妻
書いてある内容をちらっと
脱輪からの復旧
朝、強烈に重たい身体を起こし、洗面所に向かう。水道の刺し込むように冷たい水で顔を洗い、自分の姿を見る。
……一体、なんだこれは?
普段ならだいたい歯磨きが終わるまではボヤけ気味な頭が、今日は鏡に写る自分の顔を見た瞬間、一気に現実に引き戻された。はたから見れば一瞬であろうが、私の頭の中では瞬時に複数の可能性が巡った。
ムーンフェイス。
顔がボール状とまではいかないが、かなり浮腫んでいる。まぶたはプックリと膨らみ、フェイスラインも印象が変わるくらい丸くなっている。
……ああ、副作用か。
年末からのストレスもあるが、体調を壊したことで体内環境が壊されたのだろう。全身に蕁麻疹や湿疹が出るようになってしまった。先日の再発を含めれば、憩室炎で倒れるのはこれで4度目だが、実はこの湿疹や蕁麻疹もこうして体調が崩れた後に度々発生している。
今回はかなり発疹が強く出たので、強目の錠剤を服用していた。この錠剤にはこの満月のように丸くむくんでしまう副作用(ムーンフェイス)があげられている。内臓関係のダメージはもちろんあるだろうが、直接的に思い当たるものはこれだろう。
打ち合わせ、行かなきゃいけないのに、どうしようか……。
そんな中、子供たちの寝室の方から、娘と妻のやりとりが聞こえてきた。
妻『あれ、どうして自分のお部屋にもどったの?』
娘『ん? だって、おとうさんがいないんだから、“目立たないようにしない”のれんしゅうにならないでしょう?』
妻『……まあ、そうなんだけど、ね。……うん、分かった。じゃあ、今日もお昼、自分で降りてこようね』
娘『うん、わかってる♪』
前にもあったことだが、もう、顔を見なくても分かる。娘はこれで何事もなかったかのように普通にもどっているだろう。それこそまさに、手に取るようにこの後の関わり方が想像できる。
脱輪したまま軋む音を立てて、無理矢理に進もうとしていた娘が、完全に復帰したことがたったこれだけで分かる。
それだけ、声の力が違うのだった。私はそんなことを感じながら、ため息混じりにダメ元で、かつて仕入れたリンパマッサージを繰り返す。
なぜパニックに陥ったのか
娘がわが家でパニックに陥るまで、一体“何を考えようとしていた”のか、また“なぜ、そうしていた”のか。
まず、結論から無感情にまとめてしまえばこうなる。
彼女はやはり自分の評価に対して、【“マルかバツか”の両極思考】でとらえていて、その上で自分が他人の目にどう映っているのかを常に気にしていた。その両極思考のバツの方には、【わからない・しらない・できない・まちがえている】これらが度合いも段階も限度も無く、それらを対比することもないため、全てがバツと一緒くたにされていた。
この両極思考を受けてから彼女がどう行動するか。これは2~3歳の頃すでに本人が取り決めていたといっても過言ではない。それそのままの考え方で、今も物事に対しての行動を当てはめようとしている。
ただ、現実には両極しかないのではなく、様々なグレーゾーンが存在するのは言うまでもない。そこに起きていることと、自分の考えに矛盾が起きていることも感じてはいる。しかし、彼女はまず2~3歳の頃の取り決めに従って考える。
“間違えたくない(否定されたくない)”と───。
保育所などの外の社会では、自信のない時は物言わず、他の多数の中に紛れていれば問題にはならない。なぜなら、そういった多数の中であれば、バツな時の不安感も、ジッと黙っていれば先生や大人、またはお世話上手なお友達が代弁してくれてきた。
この“代弁してくれる”状況も、実は大きなズレの元になっていた。
代弁されれば自分の意見ではない。自分の気持ちではない。だから、もしそれを否定されても、自分が否定されたことにはならない。
外の社会では、他の中に隠れることも出来たのである。
これならば確かに直接、否定されることはない(最初から誰も否定はしていないのだが)。しかし、立ち回れていないことや、自分が現実に働きかけられていない劣等感や焦燥感は確実に積み上げられていく。
また、マルに関しても、彼女は自分の評価を守るために【よい・かしこい・やさしい・みとめられる】などの結果をもらおうと考える。誰かが褒められるやり方を見れば、その結果の姿だけを模倣し続けたり、相手によって非常に聞き分けよく振る舞う事ができる。
ただ、模倣の場合は、その因果関係を全く分かっていないし、分かろうとはしない。“これをすればマルをもらえる”の繰り返し。聞き分けが良い態度を装う場合は、単純に衝突を恐れて我慢しているだけである。
そうして何の前触れもなく、ある日突然にその堰は切られ、激しいパニック状態や慟哭が起こる。
一言で表現すれば【人目を気にしすぎる】となるが、生活する上でそれが焦点となる頻度が人より多いどころか、常に気にしている張り詰めた状態と同じなのだ。
だから、遅かれ早かれ、マルであろうがバツであろうが、どちらに偏っていようが、やがては疲弊しその不安感がさらに両極思考なとらえ方を加速させる。
そして、ここからが問題であるが、本来であれば外で募らせた疲れやストレスは、休息する自分の居場所で緩和・解消されるものだ。しかし、外の世界と家庭の中とでは、彼女の感覚において確実に異なる点がある。
─── 家族は、そのひとりひとりが重要な要素であるため、他の中に隠れることができない。
気力体力的に余裕があれば、マルかバツかの偏りが多少抑えられるが、マルに偏れば評価を受けようと必死になる。そして、バツに少しでも偏り始めれば、それがどんなに小さな偏りからのスタートでも、彼女は家族の中で“間違えないよう・失敗しないよう(否定されないよう)”に少しでもスポットが当たらない様に神経を張り巡らせた。
前日、娘の口からようやく発せられた彼女の自覚。『【めだたないように】してた』はここから生まれていた行動である。
最初から目立たないようにしていたのではない。結果的に目立たないようになっていたがために、彼女は自分の行動を今までどんなに近い言葉で形にされようが、ピンと来なかったのである。
と、ここまでが彼女の思考パターンをまとめたものであるが、もう一つ、これは私自身が娘をはじめ、わが家のASD当事者たちと関わる上での心構えとして、非常に慎重な判断を求められている問題定義がある。
これらの行動のどこの段階までが、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性なのか、どこからが本人の考えとして選択した事なのかを見極めること。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての、どうしても変えられない特性なのであれば、違う考え方に迂回させるようにトレーニングや、受け止め方を軽くするための視点を一緒に考えることはできる。……と、言葉にするのは簡単だが、もし、そうなのであれば、本人の負担も考えれば、長期的な課題としてやっていくしかないし、成功する保証はどこにもない。
しかし、これが単に特性がきっかけとなっただけの、彼女の思い込みの問題であったのなら、それが長引くだけ失敗と自己評価の低下を招く危険性が高い。二次障害への足がかりを作るだけなのではないかと。
なぜ娘は我に返ったのか
話を聞く状態になるまでを抜きに、今回、娘が我に返った理由はなんだったのか。
娘は自分にしっくり来る表現を見つけ、あっという間に自分の取っていた行動と、その利害関係とを合わせて自覚した。
家庭内で硬直していく時、彼女自身が取っている行動を言い表す際に、本人がしっくり来た表現は『目立たないようにしてた』だったということ。
そうして常にそれを続けている事が苦痛になっていたと、彼女は自覚できていなかったのだ。ただ、ここまでにも『怒られないようしている』とか『失敗しないようにしている』とか『良い子でいるにはどうしてればいいか考えている』など、意味合いとしては同じだったり繋がっている様な非常に近い言葉を何度も何度も投げかけてきていた。
しかし、本人の中で自身の行動や思考と繋がることはなかったのである。本人もそれらの言葉の意味を理解していたのにも関わらず。
では、なぜ娘は今回そこから抜けて、我に返ることができたのか?
これも簡単にまとめれば───
“怒られないようにしている・気にしすぎている”そうするとどうなるかは、言葉では分かっている。でも、自分が今そうしていると言う実感や自覚は非常に薄い。
たった今自分が取っていた行動や思考に、その場で指摘されでもすれば実感しやすいが、タイミングがズレたり後で言われているのでは、自分の事だと実感や現実味を持った強い認識を持てない。
だから、現実に結びつかない実感よりも、手慣れた自分のやり方を無自覚にトレースする方が、脳の反応としてはストレートになる。
娘が今回、我に返り自身の行動に自覚を持てた理由。それは“たった今、そうしている時”に薄い意識で従っている、本人独自のルールの様な物を感覚的ごと思い出せる言葉で表し、“たった今、そうしている時”の状況が擬似的に起きている中で指摘されたから
───と、こうなるのかもしれない。
まず、人同士の認知の違いを正確に見つけるのは難しい。大人に増して、自我を捉えきれていない子どもとなれば、それを見つけることも違いを説明することも非常に難しくなる。
あまつさえ、わが娘はその独特な性質とルールから、それを指摘されんがためにひた隠しにしていたのだから、混乱に混乱を重ねるのは当然だろう。何より、その独自ルールに触れる事については、話を聞くだけの状態に持って行くことだけでも至難の業となる。
まあ、何はともあれ、彼女は『目立たないようにしてた』という言葉から、立ち行かなくなるようにしていた自らの思考パターンを、実感をともなって理解できたようである。
これは昨年の始め、突如理解してから未だかつてない安定を見せた『家族はただいるだけ。なにもしなくていい』という立場に加え、家庭外でのマニュアルの基礎ともなる自らの仕様書を手に入れたことに等しい。
雨上がり
さて、反省会である。娘の結果はどうであったか。私が本来の体調であったら、祝杯をあげているところであったが、流石に今回は淹れたてのお茶で我慢だ。
つまり、それだけ彼女は見事に復帰を果たし、極自然な意識に戻れていたということである。
ここまでのまとめを妻と確認し合った後、段々と娘の今までの行動の詳細へと話は流れた。
私『あの娘は【目立たないようにしてた】って、言葉にはできなくても、意図的にそうしてた意識はあった。そうしている事で問題が起きていたのも分かってた。でも、直すまでの必要性や危機感を持つほど、落とし込もうとはしてなかったって事でいいんだろうかね?』
妻『そうだと思う。で、そこまで追い詰められてやっと“マズイ”ってなって、ちゃんと考えようと思ったから話を聞ける様になったんだろうね。それまでは目立たないようにしては失敗して、もっと目立たないようにして躍起になっていたというか……ドツボにはまるっていうか……』
ここまでの数年間、娘がよそよそしいなどの不穏な雰囲気をまといだすと、確実に今回のように自分の殻に閉じこもるまで、ガチガチの硬直へと突き進んでいった。こうした流れを繰り返していたからだと考えると、その理由も非常に分かりやすくなる。
ドツボにハマる悪手を打っても、それが悪手だと分からず、上手く行かなくなればそれを連打しまくっていて、さらにその実感が薄かったとなれば……こうにしかならなかったのではないだろうか。
私『去年のほぼ一年間、年末まで安定したのは、今回と同じように追い詰められて話を聞こうとした時に、【家族はただいるだけ、何もしなくていい】って言われて、タイミングも合ったから本当に考えるのも止めたんだろうね。でも、どうしてそうしてたかまでは、自分でどうしてか分からなかったし、分かろうともしなかったんじゃないかな』
妻『きっかけは何だったんだろう?』
私『“コレ”ってハッキリしたものはないと思うよ。子どもは成長していくし、その度毎に環境は変わっていくんだけど、特性とあの娘の性質も合わさって自分のやり方にこだわり過ぎたのかもね。【他に隠れる】とかのやり方に頼ってきたら、どうしたって小さなズレとか違和感を感じていくだろうし。そうしていなかったら、自分の事として起こることの連続になる訳だから、成功体験と失敗データが積み重なって、手の内は増えていくはずだよね。
だけど、両極思考の強い2~3歳の頃のやり方に従い続けたのはあの娘だ。ASDとしての両極思考とか、自分で変えていけない性質があったりするのは分かる。でも、その後の対応で耳を塞ぐかどうか、それと、そのやり方に何処までとらわれるかは、本人次第なんじゃないかって思うんだよ。
今回は年齢的に外の環境とのズレが出始めていて、さらに家での対応方法もバージョンアップされていなかったから落ちたってところだと思う。』
さらに保育所でも、娘の特性や性質とその対応について、家庭との連携が出来上がってきてしまった。理解されることで楽になることがある一方、娘にとっては隠れるための“他”を、上手く利用しにくい環境になっていたこともあるのかもしれない。
どちらにしろ壁が来るのなら、向こう側に道が続く壁をぶち抜く方がいい。
私『あの娘にとって、基本的に人といる時はいつだって自分の評価と“どう見られているか”が問題だったんだね。構ってもらおうとか、可愛がられたいとかよりも、自分がどう見られているのかが大きかったんだ。
だからコンディションが良くて自己評価が高い時は、必要以上に“よく見られよう”と頑張りすぎて、自己評価が低い時は“目立たないようにしよう”と躍起になってた。
だからコンディションが良くて自己評価が高い時は、必要以上に“よく見られよう”と頑張りすぎて、自己評価が低い時は“目立たないようにしよう”と躍起になってた。
保育所に行けば隠れられるから、自己評価が低い時は表面的な安心感は得られる。けど、家に帰ると隠れられないから、ただでさえ自己評価が落ちているのに、余計に自分を追い込む形になってたと。
でも、保育所にいたって結局は隠れることに疲れるし、そういうやり方にこだわる時間が、起きている間中ずっと続く。表向き、気を抜いたように見えた所で、そんな状態じゃあ気分転換なんて出来るはずもないんじゃないか?』
妻『ああ、だから今までも途中で保育所とかいかせたり、楽しめそうな所に連れて行ったりしても【それはそれ】って感じでスイッチ戻されてたのかぁ。酷い時は家で何とか落ち着かせられたのに、完全にリセットされてる時もあったもんね』
なぜなのか分からない、本当にそうなっているのか分からなくても、過去、こうした娘のリセットが起きていることだけは感じられていた。正直、その姿が逃げているようにしか見えなかったり、取り繕っているだけのようにしか見えず、余計に真意が見えにくくなる一方な時期もあった。
私『うん。そうなると、外に行くだけじゃなくて、家でも平穏を取り戻した後に、他の兄弟が不安定になったりすると、すぐにぶり返してたのも分かる気がするんだわ。これも自覚がないまま、いつも通りの自分のやり方に戻すスイッチにされてたというか……』
今までの娘の行動やパターンが、どんどん解けていく。同時に私たちがあの娘に対して感じていた不安も、その不安がどこから来たのか、その答えがポロポロ出てくる。
この明瞭な感覚は、勘違いとか思い過ごしなんかじゃない。『たどり着いたんだ』と思えるだけの説得力がある。
妻『……なんかね、色々とASDの特性と自分とか娘とかの行動が一致して来るようになってからなんだけど、幼いころに怒られてた時の事とか、よく思い出せるようになってきたんだよね。前は、抜け落ちたみたいに思い出せなかったんだけど……。
でね、あの娘がしっくり来る言葉が来ない限り、近い言葉からヒントすら受け取れなかったのが、分かる気がするんだよ。
思い出したの。私、小さい頃に自分のやり方を注意されたりした時、それがピンと来ない時は【ちがうんだけどなぁ】って思ってた』
私『ちがうって、何が?』
妻『自分でこうしたいと思って、自分のやり方でやろうとして上手くいかなくなって、困ったなぁとは思ってるの。でも、そこで助け舟を出されたり、やり方が違うって指摘されてる時に、“~~って思ったからこうしてるんでしょ?”とか言われると、【ちがうんだけどなぁ】って思ってた。
それは決して相手が分かってないとか責める意思はないし、聞き入れないで反発してる訳でもないの。自分がやりたい事と上手くいかないズレが、何でなのか分からなくて、途方にくれて状況まるごと【ちがうんだけどなぁ】ってなってたんだと思う。
だから私は最初、夫から私の行動をしっくり来る言葉に変えられたりすると、すぐに自分の挙動が把握できたりして驚いたよ。モヤがなくなるの。で、今まで言われたこととが繋がって出来るようになったり、分かるようになった。
でも、やっぱりそこに行き着くまでには、モヤがなくなるための【退路を断たれる】が必要だったり、自分の行動以外に絡んでくる【理解できてない他の何か】が整理つかないと落とし込めないんだよ』
今までもこうして、娘や長男との問題から、妻の理解が深まることはよくあった。しかし、雨降って地固まるなどと、自分にとって都合のいい言葉にはしたくはないが、今回の娘との一件は大きな収穫があったといっていいだろう。
─── ピンポイントに表現された言葉でなければ、自分の感覚や行動を省みるほどには、強く自覚できない───
弱点でもあるが、直すことの出来ない不可侵のものではない。ただただ長い人生経験がなくとも、言い表す言葉を探す作業に変換することも出来るかもしれない。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~卒業~
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