妻
逃げ場を与えない覚悟
『子どもたちを叱れない』ことへの裏側にある真の理由に、妻自身がようやく気がついた。今までも子どもたちを注意する頻度は改善されつつあったが、このトラウマへのアプローチがこの注意に一種の【気迫】を含ませることに成功した。
【終わらせる】
子どものグズグズやいたずらに対し、ただただダラダラと付き合って注意し続けるのではなく、子どもが聞くまで目を見つめようとしたり、体をこちらに向かせて【終わらせる】ための一線を引くようになった。
ここまでの妻の進歩をもって、私は次の段階に進むことを決意した。
娘に逃げ場を与えない。
よく言われるアスペルガー症候群の子どもへの対処としては逆を行く考えかもしれない。いや、通常の子育てからすれば、現在言われている手法では真逆の発想だ。しかし『わが子を壊してでも、本道を歩かせるための、本気の衝突』を私は望んだ。
娘は知性が高い。無視をされればその自由を謳歌し、さらに自分の思い通りに進めようと、図々しさを見せてくる。そして、それを私が叱責した場合は私の前では神妙にし、妻の前で横柄になる。妻が叱責を始めれば、次男に当たったり叱られる様にうながして自分の評価を相対的にあげようとしてしまう。
自分の考えを変えることを極端に拒み、そのためなら実際の評価が下がっていようとも、自分の中だけの評価でこなそうとして、場合によっては記憶まで捻じ曲げられる。言うことを聞かなければ参加させないなどの、自由を与えない方式も、彼女にとっては苦ではない。また、人と比べられようとも、人との距離感がないのでなんらダメージがない。
彼女にとっての逃げる場所は、自分の創りだした自己評価の世界で、外との接触はほぼそれを持ち上げるためだけに存在しているかのように思えた。
恐ろしいことに、私が妻に『主導権』を握らせて、父母のバランスを取ろうとしているスキをつき、私の前でも次男を利用した自己評価アップの画策を図ろうとする。そうすれば母親が戸惑うことを知ってしまったからだ。
これはもう『優しさ』や『良心』といった生易しい言葉では通じる状況ではない。意地やプライドからの反発ならばそれでもいいだろう。しかし、『他の考えを聞き入れないようにするため』だけに、全てを意図的にシャットアウトしているのならば話は全く違う。
『誰の下であろうと、いけないものはいけない』と、理解させる必要がある。それは動物社会で、下のものに対して、ボスが群れの掟をキバで伝えることと同じ。原始的で野蛮な行為。娘が安易に逃げ込んだ先は、それほど狭く自己評価の規模の低い世界だった。
口火を切る
今まで妻を立てるために黙っていた私が、その衝突の現場に復帰し、知っていながらルールを感情で破ろうとする娘の行為に立ちはだかった。癇癪を起こして耳を塞ごうものなら、その手を引き払いその大声を凌駕する。口元を歪ませ、目を虚ろに虚構の世界に意識を飛ばそうものなら、頬をはさみこちらを向かせ、意識を無理やり引き戻す。
もう、逃げる手は通用しない。
5~10分、動物的な唸り声や地団駄に対して、大人の私が全力で真っ向勝負を挑み打ち勝つ。そして訪れる『目に光が戻る瞬間』。もう注意や是正に対し、無意識で防御を行う娘の場合、癇癪や大暴れにはもう『意図的』な部分がない。条件反射で抵抗しているだけだ。その証拠にこの『目に光が戻る瞬間』がくると、突如話を素直に聞き出したりする。
この野蛮な光景の先にある、娘の【無垢な目】を見せるために、妻に現場を観察させていた。
妻『うそ……。本当に目が変わった……!』
前からこの『目に光が戻る瞬間』の話はしていたが、妻に取ってはどこか遠くの話だったようだ。この状況を見せ、私は妻を指さした。
私『ここまでやるんだ。やらなきゃこの娘の母親になれない!』
視覚的に確認した妻は、状況を正確に把握した。
その日から、妻と娘の決闘とも言える主導権争いが始まった。
その日から、妻と娘の決闘とも言える主導権争いが始まった。
異常な家
朝、保育所に向かう前、靴下の好き嫌いで妻に食って掛かる娘、そこに立ちはだかる妻。獣の様な唸り声と地団駄、『声を届かせるため』に力ずくで娘を制圧に掛かる。闘いが始まれば保育所を休ませ、妻の声が届くまでいくらでも衝突を繰り返す。
2~3日が過ぎた頃だろうか、娘の唸り声に変化が訪れ始めた。どこか手加減と言うか、探る様子が見られるようになってきていた。
しかし、そこに私の姿を確認すると、途端にまた母に対して『取るに足らない存在』のような態度を取ろうとする。私の声にしか耳を傾けようとしなくなるのだ。これは自分の位置を動かさないために本能的に擦り寄る取捨選択に近い。例えば自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)で、受動型と言われる特徴が見られる子が、父親に依存している場合、父親がそこにいると母親に対して無関心になるケースがある。
わが家の娘の場合、この妻への無関心が『低評価』に混同されている可能性が高かった。
父親の出現に母親を無視しようものなら飛ぶ激昂。
そう、これはもうすでに想定された『潰すべき場所』。
そう、これはもうすでに想定された『潰すべき場所』。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の子どもの場合、自己評価が低くなりがちで、否定されることや否定的な言葉に敏感になる傾向が高いと言われている。また、社会性を高めようとすると二次障害の危険が高まり、二次障害を避けると社会性が低くなるという言葉もある。
今、彼女がその特性として感じている『依存』や『自己防衛』の反応も、彼女の性質としての独特な形成がその歪みを大きくしていた。社会性以前に家庭として崩壊につながりかねない、わが家のバランスをついた彼女の利己的行動には、もう自由を与えていられる余裕も時間もなかったのだ。
この激しい衝突は1週間にも及んだ。
非と訂正を受け入れさせる闘い
1週間が過ぎた時、娘はしゃべることをやめた。私たちの前で遊ぶこともやめた。私はかつて娘にこの行動を取られ、その足を止めてしまったことがある。これは大きな過ちだった。
……その手も、もう知っている。
私『黙ってジーっとしてれば怒られる事がないと思っているんだろう?』
娘は【当たり前】といった顔でコクンと頷いた。
私『じゃあ、ずっとそうしているつもり?』
娘は首を傾げた。【ずっと】と言う時間感覚がないのだ。これは今、彼女の手の内だけで計上された【訂正されるのは嫌、でも叱られるのも嫌だから、親の前では黙り、兄弟や保育所で発散する】と言う浅はかな謀略。
私『残念だけど、そういうことを止めて、君がちゃんと話を聞こうとしない限り、もう保育所にも行かせないし兄弟とも遊ばせる気もないよ』
娘『ウゥア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーッ!』
私『ははは、凄いね。ちゃんと理解出来てるじゃない。分かっているなら人の話を聞いたら?』
そうしてまた、もう1週間が経過した。
母親を受け入れる
その日は突如やって来た。妻に娘がふつうに話しかけている。
そして、いちいち反抗もせず、極ふつうの5歳児の様に母親と会話をしていた。
妻にそれを指摘すると、
妻『ああ、そう言えばそうだね。本当だー』
これはわが家の妻・長男・娘に言えることなのかもしれないが、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者には、不安などの解消をすると驚くほどにケロッと通常運転に戻ることが多い。良い意味で後腐れがないのだが、定型側はあまりの変わり身と『え、当然じゃない?』と言う立場の変動に翻弄されることがある。
まさに今だ。妻も娘も、越えてしまったので『当然のこと』に仕立てあげられていた。
私『まあ、君らがいいならそれでいいんだけどね……(青溜息)』
今までが何だったのかと言うほどに、妻と娘の闘いは幕を閉じた。5年かかった娘の『母に対する家族関係の認識違い』は、2週間の荒療治によって改善されたのだ。
しかし、これは大きな問題の中のうちの一つに過ぎない。やはり娘はまだ、私の前では極端にいい子ぶろうとして、緊張と疲労を繰り返していた。
ガチャ─。
私『おはよう』
妻・次男『おはよー』
長男・娘『(ビクッ!)ぉ、ぉはょぅ……』
数分後、爆発的に話しかけてくる長男、そして私を意識しすぎみるみるうちに緊張状態に陥っていく娘の姿。そして、この長男と娘の反応に一切気がつかない妻。
そう、この2週間で乗り越えたものは、【母親との衝突で不安定になる要素が1つ減った】だけで、私にとって平穏な家庭になるには、まだまだ多くのハードルが用意されていることは明白であった。
私『娘のよそよそしい態度、治ってないね……』
妻『ん? そうだったかなぁ、見てなかったー』
私『……これ、君が気がついて注意していかないと、また君の順位が下がってバランス崩壊するけど、いいの?』
妻『……………………ッ!?』
彼女の表情がみるみる変わっていく。そう、本当は彼女は娘の動作に気がついていたのだ。しかし、いつものように先延ばしする条件反射に、なんの疑いもなく芽生えかけた『進む姿勢』の視界が奪われていた。
それはあたかも意識内の外側から、じわじわと霧が立ち込めてくるような、ゆるやかな低下のプロセス。わが家がまだ、私が寝転がって手足を伸ばせる場所ではないということが、火を見るよりも明らかだった。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~霧の世界~
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