妻
言葉を失う
以前にも娘はこうして私に対し、直接的な原因の分からない緊張を、短くて1~2週間、長くて数ヶ月以上、最長1年間続けた。つまり今年の約1年間が奇跡的であった。
生まれてから6歳になるまで、私に対して娘は演技のない受け答えや、お互いにいることへの意識を強制的に持たないでいられる時間はあり得なかったのだ。だから自然な彼女の表情などは、まず記憶に無いし、激しい緊張と裏返しの【突然の好き好き】などは恐怖でしか無かった。
彼女は自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性もさることながら、幼いと言う事もあり、自分の気持ちや考えを口にすることが非常に苦手だ。いや、苦手というより、感情と思考意識との間に隙間があって滑り、連携できていないといった方が近いかもしれない。
だから、思いついて始めてしまった“構え”などは、なぜ始めたのか自分でも分からず、その違和感すら不安としてひとまとめに処理してしまう。そのため、一度“構え”ると、そこから意識が飛ぶほどの刺激が無い限り、ただただそこに緊張を向け潰れるまでループする。
やがて、“構え”る度に思考停止することが常態化し、対象から話しかけられたりアプローチされることで、いつでもフリーズ状態に陥る様になる。そうして、コミュニケーションは拒絶され、彼女が“構え”を何らかの形で説かない限り続く、意思疎通の不可能な日々が続く。
そして、完全に言葉を失う。
本当にそれだけであれば、過去、私はあれほど苦痛を受けることもなかっただろう。そうにしかできないのであれば、そういう対応に切り替えてゆけば良いだけだが、彼女の場合はそうさせない側面があったのだ。
緊張はしていないのに、“構え”ていた自分にとらわれ、自ら“構え”から抜けられず強制的に緊張していく。
結果的に彼女の行動は、私がいる限り緊張していくための“何か”にばかり気が向くようになる。幼い頃、わざわざ怒らせるかのように、ダメと言われたことばかりを私の目の前で繰り返し続けたのにも、これが絡んでいたのかもしれない。
そして、それは今回も同じ事だった。
母の過去
それでも、この1年の成長は、彼女の行動をかなり変化させている。
復帰こそしないが、悪化の一途をたどる事はしなくなっていた。顔に硬さはある。しかし、話しかけるために考え続けようとしたり、私が部屋にはいる度に自分の行動をいちいち適正か省みるなどの行動はなくなっていた。
復帰こそしないが、悪化の一途をたどる事はしなくなっていた。顔に硬さはある。しかし、話しかけるために考え続けようとしたり、私が部屋にはいる度に自分の行動をいちいち適正か省みるなどの行動はなくなっていた。
ゆるい緊張がただただ続く。
いればいるだけ私を意識し、一切行動をしなかったり、目で追いはしないが意識を向け続けている。この時、彼女は全てのことに対し完全に受動的になる。
私『……ねえ、娘。そんなに気にしてても何もないんだし、お互い疲れちゃうんだから、楽にしようよ』
娘『…………ん………』
私『家族は……?』
娘『………ぃるだけ……で……いい』
ここから20~30分ほど話を続ければ、彼女は緊張を解してふつうに戻る。しかし、ちょっと離れるとすぐに戻る。これをもう2週間続けている。
後はもう行動様式として、彼女がなぜ“構え”から入るのかが分かればハッキリするのだが、気持ちや考えを言葉にする際に“苦手意識”が多く、分かり切っている問いかけ以外には完全に口をつぐむ。
後はもう行動様式として、彼女がなぜ“構え”から入るのかが分かればハッキリするのだが、気持ちや考えを言葉にする際に“苦手意識”が多く、分かり切っている問いかけ以外には完全に口をつぐむ。
それどころか、少しでも緊張が長引くと、返事すら出来ないほど硬直して、まず落ち着かせる事から繰り返さなければならない。これを毎日会う度に一から。
妻『ねえ、娘。ちょっとお母さんの話、聞いてくれるかな?』
娘『……?』
口を閉じ、緊張した青白い顔で、私の斜め後ろ辺りを見通すように目線を固定し動かない娘。次にするべき、すでに何十回目かの同じ対応をこなす事にうんざりして肩を落とした私の間に、妻はスケッチブックを持って入っていった。
妻『お母さんね、お母さんも娘くらいの頃、お母さんのお母さんに叱られた時とかに、今の娘みたいにしゃべれなくなった事があるよ』
娘『…………おかあさん……も?』
妻『そういう時って、“喋り出したら泣きだしちゃいそう”とか、“ちゃんとした事じゃないと、しゃべれない”とか、“声が出せない”って思い込んでない?』
娘『……コクン』
妻『お母さんね、それ、実は大人になって、お父さんと出会って、結婚して、あなた達が生まれて、お母さんになって、で、つい最近、お父さんに教えてもらって治せたの』
娘『…………』
妻『それ、自分の“思い込み”だからね。こういう時こそ、喋って言葉にしないと、あなたの本当の気持ちも考えも、誰も分かってくれないの。モヤって思ったことも全部しゃべっていかないと、結局大きく間違え続けるんだよ。だから、小さく間違ったこと喋ってもいいから、どう思ってたのかは言わなきゃいけない。
言いたいことが分からなくても、返事くらいはしっかり声を出さなきゃいけないの。だって、“声が出せない”って思ってるのは自分だし、声を出すのを一度でも止めたら、すぐに“声が出せない”んだって信じちゃう。
それごと思い込みで、間違えなんだけどね』
娘『おかあさんも……おこられた?』
妻『そりゃあたくさん怒られたよ。……それにね、大人になって、お母さんになって、同じことをお父さんにしたら、あっという間にお家が幸せじゃなくなったの。だから、頑張っていっぱい言葉にしようとしたの。そうしたら凄く楽になったし、ただの注意が【怒られた】なんて重たいものじゃなくなったよ』
娘『あ、“おこられた”じゃなくて“しかられた”なのか……』
妻『それもそうだけど、さっきあなたがお父さんに話しかけられて、【怒られた】様な顔してたけど、お父さんは怒ったんじゃないし、叱ったのでもない。注意にもなってない、ただ、あなたが辛そうだから楽になるように提案してくれたんじゃないの?』
気がつくと、娘は自然とやわらかい表情を見せるまでの回復を見せていた。
ここ数ヶ月、こうした娘への声がけや大事な話を極力妻に任せてきていた。注意や叱るのもなるべく妻に。妻が気がつけなかったり、どうしても説明がうまくいかない時は私が交代するようになっていたが、これほどまでに娘が妻の話に気取りなく身を乗り出して聞いていた話はなかった。
刹那の世界
大分緊張はほぐれてきたようだ。一日で最初に顔を合わせる時は未だに緊張から入ろうとしているが、10分程度で回復できるようにまでは戻ってきていた。
ここまで来れば後は最後の仕上げになる。
今までもこうして何か大きく長引く問題が起きた時は、この流れを繰り返してきた。まず緊張やパニックを解消し、本人に伝わる話を見つけるまでトライを繰り返す。ある程度の納得や変化が現れた段階で、こびりついた緊張へのとらわれや自責がほぐれてきたら、このタイミングで問題の根本的解決策を説明することで【それが正解だ】と強く印象付ける。
私『もうこうして“気にしなくていい”と君に説明し始めて、だいぶ経ってきたね。家族は? お家は? どんなところだっけ?』
娘『かぞくは、ただいるだけでいい。おうちはらくにするところ』
私『そうだね。でも、こんな簡単な事を忘れて、君は気にしすぎて緊張しちゃったんだよね』
娘『……うん』
私『ほら、今失敗を思い出して、また、失敗しちゃった様な気持ちになってない?』
娘『あ……!』
私は娘の前で漫画のケンカシーンであるような、トゲトゲの吹き出しを描き、中に『おこった』と書いた。その横に『げつようび、かようび、すいようび……』と月曜から金曜日まで曜日を並べて書いた。
私『君がお父さんを気にしちゃうのは、決まって金曜日の夜からとか、土曜日の朝とか日曜日。お父さんとずっといるお休みの日だね』
娘『うん』
私『今年の始め、君が【家族はただいるだけでいい・なにもしなくていい】が分かってから、ずっと楽にしてこれたんじゃなかったっけ?』
娘『うん』
私『でも、最初は何だったかは分からないけど、お父さんを気にする様になって、また前の【緊張する】に戻ったんだよね』
娘『……うん』
私『はい、また、失敗しちゃった様な気持ちになってない?』
娘『!』
私『ねえ、君は例えば次男におもちゃを持って行かれて怒ったりした事を、今この時でも怒り続けているの?』
娘『え!? ううん、おこってない』
私『君は怒っても、その後静まって忘れられてるって事だよね? じゃあ、朝お母さんに叱られた後、お母さんは君のことをずっと【怒ってる】の?』
娘『ううん、そうじゃない』
私『それはさ、お父さんだって同じなんだけど』
娘『!』
私『それにさ、何かひとつ注意されたら、君は全部お父さんの前で失敗しないように必死になるけど、注意って【怒ってる】から注意するんだっけ?』
娘『ちがう……! 【おしえよう】としてくれてるから、ちゅういしてくれる』
イラストのトゲトゲの吹き出しを指さしながら、説明した。
私『お父さんも君やみんなと同じで、怒ったり悲しんだりした気持ちは忘れられるのに、君は一度お父さんが怒ったら、ずっと自分を怒ったままだと勘違いしてない? じゃあ、月曜日も火曜日も水曜日も……ずっとお父さんはプンプン怒り続けているんだろうね』
娘『それもちがう……! おとうさんはおこってない』
トゲトゲ吹き出しに続く一週間の金曜日の後に、もう一度トゲトゲ吹き出しを描いた。
私『だけど君は、また週末が来ると怒られたままの所から始めようとするよね』
娘『! ………うん』
別の紙に今度はトゲトゲの吹き出しを7つ連続で描いた。
私『じゃあ、君がお父さんにしていたのはこういう事と同じだよね?』
娘『……ずっと、おこってる……?』
私『なんか、おかしいよね?』
娘『うん!』
私『そりゃそうだよ。時間はずっと続いていて、どんどん変わっていくんだから。君の考え方だと、悪いことが起きたら、写真で撮ったみたいにずっと同じまま、誰も許してくれないってことになるんじゃない?』
娘『……! ………!!』
私『じゃあ、お父さんは君に注意をしてしまったんだから、これから一生君を怒り続けているという事で決定でいいね?』
娘『……だ、だめぇ!』
妻の話が効いているのか、ショックな振りをされても、硬直することはなかった。
私『“お父さんに注意された”って、それを勝手にずっと続いているショックだと思い込んだのは君だね。だから、注意されただけなのに、まるで酷く怒られたような悪いことみたいになってる』
娘『あ……』
私『じゃあ、今君にこうして、“考え方が違うよ”って教えたことも、これから一生変わらなくて、君は間違ったままで、また凄く【悪いこと】になって“お父さんは怒った”事になってしまうのかな?』
娘『ううん! ちがう! おとうさんはおこってない』
私『じゃあ、もし怒ってたらそのまま?』
娘『おこっても、そのままじゃない!』
私『そうか、それなら仲直りはできるかもしれないよね』
娘『なかなおり……する』
娘は少しだけ、自分のいた【刹那な世界】を理解したようだった。
問題の流れ
今回の娘のぶり返しの根本的な原因は分からないし、これで終わりだとは微塵も思っていない。でも、どうしてハマりこんでいったのかは、かなり説明がついたような気がする。
彼女は過去の妻と同じく、人間関係において、少なくとも感情的な問題を含んでいる場合に【時間の継続】が失われていた。それは【ごめんなさい】と謝る事が断罪かなにかの切った張ったの言葉だと思い込んでいたように、非常に“0か100か”の両極な世界だ。
そして、その発想は問題の最中、言葉を発する際の大きな足かせともなっている。大本の発想が両極思考に偏っているのであれば、言葉にすべき頭の中の事案も、おいそれとは動かせないだろう。
つまり、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性が、その思考方法に強く影響していたと言うことである。逆に今回の件で過去の娘の行動の中に、単に依存だけで起きていたとは言い切れない部分も見えてきた。
こういったズレを感じる度に私は思う。
自分が分かり切っていると思っていることが、いかに曖昧な通念の元に省略されていて、それを言葉にして人と共有するのが大変な事であるか。
逆に妻や娘はこうした【どう、言葉にして聞けばいいのか・何を困っているのか言葉にできない】というもどかしさに苛まれてきていたという事でもある。これを理解するには家族であっても簡単なことではないし、その苦悩は当然起こるものであると知識がなければ、暗闇を一人で歩くような不安がつきまとう。
これ程お互いを知る事を強いられる関係も少ないだろう。それはある意味で、歩き続けられるのなら、幸せなことなのかもしれない。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~それぞれのパーソナリティ~
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