ASDでACの妻と
アスペルガーのこども2人を持つ
定型夫の研究帳を公開します。

Category:軽度アスペ・ACな妻

アスペ妻の記録~人間関係のジレンマ~

2015-02-02 Category:軽度アスペ・ACな妻

4歳の人間関係形成

娘が作り出す異常な緊張状態や空気に圧倒され、次男も緊張状態に陥る。どちらかと言えば段々と時間を掛けてというより、娘がそうなったのを確認すると、スイッチが入ったように次男も硬直してしまう。
以前はここに長男も加わり、それこそ家庭が硬直する一途をたどり続けていた。しかし、今回は違う。長男はそこに影響されず、それどころか大きなヒントを投げかけてさえ来れたのだ。
─── 次男はまだ、“おとうさん”ばっかりなんだもんね。
ふと漏らした長男のつぶやきが、私に何をもたらしたのか。その答えを言葉にすると、非常にシンプルで無駄がなく、今までの苦悩がバカらしくさえ感じてくる。
次男は【4歳だった】のだ。
2~3歳時期に自分と他人の違いや、心が他人と一つではない事を覚えていくタイミングが来る。分かりやすく言えば“イヤイヤ期”だ。そして、何度もぶつかるうちに自分と他人との距離感が少しずつ身に付いてくる。
これはお母さんで、ボクではない。
これはボクで、お父さんではない。

これは知らない人で、家族ではない。

それらが整ってきた段階で次に進むのは4歳児。この先、5歳児になると友達同士の社会形成から、一気に社会性の成長が進み、人との時間で多くのことを獲得できるようになっていく。4歳は『ここまでやったら叱られる』という常識の範囲と、『これはこういうもの』『こういう時はこうするもの』と自分なりのパターンを学習する時期でもある。
そこでありがちなのは、『やりかた』と『自分や相手の気持』などの、理想と現実のギャップに戸惑うことである。これらは定型発達児でも自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の子どもにも見られる、社会性獲得のハードルの様なものである。
次男はまさに今ここにいて、実際は自分のもった『やりかた』が通用せず、現実の壁に突っ伏していたにも関わらず、それを自覚出来るだけの経験値を持っていなかったのだ。これと似たことは過去、長男にも起きていた(※関連記事⇒4歳:長男、人との距離を理解した瞬間とその一部始終)。
今、次男がつまづいている『やりかた』は、娘が始めたものである。娘はその『やりかた』にとらわれ、すぐに自爆の一途をたどり続けてしまう。次男はそれを隣で見て真似るうち、その失敗の強い印象に心奪われるようになる。
『これをしたらこうなる』因果関係がハッキリしているだけに、否応なく行動がそちらに向かってしまうのだ。
では、次男の4歳児問題。これを治すには───?
説明も言葉も関係なく、彼にひとりの大人として素直に対応すれば良いだけである。『良いか・悪いか』『好きか・嫌いか』『欲しいか・欲しくないか』。それにはなるべく周囲の大人が同時期にそう接してあげれば良い。
人間関係はやり方を考えるのではなく、お互いの想いや考えの公約数を探す物であると、空気だけでも感じられればいい。言葉で感情も掴めない頃は、こうして現場で獲得していくしかない。
現代の子どもは幼児期に密に接する大人の数が少なくなりがちだ。ならば自分のやり方だけでは動いてくれない大人がいる事も、ある程度意図的にでも用意してあげないと、学習の機会を得られない事にもつながるのではないだろうか。

次男の改善

さて、次男への対応が分かり、始まるや否や、その効果は絶大であった。対応は極単純。たまたま巡ってきた三連休に合わせて、妻の態度を少し変えてもらっただけである。
今、次男が娘と同調してしまい、『親との合わせ方』そのものでつまづいて、強い印象に縛られている以上、その方法論を否定したり受け付けなくしても無意味である。それこそ時間を掛けていけば、放っておいてもいつかは理解するだろうが、やり方としてあまりに難易度が高くてマズイ。
ならば、そうしている以外の時の対応から足場を固めて、『やりかた』にとらわれていては上手くいかない事を学ばせるのが近道だと考えた。
彼が人の言葉を聞き流そうとしたり、注意を聞かずに自分のやり方や、やりたい事だけを通そうとした時など、妻は彼の肩に手を置きしっかりと注意をした。さらに、いつもやってしまう余計な遊びなども、先回りして指摘し、何らかの【やらなきゃいけないこと】を意識させる様に促し続けたのだ。
これは自分のやり方から、他人との生活干渉に目を向けることになる。長期間はキツイが、自分を顧みられる次男であれば、短期集中で自分の『やりかた』の不成立を自覚させる最適な方法とも言えるだろう。
その間、私は次男との関わりを、彼から寄ってこない限り取ろうとはせず、彼の『やりかた』にも応じることはなく、私自身のあるがままでただそこにいた。私からは何も仕掛けてはいない。しかし、連休の最終日、次男は私の元におもちゃを持って近づき、膝の上に座りに来たのだ。
娘の異変から、数カ月ぶりに次男がふつうの距離感に戻った瞬間である。
妻がゆっくりとその態度を戻しても、それは変わらずに続いていた。4歳の壁。彼が必死に考え出そうとしていた『やりかた』は、それそのものが壁であったのだと、言葉は分からなくても感覚的に理解したようだった。

親の覚悟

娘の『やりかた』は彼女自身、今現在壁にぶつかっている。激しい緊張から通常の会話はもちろん、家族揃っての食事が不可能な程の緊張状態に直面していた。
保育所に行く前にはスイッチが入ったように元気になるが、帰ってきて『ただいま』を元気よく言った後、手洗いうがい、荷物を置くなどのやるべき動作を終えると、再度スイッチが切り替わり動けなくなってしまう。
以前まではこのスイッチが入った時には、『なにかをしなくちゃ』とか『こう演じていなければ』という様な、彼女のルールへの固執が見られた。しかし、それを止めきれないまま、彼女は結局体力も自己評価も失い、疲労や不安感からただただ『失敗しないように』と怯えるようになりだす。
─── ここまでは分かっている。
しかし、本人がこの方法を取る理由も分からなければ、どれだけ失敗を重ねようとも、結局ここに戻る事を周りはもちろん、本人すら理解をしていない。
いや、本人にはそうしてしまっていた記憶もあるし、そう思い始める瞬間も把握していたりする。しかし、その最中に『これは上手く行っていない』と自覚して止めるなどの流れは、一向に定着しなかったし、まさに彼女のさじ加減で始めたり止められたりを繰り返していた。
本人次第。とは言え、彼女はもうすでに気力体力の限界を迎えようとしていた。
保育所に行くことすらできなくなったのである。具体的には登園前の不安定さと、癇癪の回数が上がり始めたこと、そして癇癪を起こしたその日は、自宅ではほぼ活動できないだけの消耗をしている。やがて、登園前に高熱が出るようになり、夜には平熱。また終末になると高熱がでる状態に陥った。
妻『……ご心配をお掛けしてすみません。保育所はしばらくお休みさせます。メンタル面での問題で、ちょっと退路を断たなければならない所まできてしまったみたいです』
退路を断つ。
ここまでにも何度かとってきた最終的な方法のひとつではある。その度に直接的な原因となる、些細でありながら根深い認知のズレを見つけてきた。しかし、今回は前回からの間隔も短い。根本的な問題解決と言える所まで考えなければ、このまま何度も繰り返すかもしれない。
いつもだったらゆっくりでもかまわない。しかし、娘は今年卒園し、小学校に入学する。長男の入院した過去などから考えても、それが彼女にどれだけの負担が掛かるかは想像を絶するものがある。
彼女が今直面しているのは、保育所でも家庭でも、何かしらの『やりかた』にとらわれていることである。そこには現在、反応している最中の自覚がないために、心理行動療法を応用的に取り入れることすらできない(まず、自分の行動と効果を結びつけて考えられるほどの心理状態でもない)。
【もう、その『やりかた』では何一つ上手くいかないんだよ】そう親の覚悟を告げる必要もなく、娘は再度高熱を出して寝こむこととなった。娘も本当に限界を迎えていたのだろう。

休息とルール

保育所を休ませ始めた初日。彼女はドロのように眠り続けた。朝は軽く食事を摂り、しかし、その後は昼食も夕食も、ベッドで深い眠りについていた。
まずは2日間、集中的に休ませる。今までの経験上、それをしないことには会話すら成立しないことも知っている。多少の話を聞ける状態まで回復したら、今度は食事の時間だけとか、特定のタイミングで少しの間だけ一緒にいる様に変えていく。
3日目に彼女の表情に【どうしようにも動けない様子】が薄れてきたのを確認し、次のステップに移行することとなった。
食事の時間を提示し、その時間に自分の足で降りてくる事を守らせる。しかし、その時に少しでも『やりかたが分からない』などの態度を取って、人に解決されるまで立ち尽くしていたり、必要以上に『ふつうに過ごしているフリ』をしていると分かった場合は、即座に自室に戻らせ、家族と同席の食事はさせない事をルールとした。
ただ、結局はこういった状態に陥っている時は、食事にすら興味がなくなり、失敗して自室に戻らされる選択を取り続けることも予想されるため、『娘だけ時間をズラして普通に食事』も撤廃した。
極限の彼女は結局食事が取れるのなら、そこでも“良し”としてしまい、その先の会話が通じなくなるからだ。彼女が部屋に篭もることを“楽”とみると、その後の全ての人間関係や生活との関わりを、『おなかすいてる・すいてない』『トイレにいきたい・いきたくない』など、生理現象にまで欺瞞を起こす。
これをされると、全てが逃げる方に回り出す。その上での【退路を断つ】である。
純粋な空腹・自分の気持ちで行動せざるを得ない環境を敷いた。
ただ、足りないと思われる部分について、カロリーと栄養素を計算し、状況を見て本人が食べられそうな軽食や、水分補給と同時にプロテインなどの流動食も与える。しかし、それでは完全に飢えは満たせない。
今回のように、失敗からただただ逃げる姿勢を取り繕っているうちは、何を言っても無駄に終わる。そこで応じてしまえば、娘は『ここまでいけば助けてもらえる』と、また自分を追いやってしまう。ここに付け入られると、5歳の頃のような抜け様のない、ただただ硬直に繋がるパターンをなぞり続ける流れに持ち込まれることも知っている。
厳しいようだが、ここまでしないと彼女は自分の『やりかた』に疑問を持とうともしない。そして疑問を持たないうちはいくらでも続けるのが彼女である。
最初の2日間は、家族が寝静まる夜中まで、トイレすら我慢していた。3日目からは降りて来れるようにはなったが、最初に目があった人物に焦点を合わせたまま、何かしようと考え続けパニックになる状態が続いた。
事が動き出したのはルール開始から4日目。保育所を休み始めてから一週間が過ぎた頃からである。

自覚

覚悟を決めてから一週間が過ぎた時、娘は自分から私と妻のいるリビングに降りてきた。丁度仕事の打ち合わせを行っていたタイミングである。
娘『おなかがすいた。ごはんたべたい』
ここ一ヶ月くらいの間、リビングで自分の気持ちや要望を言うことがなかった。今年に入って初めて、自分から両親に向かって口を開いた瞬間だった。
しかし、妻が振り返るとすぐに上半身をゆらゆらとロッキングを始め、口元を歪め微妙な笑顔を作ろうとしながら、緊張の渦に呑み込まれていく。
妻『……そうするから、あなたは人といられないんでしょう?』
娘の身体がぴくんとタテに反応した。隣にいた私でさえ、思わず妻の顔に目を向けた。それほどに妻の言葉には気迫とタイミングが備わっていた。
妻は今、怒っているのである。
それまで“夫と娘”であり、自分に害が及んでもその不満を飲み込み続け、私の横で困ったような顔で自分からは心を動かそうとしなかった妻。今、確かに彼女は娘に怒りを向けている。妻はそのまま娘の手を引き、和室へと歩き出した。
実はここ連日、妻とふたり毎晩のように話し合いながら、妻が娘と同じ年頃の記憶はどうであったかを鮮明にしようとしてきていた。妻はあまり過去を話さない。それは恥ずかしいのもあるだろうが、大半は“当時、理解が出来なかった”事で、言わば苦手意識やトラウマのような別の問題意識があるからである。
“自覚”
今、まさに妻が娘に対して怒りを露わにした事も、ある種、母であり妻であり家族である立場から生まれる、自らの感情への自覚であろう。それは“らしさ”と言ってもいい。
これはそのまま娘の問題にも根本的に言えることだ。娘には【自分の気持ちや行動の自覚】【自分の立場の自覚】が恐ろしく希薄な時がある。それは本来、自分の気持と考えで動く“らしさ”の上で出てくるもので、彼女の場合は困るほどにただただ『やりかた・居かた』を再現することに夢中になり、結局【そこにいること・立ち振る舞いを気にする】だけになる。
妻『自分の気持ちの自覚がないって言うのは、もしかしたら自分の行動に説明が及んでないってだけなんじゃないかなって思うんだ』
長男に続く、今度は妻からの鳥肌級のひらめきをもらった瞬間である。
それは“他に表現できる近いものを見つけられない”だけなのかも知れない
ふと思えば、今まで妻が大きく考え方を変えたり、受け入れられなかった認知を自分のものにできるようになった時、確かに彼女は明確に言い表す一言との出会いがあった。今回、それは娘にも感じられる事でもあった。

一筋の光明

彼女が家族への不安や不信から、こうした行動を起こしているのではない事は分かっている。これは長男の時と非常に近い物を感じる。
長男の時に起こっていた事は、常に人に合わせていた彼が、家族といる時にもそれを繰り返していたということ。その終わりのない精神的な疲労から、やがて彼は困惑し、人といることに強い不安感と【どうしよう】という考えを持つようになっていた。
環境や体調の変化があると、人といる限りこの【どうしよう】を繰り返し、一気に消耗しながらそれを上手く出来ない事に混乱の度合いを強めていたのが全容である。
この時、彼がそれを自覚するに至った過程は、まず自分のやり方である、人との合わせ方【どうしよう】が破綻している状態に、本人が嫌気を持つまで苦しみ抜いたこと。その時も退路を断ち、極限の中で『冗談じゃない』と立ち止まり、『やりかた』が他にも沢山ある事に目を向ける気になった事が大きい。
その上で『人は人、自分は自分』と言った、他人の行動や自分の行動が、それぞれ独立したものであるということ。そして、それは常に気にし合ったり、干渉し合うものではなく、自分の意思を感じるための自覚を得たのである。
長男の場合は【常に人に合わせていた】事がキーとなっていたが、娘は一体何をキーとして、どんな自覚を持てずにいたのか。実はそれは想像以上に軽い場所にあり、そして今まで散々探してきた場所からひょっこりと出てきたのだ。
私『さて、さっきお昼に“おなかがすいた”って自分で言いに降りてこれたのに、どうして戻されたか自分で分かっているかな?』
夕方が近づき、娘も落ち着いたであろう頃合いに、私は娘の部屋を訪ねた。今までも何かあった後、本人がどうしようにも抜け出せていない様子が見られた時は、こうしてフォローだけは続けていた。
娘『……うん……ボソボソ……』
私『ああ、話せないフリや声が出せないごっこするなら、これでもうお父さんは下に降りるよ』
娘『……! わ、わかってる!』
最初は声が出せない。まるでそう決まっているかのように、声を出さない。しかし、回復の度合いは良好だ。すぐに悪手だと理解が出来て、ちゃんと話そうと意識を戻してくる。
娘『おかあさんを“気にしすぎ”て、はなすのもうごくのも、やめちゃった』
私『そうだね。家族を気にし過ぎなのと、自分で動いたり話たりするのを止めたよね。それだと君がまた疲れきるまで考えだしてしまうから、お母さんはダメだって教えてくれたんだよね』
娘はこういう正解をキチンと答えることができる。しかし、こうしてハキハキと自信ありそうに答えた時は大抵は……
私『じゃあ、その時、本当に自分がそういう事やっていたんだって分かってる?』
娘『……』
私『何をしていたか覚えていないの? 分からない時は分からないって言えばいいんだけど……』
娘『……わからない』
ここまでは今まで、何度も何度も繰り返されたリピート再生の様な会話である。どんなにパターンを変えて、切り口を変えて【なぜやっていたのか・どう思っていたのか】などを探ろうとしても、完璧な答えを返してくる娘。しかし、その意味はまるごと飛んでいたり、結局自分が何をしていたのかは理解していなかったりする。そしてここを巡り続ける。
しかし、今回は違う。連日の妻との話し合いや作戦会議、長男の言葉と妻の言葉。ここ二年間に積み重ねてきた一歩一歩の集積。これらは私に今までとは違う視点を授けていた。
私『言い方を変えよう。君はさっきお母さんが振り返った時、【間違った事をしないよう】とか【いい子でいなきゃ】とか考えなかった? 当りか外れか、近いか遠いか答えて』
娘『……ちがう……でも、とおくない』
私『……!? じゃあ、次に行くよ。【普通にしていなきゃ】とか【どうしても気になっちゃう】とか考えていなかった? 当りか外れか、近いか遠いか答えて』
娘『……ええと、それもとおくない』
私『遠くないってどっちのこと? 【普通にしていなきゃ】って方? そうか、じゃあ……』
こういったやりとりを何度か繰り返していると、突如彼女が反応を見せた。
私『お父さんやお母さんがいる時、【こっちを見られない様に】ってしてなかった? 当りか外れか、近い……』
娘『【めだたないように】してた』
ハッキリと意思のある声。以前彼女に感じたことのある、お互いの間に掛かるモヤがすっと晴れた様なクリアな世界。まぎれもない、これが核心だ。
私『えっ? でも、今までも【怒られないように】とか【注意されないように】とかしてないかって、何度も声掛けてきたよね? それとは違うの?』
娘『ちがくない。でも、【めだたないように】ってことをしてたのは、いまわかった。ちかい、ううん、おんなじだった』
【怒られないように】と【注意されないように】、このふたつはこれまで散々、“こうしていないか?”と声がけをしていたうちの、大きな二つの柱である。娘に取ってはこれは意味合いが同じでも、彼女の気持ちを指す言葉ではなかったらしい。
だから、これに関わる気持ちの処理や考えを、片付けるに至らない材料不足な情報として流されていたと言う可能性がグッと出てきてしまったのだ。
これはもしかしたら、【一定の認識や言葉が溜まると、急にそれまでできなかった理解や行動が可能になる】という、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者に見られる特徴の一部なのかもしれない。
私『じゃあ、君はお家にいる間はずっと【目立たない様に】してきたって事でいいんだよね?』
娘『うん。そう(キッパリ)』
私『それをやらなくて良いと言ったら、今はわかる?』
娘『うん、【めだたないように】をやめる』
意味はほとんど同じなのに、それをそうだとは認識されてこなかった。怒られない様に目立たないでいる。注意されないように目立たないでいる。確かに言葉の階層としては違うのかもしれないが……。私はこの時、正直に言えば、ただただ面食らっていた。
それもそのはず、今まで何年も苦しんできた違和感が、たったこれだけの言葉の意味合いのとらえ違いでだけだったとは思いもしなかった。しかも、これはただの取り違いや勘違いなどで片付けていいものではない。もしかしたら彼女が認知し切れない部分の対処を、たった今見つけ出したのかもしれないのだから。
私『じゃあ、もしかして君、保育所ではさぁ。うちとは違って……』
ここでの質問、そしてその答えが全ての解明に繋がるとはそれこそ考えもしなかった。
とにかく私たちは娘の正解に辿り着き、同時に今までの疑問とスレ違いを、明文化できるまでの答えを得た。同時にこれは妻が今まで【ASDの特性として苦手】とされながら、そこに関わる分野を短期間で得られて来た事にも繋がって行くのである。

【つづき】⇒アスペ妻の記録~当事者意識~

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  • 夫。30代。
    定型。フリーのデザイナー。
    自宅で仕事をするかたわら、家事・DIY・訪問営業撃退に勤しむ。 本人は定型だが、何かしら発達障害との縁が深い。
    心労と過労で3度倒れ、一時はうつ状態に。 ところがどっこい完治なタフガイ。

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