはその後の事態の収集すら私につけさせるように、ただ黙って私を眺めている。
私『………帰るぞ』
帰りの車の中はお通夜のような雰囲気だった。
彼らが出来ないこと、苦手なこと、特性。そういったことは理解はしている。しかし、同時に複数で被せられたり、こういった締めくくる席などで起こされるのは、まだ受け止められるほど私に経験がない……。
もう疲れた……。娘が安定すれば長男が問題を起こし、長男が安定すれば娘が問題を起こし。妻が不安定になれば子どもたちも不安定になり、子どもたちのうち、誰か一人でも不安定になれば妻が不安定になる。
その日は妻と長男が黙りこくっていたが、もう私も話す気力がなくなっていた。

『とらわれ』の罠

翌日、自分の体力の戻りを確認してから、妻と長男に話をし、何が起きたのかの事実確認をし、どうするべきだったかの説明と、今気にしてもしゃべりにくくなって雰囲気が悪くなるだけだという事実を伝えた。もう終わったことだから流して欲しいと、表情が戻るまで説明を重ねて、その日のうちに元の雰囲気に戻すことに成功した。
……成功したと思っていた。
それから数日、大晦日が目前に迫った朝、私がリビングのドアを開けると、長男が私の顔色を伺うなり背を向けて硬直し始めた。娘も長男の素振りを見て、緊張の色を走らせる。
私『……どうした?』
長男は真っ青になりながら、震え声で返事を返した。
長男『べ、別に……』
娘は私と長男のやりとりを聞いて、瞬時に緊張の度合いを最大限に引き上げる。
妻は洗濯機にバケツで残り湯を組む作業に没頭している。
私が起きてきた事に気がついても、おはようのジェスチャーをしただけで、作業に戻ってしまった。
次男は……私とのやり取りで、兄姉に【畏怖】としか見えない変化が起きたことを目の当たりにし、私を恐ろしい物を見るようにして立ち尽くしていた。
私『おいおい、次男までどうした~?』
私が笑顔で次男に近づこうとした時、次男は泣きだした。
(……? 俺、何かしたっけ? なんでこんなに子どもたちに怯えられているんだ?)
私は未だ硬直している長男を連れて、隣の部屋に行き、事実を確認した。
私『……どうした? どうしてそんなに緊張してる?』
長男『……お風呂屋さんで、お父さんを怒らせちゃったから…』
私『それは何日か前に説明したよね? もう終わったことだし、それを考え出したらお父さんも君も楽じゃなくなるって』
長男『……うん、でもつい考えちゃった』
私『だいたい、お父さん今、怒った顔してる? 怖いの?』
長男『ううん。怖いとかじゃない。怒ってないのは分かってるんだけど……考えちゃう』
【つい考えちゃう】相手に考えないようにさせるのは一体どうすればいいんだ? 怖いとも思ってないのに、自分の失敗から生み出された息子の【とらわれ】を止めるには、私は何をすればいい?
彼のこの【つい】の行動が娘や次男にまで波及しているのだ。
ああ、頭が…頭が働かない。なぜだ? いつもならもっと速く頭が回転しているはずだ、止まるな、止まるな……!
私『……ごめん、お父さんももうよくわからないや。長男も、もう気にしないで? じゃないとまた娘と次男までおかしくなっちゃう。お正月で神様たちが来るんだから、笑って正月迎えようよ……ね?』
長男『……うん。そうだね。がんばる!』
耳鳴りがする。頭が重い。途端に吐き気に襲われてトイレに駆け込んだ。途中、私を見るなりリビングに引き込む娘の姿があった。便器に顔を突っ込むのは、精神的にキツイ。そこにそうしている状況を考えて、惨めな気持ちになってくる。
いろいろクリアできたと思っていたのに、また問題がぶり返してきている。その証拠に、妻は八の字眉のまま、あれからろくに話しもできていない。長男の【つい】も、結局なんの手立ても打てていない……。

愚者の縮図

長男のよそよそしさや、意識、自責は軽くはなったものの止められはしなかった。私が移動する度に顔色を伺い、胸をなでおろし、またそれを自覚し、バツが悪そうに黙りこんでしまう。
娘は長男の行動に反応し、夏の頃ほどのフリーズとまでは行かないものの、私に対して『いい子になるために、なにかしなくちゃ』と衝動的にとらわれ、1日掛けて疲弊していく。
妻は時間を追うごとに考え込む時間が増えていく。気にするなといっても、彼女にとってはできていない事への自責の念が強く、クヨクヨと考えながらブレイクスルーが来るのを待つように、何度も何度も回想しては問題を思案することに囚われているようだった。
私が何か打開するために言葉を発せば、その言葉に恐縮し、より思考に生活を奪われていく3人。そんなぎごちない雰囲気の中、とうとう新年を向かえてしまった。
元日の朝、私がリビングのドアを開けると、長男も娘も一際大きくビクンと反応し、目を逸らして背中を向けた。
その行動を見ていた次男はみるみる不安そうな顔になり、私から眼をそらし、対面の壁を沿うようにして別室に逃げていった。娘と全く同じ仕草。全く同じ表情で。私の入室とともに上ふたりが過剰な意識に硬直し、次男までもが必要以上に私との距離感にとらわれたのだ。
そしてその状況を妻は目にし、また思考の海に身を沈めていこうとしているのが、手に取るように分かった。
思えば昨年は本当に辛いことばかりの日々だった。しかしそれでも前には進んでいたし、娘の硬直にもどこか手がかりが見え始めていた。そうやって、いつも小さな希望に目を向けながら、彼らの特性を学び、それに合わせて生活を最適化する道を選んできた。
自分で努力をひけらかすつもりはないが、激しいめまいに何度となく襲われながらも、彼らのパニックを解き、進めるようにサポートしてきたつもりだ。
─────それが、この仕打か。
激しい耳鳴りと浮遊感の中、妻がおずおずと話しかけてきた。
妻『…………おはよう。お雑煮、食べる?』
声色に伺いの色がプンプン立ち込めている。
頭が重たくて、首がうなだれてしまうのを必死に持ち上げながら妻に返した。
私『いらない。お雑煮は食べないし、こんな嫌な雰囲気の君たちと食事を取る気もさらさらない。それがどうしてなのかは今まで君たちにさんざん言い続けて、支えてきたつもりだから分かるだろう? たまには自分の頭を使ったらいい』
妻の顔色が見る見る変わる。私の言葉に子どもたちの目も一瞬にして変わった。
……なんだ、やっぱりまだ分かってて【自分を止められない】とかやってたんだな。
私『その意味を分かるまで、もうこちらからは説明もしない。君たちで話し合ってでも構わない、なぜ父親が家族といることに疲れることになっているのかを思い出しなさい。
それが出来なければ、私はいつまでも食事をとらない。それを思い出しても、自分たちで実行する気もないならそれでも私は食事をとらない。死んでも食事は取らない。
私は今、この家族というものに、失望している』
幼い次男だけが何かを言おうとパクパクしたが、やがて諦めた。妻と長男と娘は、自分の思考にとらわれて、言われるがままに考え込み始める。
そう、これだ。このやるべき現実を見ようとしないで、その時浮かんだ自らの思考にばかり目を向ける彼らの癖。問題が毎回同じ場所に戻ってきてしまい、時には無に戻すほどの逆戻り。わが家にはびこる【自ら進めなくしている思考の癖】。
それを繰り返して自分が何者か分からなくなっていく。
特に今起きているぎごちない空気の正体は、【出来ない】ではない、今彼らが直面しているのは【分からないから】でもない、答えは分かっているのにそれを実行することへの【葛藤】だ。
それには多くの自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性が絡んでいるのかもしれない。しかし、彼らは解答を知っていて、そうならない一手も普段は使いこなせている。
そこに小さな勇気が必要になった時、今までの自分の成功も、みんなと一緒に積み上げてきた経験も放り捨てて、ただただ依存する態勢に走る。うちの3人はこの葛藤が長く、そしてそこになぜか罪悪感を感じてしまう。それが事態をいちいち重くしている特性。
今この瞬間が、わが家の弱点の凝縮した姿だ。
そして、新年早々に見せつけられた、今後のわが家の未来の課題でもある。
───愚者の縮図。
遅くてもいい。小さくてもいい。答えを出していかなければ先には進めない。どんなに些細な答えでも、どんなに大きな答えに挑戦するのでも、勇気を出すことを諦めたらそれは助けを待っているだけだ。
出来ないと諦めるのも答えだし、出来ると答えを出して玉砕するのもまた答えだ。
彼ら3人が今直面している事の多くは、【理解はしているが、実行に移すまでの葛藤に呑まれる】のが原因だ。そこでなんの一歩も踏まないまま、ただ助けを求めているのは勇気がないなどでもない。愚者のやること。これもまた、この家で数百~数千と繰り返してきた中の、私の出した小さな答だった。
娘の自閉症スペクトラムの診断から1年。この障害の特性をあれだけ勉強して理解していながら、感情がついていかない自分の脆さ。もしかしたら、本当はこの場で最も愚かだったのは私だったのかもしれない。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~好転の一枝~

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  • 夫。30代。
    定型。フリーのデザイナー。
    自宅で仕事をするかたわら、家事・DIY・訪問営業撃退に勤しむ。 本人は定型だが、何かしら発達障害との縁が深い。
    心労と過労で3度倒れ、一時はうつ状態に。 ところがどっこい完治なタフガイ。

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