ASDでACの妻と
アスペルガーのこども2人を持つ
定型夫の研究帳を公開します。

Category:軽度アスペ・ACな妻

アスペ妻の記録~家族の呼吸~

2014-08-18 Category:軽度アスペ・ACな妻

長男の記憶・私の記憶

妻と娘と次男を親族の元に残し、先に出発していた私と長男は、ようやく私の実家のある郊外へと差し掛かっていた。長男は久しぶりに見る都会の街並みや、高速道路の外装、国道沿いのにぎわいにはしゃぎ、助手席であれやこれや口数が増えていく。私はと言うと特に緊張もなく、むしろこの4年間での街の変化に驚きながら、新鮮な気持ちでハンドルを握っていた。
それも仕方のない事で、引っ越しからかれこれ6年近くが経っている、空気はかつて知ったものと同じだが、もう自分の住む街ではないのだとも実感していた。
国道から離れ、いよいよ実家のある住宅街に近づいてきた時、長男の記憶力が火を噴いた。
『あれ? あそこにあった畑がないよ』
『あ、あのガソリンスタンドがなくなってる!』
『あの大きなカンバンしってる!』
長男がこの都市部にいたのは3歳の頃。実家には数回行った程度であるが、かなり鮮明に憶えているようだ。ただ、ここまでだったらありそうなことだし、私も驚かなかったろう。実家に近づくに連れ、どんどんその精度が上がっていくようだった。
『あそこで小さい時にトランポリンかったよね!』
『あそこのカレー屋さんでおまけのアイスもらったよね』
『あ、あのお店でジィジたちとごはん食べた! てばさきうまかった!』
『あそこのお店にはでっかいカブトムシの空気のやつがあった』
運転をしながら、戸惑いを憶えた。
私『え、てばさきって、確かにあの時食べてたけど、よく憶えてんな!』
長男『うん、おぼえてるよ! ……あ、あのバイク屋さんの赤いバイクがない!』
私『赤いバイクって、お店の入り口の前にあった古い感じのやつ?』
長男『古いかんじ……? んー、丸っぽい赤いやつ。銀のが外っかわについてて……』
……バイク屋さんのディスプレイ代わりの“ベスパ”だ。
私『……本当によく憶えてるなぁ』
長男『うん、だってあれ(他に)ないもん』
(これなら4年ぶりの祖父の顔も大丈夫だろう。不安もないっぽいし)
予感は果たして当たった。実家に到着して車を停めると、長男は脱兎の如く駆け出していった。インターフォンを迷いなく押し(3歳当時も、よくやりたがっていた)、ドアフォンで何事か話すと、玄関に向かって再度駆け出した。
長男『ジィジーーーーーっ!』
父『おお、長男かぁ! おーおー!』
3~4歳の記憶しかない長男ではなく、4年ぶりの父との再会に戸惑っていたのは私の方だった。白髪が増え、顎のラインに見える骨格と皮膚の下がり、眼窩の上部のくぼみと下部のたるみ。父は私の想像よりもはるかに老いていた。荷物を両手に立ち尽くしていると、父は長男に手を引かれるようにリビングへと向かっていった。
母『けっこう早かったじゃない? 私もさっき着いたところなのよ』
続けて出てきた母。現在、両親は事実上別居をしている。母がこの実家に顔をだすのは久しぶりだという。
この家は私が上京した学生時代に建てたもの。私はこの実家に住んでいたことがない。だからいつもこの家に来る度に『帰ってきた』という気持ちはなく、どこか他人の家に泊まっているような肩身の狭さがあった。私の記憶にある生家はすでにない。ただでさえ“実家”という体を見失っている今、母も暮らしていないこの家は、どこか窮屈な印象を持たせる。
私『うん、……ただいま』
荷物を運び入れ、リビングに向かうと父はすでに宴の準備を済ませていた。
私『……ご無沙汰をして申し訳ありませんでした。只今、帰りました』
父『うん……うん。まあ座れ、呑め。ビールにするか?』
父は私の肩に手を乗せては、奥歯を噛みしめるように何度もうなづいていた。

娘の診断の告知

実は父にはすでに娘の告知を済ませてある。そして、母へ例の本を贈った後、いつ母が父にそういったアプローチをかけても衝突にならないよう、母からの反応があった時からすでに手を打っていた。
───帰郷の2ヶ月ほど前の電話。
私『……って言うわけで色々あってさ、娘の診断がしっかり出てから、今までの間本気で勉強してきたよ。そしたら、お互いに踏んじゃいけないところがあったり、性質のせいで取っちゃう行動が見えてきたんだわ。今は凄く安定してるよ』
父『そうか……、上手く行ってるならよかった。ただ、その娘のはどんなもんなんだ?』
直接ぶつかり続けた私でさえ、全てを理解するのに多くの時間が掛かった、娘のASDとしての特性を一言で表すのは難しい。ただ、父にも共通点の様な“苦手”は存在している。おそらくこれから母もここについて触れる時が来るだろう。
今更私の一言二言で父の人生を変えることは出来ないが、【こちらが理解を示している姿勢】を見せることは、今までの父の困惑をあるいは埋めることが出来るかもしれない。
私『うーん、一言で言うのは難しいんだけど、要は物事の感じ方が普通の人と違ってるんだよ。まず、反応の出し方とか感じ方が極端になりやすくて、それが五感とかにも出てくる。ふつうだと小さな音でも、物凄く大きく感じて不快になっちゃったり、肌触りとか食感とかにも敏感に反応することがある。本人はその感覚を実感するのが難しくて、ただただ不安に思ったり、不快になったり、それを与えた相手に理不尽を感じることがあるみたい』
父『……ん、何となく分かるなぁそれ』
私『特に娘は音に敏感かな、だから多くの人がざわついてたり、会食みたいな場所だと誰と話していていいのか分からなくて、急に不安になったり、どれも耳に入らなくて焦りだしたりする』
父『ああ、ああ』
私『初めて入るデパートとかホームセンターなんかの、ごちゃごちゃしてて、色んなモノがあるような場所は、全部がざわざわして疲れやすくなる事があるらしいよ。どれか一つに集中してしまえばいいんだけど、自分では見つけられなかったりするんだわ』
父『……うん』
明らかに父のテンションが変わりだした。この特性は父にも見られるもので、よく親族の集まりなんかで飲み会が始まると、しきりに帰りの時間や終わりを気にしている様子があった。また、父が初めての大型店舗などで疲れたり、不機嫌になりやすいのは息子としても記憶にある。
私『ふつうの人がいろんな事を同時にやるのが当たり前にできるけど、なにか一つにとことん集中したり、一定以上のこだわりを持ってやりこんだりするのは苦手。逆にアスペルガーの人ってのは、複数同時になにかするのがすごく苦手で、でも一つのことを完成させるのには能力があるんだって。だから車の運転一つ取っても、ふつうの人は途中で予定変更があると、すぐに切り替えてそっちに向かえるけど、アスペルガーの人はパニックになったり不安になったりしやすいから、助手席に甘えやすい人がいると当たっちゃったりするとかね』
もう、すでに父への言葉になっているが、父は神妙というよりもは“しっかり聞き出そうとしている”印象があった。それは孫娘を理解しようというよりも、非常に興味深い物が目の前にあり、それを自らの経験と結びつけようとしているようにも思えた。
もちろん、娘には他にもっと人間関係において問題になっている特性もあるが、私は娘の特性の中でも比較的に父に共通が見られる部分から並べていった。
父『……そういうのは治せるのか?』
私『そういうふうに感じてしまうのは、生まれつきの脳の仕組みの違いだから治せないらしい。でも、感じた時にすぐ思い直したり、感じ方を曲げてなるべく無害な受け取り方に変えたり、その時に取ってしまう行動を変えていくことは出来るよ。娘が今まさにそうだ』
父『そうか。年いったら治せないだろうしな、幼い内にやらないとダメなんだろうな……』
私『いや、それが無理でもないと思うんだよ。生き方やこだわりが強い場合は大変かもしれないけど、なにか不快に感じたり不安に思った時に【~~だから今こう感じた】とかしっかり自分の感じ方を憶えておいて、次にそうなりかけた時に結びつけて立ち止まる方法があるんだわ。完全には時間が掛かるだろうけど、一瞬で嫌な気持ちに支配されるのはかなり防げるんじゃないかな?』
父『嫌な気持ち……か』
私『うん。人間てみんな思ってる以上に、自分が感じたことの表面が全部だと思っちゃうんだって。でも、その感じたことも結局ほんの一部分だから、ちょっとしたコツで全部だと勘違いするのは止められるみたいよ。』
父『…………』
私『まあ、この障害も最近になってやっと広がってきたものだから、これからどんどん自覚する人たちも出てくるだろうし、実際はかなり多くの人が苦しんでたりすると思うよ。今はまだ始まったばかりだから、もっと色んなイイ方法が見つかっていくと思うよ』
父『そうか、けっこういるのか……。まあ、なんにせよ上手く行き始めたのなら良かったな。お前のところなら大丈夫だろう。がんばれ』
全てを伝える必要はない。娘の状態を告知することで、なにか新しい進路がとれるようになるのなら、伝え方を考えるのも大切な事だと思っていた。もし、これで母が父に対して、何らかのアプローチをかけたとしても、自己評価を守るために感情的になったり、癇癪を起こす可能性は低くなるだろう。対して母には父の特性として感情的になりやすい部分をピックアップし、その理由と回避するための論法を伝え、両親の衝突を避けながら【母自身の憤り】に原因を見せることで解消していった。
これがこの1~2ヶ月の内に行った私の工作である。
去年までだったら100%途中で挫折していたであろう。この功労者は紛れも無く妻である。妻は安定する期間を着実に伸ばしていて、また子どもたちへの関わり方も適切な距離を持って踏み込み、見守れる余裕を獲得していた。
この旅行が決まってからというもの、なによりまず子どもたちを安定させるための流れを中心に、予告や親族の顔写真帳の作成など様々な手を打ってきたのだ。初日を別々の屋根の下で過ごすのも、大人同士の会話に大きく偏るであろう私の実家に、最も安定している長男を連れて当り、不安定になりがちな娘と次男を親族の集まる場所に分けるという方法も、ここまでの夫婦会議で綿密に調整していったのだ。
家族の特性や体力をあらかじめ想定し、適切な動き方のシミュレーションが出来るだけのデータが、着実にわが家に積み重なりつつあったということである。

家族の呼吸

以前の父は何かと母に対して、『ああでもない、こうでもない』と、子どもから見ていて“なんでそんなに不満に思うんだ?”と疑問に思うほど文句をつけることが多かった。父自身、そういった時間が長引くと、段々と不機嫌になってしまい、気がつくと席を外していることが多かった。
しかし、この日の父は穏やかな顔で席につき、分からない話しを噛み砕こうとする姿勢が見えていた。まさに電話で話していた【一瞬で嫌な気持ちになるのを防ぐ方法】を実践しようとしているようだった。
父が否定的にならないことから、母も会話に対して必要以上に【自己評価を取り戻そうとする姿勢】がなくなり、テンポの良い会話が続いていく。
私はこの穏やかな空気を、何故か懐かしく感じていた。
実家がこちらに移ってから10年以上になるが、その頃にはすでに両親の不仲は酷くなっていて、長期休暇で帰郷する度に不平不満や罵りを聞くことになっていた。今、私が感じている【懐かしさ】は何かといえば、まだ両親の仲がよく冗談を交わし合っていたあの頃、私がまだ小学校に上がるか上がらないかの頃の雰囲気がそこにあることである。
【家族の呼吸】
誰が誰に気を使い、言葉を飲み込むこともなく、誰が誰に打ち勝とうと自尊心を振りかざすこともなく。そこにいる家族全員がそこにいることを楽しみ親しんでいた。
娘の診断から得てきたものはとてつもなく大きい。それは単に自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性の理解だけにとどまらず、“人と人とのスレ違い”というものを、極限まで味わってきたからこその視点なのかもしれない。
最後に実家を訪れてから抱えてきた重荷。4年ぶりにそれを解消することができた。
そしてこの日私はようやく、自分の家族というものを両親に包み隠さず話し、気負うこともなく実家にいられる事も叶えた。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~未来の種~

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  • 夫。30代。
    定型。フリーのデザイナー。
    自宅で仕事をするかたわら、家事・DIY・訪問営業撃退に勤しむ。 本人は定型だが、何かしら発達障害との縁が深い。
    心労と過労で3度倒れ、一時はうつ状態に。 ところがどっこい完治なタフガイ。

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