妻
パーソナリティ障害
よく、アスペルガー関連の記事をネットで探していると、【パーソナリティ障害】という言葉に目が行くことがある。
パーソナリティ障害とは、人や社会とのつながりの中に生まれる、様々な物事や感覚に対し【とらえかた・感じ方・考え方・反応の仕方】などのひとつひとつの反応が、認知や思考の際に何らかのズレがあり、社会に適合する事に苦痛を受ける障害のこと。
かつて娘に感じていた、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)以外での、娘の社会性に弊害を起こしている可能性のうちの一つだった。
最初にパーソナリティ障害を疑った理由としては、他人との境界線の逸脱が大きく、会話を始め、人間関係が全くと言っていいほど成り立たなかったこと。当時アスペルガー症候群(この頃はまだ診断名としてこうであった)の知識も乏しく、知性に遅れが見られない事や、自閉症関連の行動特性と比べても“できている”事が多かったからである。先天的な何かを特定など、素人の私に出来るはずもなかった。
さらに幼齢での事例がほとんど見当たらなかった事と、幼児での受診ができる医療機関も見当たらなかった。
後に色々とASDの特性を理解し、娘が対面的に貼り続けてきた彼女独特な“取り繕い”の正体を突き詰め、現在は【パーソナリティ障害そのものである】とは疑ってはいない。
ただ、娘の特性の上だけではなく、それをきっかけとして対面的な行動に走る以外の行動が取れず、苦痛を感じながら社会に適応できないのであれば、それは【二次的にパーソナリティ障害となっている】と言える。
それでも、病名・障害名・呼び名がどう変わろうと、それが重い軽い関係なく、何らかのズレを感じ、その結果本人が苦痛を受けているのであれば対応していく方法を模索していくことには変わりがない。
例えば特定の出来事に関して、恐怖心を持ってしまうのなら、その感情や反応・情報の処理の仕方は仕方がない。それを受け入れたり好きになろうとするのは超難問だし、脳の仕組みとして感じている恐怖なのであれば、その感じ方自体を変えるのは不可能だ。
要は起きた事を、恐怖として処理する前にとらえ方を変えるか、処理してしまった時の初動や対応をどう変えていくかである。
そして、今、こうした対外的な初動や対応に関し、その対応につまずき抜けられなくなっている人物がいた。
定型発達の次男である───。
墓穴にハマる
次男は通常、問題を感じることがほとんど見当たらない。それは単に【手がかからない良い子】と言うのではなく、年齢相応の問題を持ち、年齢相応の発達を見せているため、ふつうに対処していれば自分で理解していけるということ。
彼は年齢の割に話の理解力が高く、空気読みに長けてはいるが、贔屓目に見てもよくて秀才クラス。つまり普通範囲である。
しかし、それでも4歳。自分の気持ちや感覚、感想などが自身で読み取れないのは当たり前だし、自分の気持ちの取り違えなどが起こることもある。
今年の夏に長男が起こした【父親への緊張】の時、隣にいた次男もつられて緊張し、抜け出せなくなったように、環境自体が変化した時に自分を保っていられるほどの判断力は持ててはいない。それは仕方がない事でもある。
ここ数日の娘の“ぶり返し”も、彼にとっては例外ではなかった。姉の必要以上の構えや緊張、距離感への戸惑いが次男に伝染り、結局今回も次男はそこから自力で這い上がれなくなってしまった。
そして、恐ろしいことに脱出したはずの娘が、次男を気にし始め、結局自らも元に戻ってしまう。自分が掘った穴に次男が落ち、見ているうちに自分も落ちたという、我が子ながら何とも情けない事ではあるが……。
娘がぶり返してから早2週間以上。疲労感は否めない。
従うべき自分を選ぶ
もう妻の対応や私の声がけではふたりとも効果がなくなっていた。娘は私を気にし過ぎていることに自分で気がつくが、『やってしまった。どうしよう』とか、そうしていなくても『また、やってしまうかもしれない』と考えるように戻ってしまった。
それが【父を傷つけるやってはいけないことだ】とも自覚がありながら。
この彼女の感覚はもうイヤというほど知っている。治りかけのカサブタを気にしてかき、いつまでも治らなくしてしまう様な、ただただ【気にしてしまう】状態。
ここがややこしいが、実はいつでも彼女は引き返せる所にいて、普段であれば問題ない。ただ、直近で失敗しほとぼりが冷めないまま、前後の流れ関係なく刺激の強い“失敗”にとらわれ、それだけになる。
こうなると、後は逃げ場がなくなるまで、ただただ繰り返し“失敗”を思考する。次男を止める必要があるが、ここまで来ていたら、まず娘を一刻も早くもとのパターンに戻す必要がある。
方法はひとつ。
【もう、後がない】
と知らしめる。
と知らしめる。
これはもう、どんな理由があろうともやってはいけない』と本人がもう一歩進んだ実感を持たなければ不可能だ。今のままでは、ズレたままの行動を“つい”やってしまったとしても、何ら咎めるものがない。
そうして娘を止め、次男にはその“パーソナル”では先がない事を、体感を持って実感してもらうしかない。
ならんものは、ならん
私がリビングに入るやいなや硬直する次男。それを横目に、自身も【気にし続ける姿勢】に移行する娘。
一瞬見えるジレンマ。
やってはいけないが、どうしていれば良いかの答えがわからない───。
後は言葉を失うだけ。本当にそうしかできないのなら仕方がないが、そうせずに済むことも本当は知っている。これを超えるためには……。
私『よくわかった。娘、俺は“知らないおじさん”って事でいいね』
娘『………………えっ!』
私が居る横で口元を歪ませ、作り笑いにもなりきれない表情のままかたまり続けて30分以上。私の言葉に娘が青ざめた顔を向けた。
私『家族はただ居るだけ。何もしなくていい。そんなことはもう知っているよね?』
娘『………………ぅっ……』
私『ああ、知らないおじさんには返事もできないよね。怖いもんね、嫌だもんね』
娘『………ち……ちが……』
私『ああ、やっぱり話できないよね、知らないおじさんだから』
娘『ちがう!』
私『違う? ああ、父親じゃないってことね』
娘『おとうさん! しらないおじさんじゃない!』
私『…………じゃあ、どうして“あっちいった・こっちいった”をずっと気にしてるんだよ。どうして“どうしていよう”なんて考えなくていい事を考えてるんだ? 保育所の先生にもそうしているのかな?』
娘『………て……ない』
私『ああ、そうだよね、知らないおじさんとなんか話したくないよな!』
娘『せんせいには、そういうことしてない!』
私『ああそう、じゃあ先生よりも遠いおじさんで、言われないと話もできない嫌な相手なんだろうね』
娘『………ち……が……』
私『よく分かった。ここまで自分の娘に、知らない人扱いされるなんて思いもしなかったよ。じゃあね、これで親子じゃなくなるね』
娘『ちがう!』
私『だったら、最初から話すことを諦めてないで、最初から気にしてる自分なんか気にしてないで、今まで自分に父親と母親が教え続けてくれた言葉を信じたらどうなんだ!』
娘『うう……ッ?』
私『家族は居るだけでいいんだ。一緒にいる方法なんて、いちいち考えないんだ。好きな人が近くに来たら、嬉しそうな顔になっちゃうだけで相手には伝わるよ。いい子にしていようなんて家族にはいらないんだ』
娘『……わかってる!』
私『それを、ふだんはできてるのに、何かで始めると、いつまでも言われない限り止めようとしないのは、お前だろう?』
娘『………!』
私『そういう事だ。言われないと出来ないのは、やらないことと一緒だし、出来ている・分かっているとは言わない。このままずっとお前は、言われない限り俺に“知らないおじさん”と言い続けるだろう。今まで何度も傷つけられながら、チャンスを与えてきて、一緒に考えようとしてきたが、よく分かった。……これ以上はできない。それでいいな?』
娘『わたしは……っ! できます!』
私『なにを?』
娘『わたしはもう……おとうさんをきにしたり、しらないおじさんってやりません! だから、だからゆるしてください!』
私『ふぅん。どうしてそれを信じなくちゃいけないの? 今まで何度も約束して、でも、“つい気にしちゃって”を続けたのは誰だっけ?』
娘『………! わ、わたし……』
私『じゃあ、俺だって約束守らなくても、約束しなくてもいいじゃない』
娘『………いや!』
私『嫌なのはこっちも同じだ。そういう、気にしたりするのは嫌だっていったよ。でも、それを聞いてくれなかったのはそっちだ』
娘『いやぁ!』
私『…………信じてもらえない辛さがわかったか?』
娘『……わかった!』
私『どんな理由があろうと、やっちゃいけない事があるって分かったか?』
娘『わかった! もうしません!』
話し始めに【言葉がでない】と思い込みから戸惑うことが治まっている。自分の“とらわれているパターン”を凌駕したようだ。
キツすぎだろうか……いや、先々、人間というものの関係はこういう事で破綻する。ならば今からでも、彼女がこうした思考を定着させる前に、一槍見舞っておくしかない。それを短期に次男との調整を踏まえたら、これ以上の手が浮かばない。
さて、次男だ……。
体、感覚、認知
娘と入れ替わりに、昼寝から起きてきた次男と向き合う。
次男もここ2日程は、私が声をかけると娘と同じく、呻くような反応を返すようになっていた。
次男もここ2日程は、私が声をかけると娘と同じく、呻くような反応を返すようになっていた。
以前なら、ここで【やはり自分が父親として厳しすぎたのか】と不安に駆られ、自分を追い詰めただろう。しかし、そうではないことはもう今までの連綿たるわが家での摩擦の中で学習してきた。
彼に足りないのは【理解】だ。
それが何に対する理解かは、言葉で通じる年齢でもない。言葉では無理、時間をかけたら愛着障害の様になる可能性もゼロではない。ならば手は一つ。
体で覚えてもらう。
私『次男、ちょっとおいで』
次男『………ん……』
声をかけた瞬間に真っ青になり、目を伏せる次男。
私『どうして見ないようにしたの?』
次男『…………みたら、きんちょうしちゃうから』
私『見たら、緊張しちゃうんだ。じゃあ、これからもそうやって見ないつもり?』
小さく首を振るものの、返事はない。
私『……ああ、そう。じゃあ、ずっと仲良しできなくてもいいんだね』
次男『……ううん、いや』
私『じゃあ、そこからちゃんと歩いてここまで来て』
不安そうな顔のまま、私の近くまで来て足を止める次男。
私『もう一歩前へ』
次男『………ん……』
一歩進んだ次男。空気が震えそうな緊張が伝わる。
私『じゃあ、次はお母さんの近くまで歩いて』
次男『………ん……』
妻の所まで歩いて行った次男に再度声をかける。
私『今度はお父さんの近くを通りすぎて、あそこの壁まで歩いて』
次男『………ん……』
また、緊張で青白くなった次男がたどたどしく歩きながら私を通り過ぎ、壁まで歩いて行った。
私『はい、じゃあまた同じようにお父さんの近くを通って、お母さんの所まで歩いて』
次男『?』
私『いいから歩く』
妻の前まで歩く次男。それをさらに二回ほど繰り返した。そして妻の前に行った時に次男に訪ねてみた。
私『まだ、胸、ドキドキしてるの?』
次男『……あ、してない』
私『じゃあ、今お父さんの目を見て』
次男『……?』
私『あれ、おかしいな。見たら緊張しちゃうんじゃなかったっけ?』
次男『…………きんちょう、してない』
私『歩いている時はどうだった?』
次男『してたけど、なくなった』
私『じゃあ、もっと近くに来てごらん』
今までで一番近い位置まで来た次男。
私『もっと、もっと近く。もっともっともっとも~っと』
私の鼻先に次男のお腹。すでに次男はもう笑っている。
私『緊張は近づいたら消えただろう?』
次男『うん! きえた!』
私『じゃあ、このドキドキが消えた時の感じ、忘れないで。わかったね? 消えない緊張はないんだよ』
次男『わかった!』
感覚を意識して感じ、それが生まれる瞬間と、消える瞬間を得たことで次男の緊張に対する不安が消えた。決まればあっけないものである。
それ以降、緊張から硬直する事がなくなる。
それぞれのパーソナリティ
娘は何事もなかったように、余計な意識を捨てた。パターンから外れたのだ。再発しないという保証はないが、【どこまで】は確実に理解しただろう。
次男は最初姉につられ、緊張を感じる瞬間を憶えてしまった。結果、その感覚と父親が不快になる事と、因果関係が無理矢理に結び付けられ、正確な感覚を見失っていた。
こちらも再発しないという保証はないが、キーワードにはできる。【緊張は消えないものなのか?】と。
こちらも再発しないという保証はないが、キーワードにはできる。【緊張は消えないものなのか?】と。
さて、今回出てこなかった長男であるが、彼は夏の一件で【人は人、自分は自分】を自分のものにしつつある。彼にはこうしたお説教が終わった時に声がけをしてはいたが、状況の理解も、娘と次男の心情にも、また自身がそれを聞いた時の気持ちも理解出来ていた。
そして、妻は…………。
妻はまた、静かなパニックに呑まれようとしていた。一週間に1~2度のパニックがなくなり、初めての安定を見せてから三ヶ月。
妻の目元と眉間に、その兆しが現れ始めていた。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~補欠のポジション~
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