妻
書いてある内容をちらっと
夫の休暇
妻の里帰り、私の一人生活2日目。年内の大掃除も年賀状の投函も、正月飾りもすでに済んでいる。後やるべきことと言えば、御節作りくらいであるが、回復食(おかゆ)生活まっただ中で、今回一人正月の私には無用である。
外は例年に比べて結構な大雪が続いていて、人の気配もほとんど感じられない。雪は人の活動を圧迫しながら、外界の音を吸収して一層静かな世界にする。
時折、スマホになんやかんやと着信や通知音が鳴る。その時だけ時間が動いているかのような、雪に閉ざされた日の独特な切り離された感覚。その感覚は単に孤独などではなく、寂しさも過去への振り返りも起こさせず、ただそこに留まらせる空気に満ちている。
── 大工殺すにゃ刃物はいらぬ。雨の3日もあればいい。──
諸説はあれど江戸町民の“宵越しのカネは持たない”と言った、当時の生活や情緒を表した都々逸であるが、今までの経験上、これは金銭などの物質的なものだけではないと思っている。
人間の身体は不思議なもので、休息が必要ではあるが、一気に全ての活動を止めると気力などのエネルギーの生成までもが止められてしまう。それは単純にやる気を起こしたり、自分の足場を確認しながら先を見通すなどの、活動に必要な指針ごと一気に見失うことがある。
……完全に休止するのは、どうも社会復帰がキツそうだ。
絶対安静の頃も過ぎていたので、簡単に雪かきしたり、いきまない程度の極軽度な運動をしつつ、あまりシリアスでない将来的な気楽な展望(都合のいい妄想とも言う)などを紙にまとめてみたり。そうこうしているうちにも時計の針は進み、テレビも一度も点けないまま、驚くほど無意識のうちに歳は明けていた。
スカイプの通話通知が鳴り響く。年明けが滞りなく済んだ事に気がついたのはこの着信音のおかげである。自身のあまりのマイペースさに苦笑しながら、スマホを手に取ると、妻からのテレビ電話だった。
テレビ電話の向こう側
妻の実家のリビングを背景に、妻と長男が小さな画面に窮屈そうにくっつきながら顔を写している。
長男『お父さん! あけましておめでとー!』
妻『あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしまーす』
私『ああ、あけましておめでとうございます。おお、長男。今年も起きていられたか』
長男『うん、ぼくだけじゃないよ。娘も次男もおきてるよー』
画面が揺れ、続いて映り込む次男。次男は初めて見るテレビ電話に映る私の顔が不思議らしく、『なにこれ、ほんもの? ほんもの?』といったような事を繰り返してはしゃいでいる。鼻息も荒く、何を言っているのかは全く分からなかったが、初めての夜更かしとテレビ電話が嬉しくて上機嫌なのは確かなようだ。
長男にスマホを取り上げられるようにして、激しく画面が揺れ景色が回る。続けて写ったのは娘だった。恥ずかしながら、まさか娘まで起きていて、今いきなりコミュニケーションを取ることになるとは思わず、一瞬戸惑った。
─── 娘はまるで今まで何もなかったかのように、画面の向こうで何の気兼ねもなく、極当たり前の笑顔で手を振りながら、何事かを話しかけてきていた。
その姿を見た瞬間に、私はある一つのことを確信した。親としての見落としや取りこぼしがあったのではなく、あの娘が起こしていた不安定の根本は、やはりスイッチのように切り替えられたものであったと。
同時にそれは、本人が根本的に破綻している方法論であると自覚しないことには、帰宅した途端に再度スイッチが入ることを意味している。似た事象で言えば、毎年クリスマス前日と翌日に見せる、硬直とリラックスの華麗な手のひら返し。さらに古く遡れば、2歳目前の頃に突如歩けなくなった彼女が、病院で新しいおもちゃを見た瞬間に駆け出し、帰宅後すぐに寝っ転がり『歩けない』と悪びれもせずに甘え出した時と同じようなこと。
そうして頭によぎったのは、“この私の休暇明けは早々に地獄になる”という、鮮明すぎるほどに明確な映像であった。
頭に浮かぶと同時に、解説が即座可能なほど明確なそのヴィジョンは、決して妄想や言いがかりなどではない。今まで何百何千と繰り返してきた娘の行動そのもので、その根拠までもが説明でき、場合によっては落ち着いている時の本人ですら解説できる、確固たる事実の集積なのだ。
通話を終え、モニターが暗転した時、自分の無感情な顔が写り込んだ。
その冷めた自身の目を確認した瞬間から、残り3日間の休暇は、進むべき先の意味を持たない無味乾燥な時間へと変わっていくのを感じていた。
リピート再生
ガレージのシャッターが開く音が聞こえた。続いて慌ただしく玄関への通路を駆け上がる、ひとりの子どもの足音が響く。
その三十分程前、妻からそろそろわが家に着くとの連絡が入った。ほぼ時間通り、最初に飛び込んでいたのは……
─── ガチャッ!
娘『おとしだまはどこ!?』
私『……おかえり。え、お年玉?』
娘『…………おばあちゃんのやつ』
ふだん絶対にするあいさつも何もなく、私の事など眼中にないかのように、引き出しを慌ただしく開けては閉め、引っ掻き回す。妻から聞いたのだろう、私の実家の母から届いたお年玉の事を言っているのだ。
─── カチャ
長男『お父さん、ただいまー!』
次男『ただいまー』
私『おお、おかえり。疲れたろう?』
長男『うん、大丈夫! これとこれもらったー!』
次男『次男もこれもらったー!』
私『お、そうか、良かったじゃん。……あ、娘、お年玉は後でちゃんと渡すから、今は手洗いうがいしてテレビでも観て待ってて。ちょっとお母さんの荷物手伝ってくる』
長男と次男はこたつに潜り込みながら、手持ちのおもちゃで遊び始めている。娘は駆けこむように洗面所に飛び込み、また慌ただしく出てくると今度は子供部屋のおもちゃ箱から、またも何やら慌ただしく探し始めていた。
その音を背中にガレージに向かうと、薄暗い室内灯の下、脇目もふらずに荷物を整理しながらまとめている妻の姿があった。
私『おかえり』
妻『……ああ、ただいま。手伝ってくれるの? ……いいのに』
声に抑揚がない。顔もどこか余裕がない。長旅で疲れているのもあるのだろうが、そう言った気力体力的な疲れの色ではなく、何らかのズレを抱えた時に見せるスレスレの切迫感のようなもの。
─── 嫌な予感がする。
私『疲れたろう。……どうかした? 何か表情が硬いけど』
妻『……そう? 別に』
とりあえず妻を先に家に入れ、荷物を全部運び込んだ。
リビングに戻ると、くつろいでいる長男。その隣でやや疲れを見せながらも、寝転んでおもちゃで遊んでいる次男。そして、慌ただしくリビングと子供部屋を往復しては、次々に何らかの自分の物を手に戻ってくる娘の姿があった。
(まずい。よくよく考えたら、こういう環境が変わった瞬間が一番危ないじゃないか……)
いつもなら妻が【お家はラクにする所・家族はただいるだけ】と抱きしめたり、先回りして声がけをして落ち着かせているタイミングである。その妻はというと、余裕のない表情で脇目もふらず荷物を開ける作業に没頭しようとしていた。
私『……あのさ、荷解きは明日でいいんじゃない? それよりも、ちょっと娘の様子を見てやってくれないか?』
妻『…………うん』
私『やっぱり何かあった?』
妻『………別に』
私『その言い方は“別に”じゃないだ……』
娘『おかあさん! あのもらってきた本はどこ!?』
娘『おかあさん! あのもらってきた本はどこ!?』
妻『本……?』
娘『おにいちゃんがもらってた、あの、おかあさんが、にもつにしまったやつ』
そう早口でまくし立てる娘の表情は、もうどこかおかしかった。目を見開いていて、焦点が合っているような、いないような。そして姿勢が何処かマネキンのような硬さと、不自然なバランスが出てきている。
……もう、遅かった。
私からの言葉で作業を中断され、そこに娘からの微妙に掴みにくい注文と、そしてその明らかに異変が見て取れる一種独特な空気に、妻は一気に困惑を深めた。
妻『………娘、それは今はちょっと大変だからできない。他ので遊んでて。明日荷物を解くから、明日の楽しみにしよう……ね』
数秒間、上半身をゆらゆらロッキングさせ、緊張と困惑を走らせた後、娘は不自然な歩き方でリビングへと戻っていった。
テレビ電話の直後の予感が、たった今、目の前で形になろうとしていた。
妻『…………で、ごめん。………なんだって』
私『……もう、いい。俺はお前のそんな顔を見るために、実家行きを提案したんじゃない。それにこうやって致命的な流れの発端になると分かっていたら、最初から言いはしなかったし、今俺、後悔してるよ』
眉間が固まったような、八の字に歪んでいた眉がぴくりと動いた。表情に変化を見せないまま、ただ静かに涙がこぼれた。パニックが解け始めたとみていいだろう。
─── 胃がキリっと痛んだ。
パターンからは逃げられない
私『長旅から帰ってきた直後で疲れているのも分かってる。気疲れがあったり、今気が抜けて気力が一気に落ちているのも分かってる。つい今の今までパニックになりかけていたのも分かってる』
妻『…………』
私『でもさ、忘れちゃいないか? 何のための旅行だったんだろう。お義母さんの事はもちろん、うちの家族の安定のための一手じゃあなかったか?』
妻『うん』
私『あの娘も、こういう環境が変わる瞬間が一番危ないよね。あの娘、家に帰るなり開口一番なんて言ったと思う? “お年玉はどこ!?”だよ。それからずっと何かしらを探しては持ってきて、何度も何度も行ったり来たりしてる。なぜだか分かる?』
妻『…………?』
私『車の中であの娘は“帰ってから”“帰るまでの我慢”そんな言葉がキーワードになってたんじゃないかな。で、それが引き金になって、“家に帰ってからやること”を片っ端から考えていたと思うんだよね、今までのパターンからすると』
妻『……うん』
私『で、今、そのほとんどを消化して、やることがなくなった途端に、自分の立場や立ち振舞をどうするべきか見失って、一気に崩れ始める』
妻『…………あ』
私『これももう、何度も繰り返してきたことだよね』
我に返った様に反応すると、妻は泣きだした。
妻『……ごめん。ちょっと、休ませて……』
小さな嗚咽を背中に、私は薄暗い和室を出て、自室へと向かった。今はそっとしておくしかない。落ち着けば妻は自分のパニックの理由を自覚することもできるだろう。でも、今は無理だ。そして、ふつうの親ならリビングに向かい、子供たちのケアをするだろうか。いや、わが家の場合、今それをすれば確実に2人が困惑する後押しをすることになりかねない。
1人はついさっき、スイッチの入った娘。もう1人は娘の影響を受けやすく、また、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)とはどこか異なる、3~4歳児独特の社会性形成時期に起こる難しさを抱えた次男の存在である。
今ここで娘がフルにパニック状態に陥ったら、それを目の前にした場合の次男への影響は、もう考えたくもない。
ここまでを含め、予想されたいわれのない硬直と緊張への、ダダ滑りのパターンがほぼ再現されている。
その再現の【ほぼ】とはどういうことか───。
何もしなくても約束された所までの悪化は動かぬものになり、明日からは逃れようのない不自然で不条理な、無意味な緊張を強いられる日々になる。それらの残りの地獄が、なんの抵抗も出来ないまま、確実に再現されるということである。
一旦の安定が訪れるのは、パターンで行けば早くて2週間、長くて数ヶ月。体力的に続けられる限界が、娘本人に訪れるまでである。
そして、このループから抜けるのは、娘が社会性に於いて、何かしらの成長や概念の獲得が叶った日となるだろう。それは通常の子どもの成長とは大きく異なり、直線的な上り線を描くグラフの様な成長にはならない。不定期に大きな踊り場の点在する、階段上の成長線を描くことになる。
その成長が次に起こるのは何年先になるというのか。そして、一体なにが必要だというのか。本人の概念が揃わない限り、予想することすら難しい。
近年感じた中でも最大級の無力感と虚無感が猛烈に押し寄せ、耳が遠くなるような脳圧と胸の苦しさを感じながら、私は実感を失わないように階段を踏みしめて登っていった。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~踏み込む意識~
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