妻
乾いた感覚
夕方から胃がチクチクと痛み出し、ゆっくりと下がるように下腹部へ。
10時頃辺りから痛みの種類が変わる。
右側の骨盤から三横指、その奥の内蔵を、下から爪を立てて握り潰されるような感覚。
その周りの組織や筋肉が過敏に反応して引きつり、強弱をつけた脈打つ激痛が、1~2時間毎に波のように押し寄せてくる。
同時に込み上げる吐き気と下痢。
話すのも億劫だったが、不思議と同様もなにもなく、むしろさざ波ひとつない心境。
私『まただ、大腸炎。始まったみたい。』
先に寝ていた妻が寝返りを打ち、ふと眠りが薄くなったタイミングで声を掛けた。
妻『……えっ!?』
飛び起きる妻。
私『ああ、すまんね。朝、車運転してくれるかな?』
妻『いや、救急車…とか? え? 大丈夫なの!?』
私『この分なら大丈夫。前よりは痛みが浅い。子どもたち送ったら頼むよ。』
妻『でも……』
私『いいから寝て』
これまでにないほど冷静だった。救急車を呼べば検査から治療、即入院だろう。
それじゃあ駄目だ。明日、自力で病院に行って、入院ではなく飲み薬で済むように相談しよう。
今、入院する余裕は我が家にはない。仕事も任せられる状態なんかじゃあない。
冷静に表に出さず、動揺させずにパニックを起こさせずに。妻がパニックを起こされなければ、パニック人員が子ども2人までで済む。妻がパニックを起こせば全てが停滞する。
3人同時は無理だ。
やがて隣から妻の寝息が聞こえ始めた。それを背に携帯で自宅療養の情報を病院に行くまで検索していた。死にはしないが、眠れるほどの軽い痛みでもなかった。
騒ぐほどのことじゃない。騒いでも呻いても何かが変わるわけじゃあない。
落ち着いているというより、直面していることに対してアクションを起こせるほど、心に潤いがない状態だったように思えた。
自宅療養
血液検査で自宅療養可能かを調べ、可能範囲だと分かり次第、抗菌剤の点滴。処方を受けて帰ることにした。
食事は重湯程度、毎食後の薬と絶対安静、それを1週間。それが病院から言われた自宅療養の説明だった。
家に帰ると一休みしてから、とりあえず1週間のどこで寝こんでも良いように、最低限の所まで仕事を進めた。
激しい下痢が続き、何度となくトイレに行くことになるが、階下に降りる度に子どもたちはシーンとしたり背を向けたり。
いつも通りの『壊れたままの家』だった。
いつも通りの『壊れたままの家』だった。
私が寝室に戻ろうと階段を上がれば、とたんに子どもたちの暴れる音が元通り響きだす。妻も特に注意はせず、これもいつものこと。
何度もドアを強く開け閉めする音と振動。なにかを乱暴に叩き続ける音。無駄に騒ぎ立てるような演技がかった騒ぎ声。
注意する親は今、どこにもいない。
1週間が過ぎ、病院で再検査を受け、白血球数やタンパク質の状態が正常であることを確認。多少の違和感は残っているが、処方箋も終わり、さらに1週間の回復食の指示を受けて帰宅した。妻は快気祝いを提案してきたが丁重にお断りした。
完治したわけではないし、原因がなくなったわけでもない。それに祝いになどなるはずもないのは痛いほどに分かっていた。
妻の沈黙
一応の回復から1週間。
だんだんと夫婦の口数が減っていく。特にこちらは態度を変えたわけではない。
明らかに妻の口数が減ってきているのだ。
馬鹿話はするし、私から話題を振れば話もする。
しかし、どこか表情も硬い。
しかし、どこか表情も硬い。
どうかしたのかと聞いてみても、
『いや、別に……』
と、どこか含みのある響きがある返事を繰り返すだけ。
いい加減私もうんざりしてきたので話しかける機会が減っていった。
妻はどこか困ったような、悩んだような、言い辛いような……。硬い表情のまま晴れることがない。こういう妻は別段珍しいことではない。
普段は明るいのだが、年に数回こういった表情のまま、コミュニケーションが著しく薄くなる1~2ヶ月が来ることがある。今回もそんなもんだろうと思い、私もまだ本調子ではなかったので、こちらからアクションを掛けようとはしなくなった。
半月が過ぎた時、
『ごめん、話があるんだけど……』
突如、妻がかしこまった口調で私との対話を求めてきた。
【つづき】⇒~点と点~
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