妻
娘の卒園式
昨年末から今年初めにかけての、大きな不安定がまるで嘘だったかのように、娘は極々ふつうの子供の様に式の壇上にいた。
他人を意識しすぎることなく、情報の氾濫に呆然とすることもなく、練習の通りに粛々と式に参加している。
一応、朝のうちにいつもの言葉はかけてある。
今日やることは卒園式、主役は君。あと参加している子どもたち全員も主役。おとなは“卒園式を頑張る子どもたち”を見守るために来てる。だから主役は“卒園式”をしっかり頑張って
この地に越してきた時、娘はまだ生後3ヶ月だった。その頃は親が不安になるほど寝過ぎる子で、怖いくらいに手のかからない子だった。
それが生後半年くらいを境に急転直下───。
それからの問題の大半は自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性のうち【0か100か】の両極思考と、表面的な刺激に飛びついたりする表面思考。そして何より、他人との境界線のなさが大きかった。
両極思考から否定されることを極端に嫌うため、常に人に合わせようとする。彼女は【自分がこうすれば、相手はこう動くはず】という、意識している相手をコントロールするための選択でしか対人関係を築いてこなかった
今落ち着いているのは、単にたまたま落ち着いているのではない、人間関係の問題点の、最も大きな原因をここ1~2ヶ月で突き止められたことが大きい。
とは言え、ASDの特性として、まだまだ憶えるべきことの方が圧倒的に多いのも確かだ。これからも何かしらの認知のズレや思い込み、そして特性が関わった問題は起こるだろう。
それでもアドバイスにパニックを起こしてしまうほど、心が簡単に電池切れを起こす様な、無駄にこんがらがった回路は整理がついたといっていい。
今日、娘は卒園する───。
卒園式~謝恩会、そして妻
卒園式もつつがなく終了し、記念撮影やお世話になった方々との会話の後、私は長男と次男をつれて一足先に帰宅した。
妻と娘はこれから謝恩会。そのための打ち合わせは、保護者会で半年前から進めてきていた。
息子ふたりに昼食をとらせ、次男はお昼寝、長男は勉強を始める。私は簡単な仕事の整理をリビングのノートPCでつけながら、ふとあることに気がついた。
これだけ同時複数の判断が必要とされる時期に、妻は自分の仕事と家事もこなし、さらに妻主体の新規事業の計画も順調に進んでいる。それは妻が背負いすぎたのでも、私がサボったのでもない。
パニックはもちろん、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の特性が見え隠れするような問題が何一つ起こっていない。そして、私はパートナーとして、隣に立つこと以上の責務を一切負っていない。
妻は今、自分の実力を正当に発揮して、それらのバランスを完全に掌握し切れていたのだ。
そして、後に謝恩会から帰ってきた妻の口から、その理由を聞くこととなる。
妻の今までの歩み
妻のここまでの成長は、いくつかの視点に分けて整理すると、認知と行動の再形成がどう影響を及ぼしてきたのかが分かりやすくなる。
何に対して自分の責を感じているのか、どんな時に怒り・焦り・安心を感じるか。
【良い】を考えれば際限なく先を設定し終わりがない、【悪い】を考えれば自責に終わりがない。【普通】というホームポジションを意識できているかの確認。【良い~普通~悪い】を一本の線上に置き、今事態はどこにあるのかを見える化。
1~3の時にどんな行動をとっているか、それはどんな狙いでなんのために反応しているかを確認する。そうすることで、行動・選択の誤りに気づき、メンタルを鍛えることなく、行動・選択のみ変更していくことに集中する。
概ね、この4つの確認が認知に関わる時に考えるベースのような部分となった。そして、それらをより具体的にするために役立ったのは次の手法である。
小さなメモ帳をいつも持ち歩き、一日の行動を簡単に書き起こすことを中心として、気になったこと・考えてもすぐに答えが出なかったことなど、【常時、考えている必要のない物】を文字にする。
どんな些細な事でも、疑問に思ったり、心が立ち止まればすぐにメモ。不安定な時期はそれらのメモを見返して思考の整理をする。【安定しているときは特に必要がない】というように、付き合い方は気楽にしておく。
そうすることで脳のワーキングメモリをメモ帳に負担させる。ポイントはなるべく1冊に続けて書き込んでいくこと。
副次的に上の4つの確認を、さほど意識的でなくても気がつくきっかけを生みやすい。
仕事のものとは別に、気楽に書き込める簡易なスケジュール帳を用意する。こちらには仕事のスケジュールのうち、生活時間に影響を及ぼすレベルの物であればメモをするが、基本は生活の行動中心。
どこかに行く予定があれば、その準備日まで設定をする。特定の日にまで考えておくべきことがあるのなら、その期日と期間も設定するなど、メモ帳と同じくワーキングメモリを開放するために、文字に【憶えておく】を負担させるのが目的。
【順守する!】 ためではなく、【情報を整理する】ために利用する。最も大事なポイントとしては、誰か協力を得られる様な予定や、簡単に終わる物などに目立つ印をつけ、ひと目で難易度を把握できるようにすること。
特に【誰かの協力を……】を前提に、スケジュール上で整理すると、上記2と3の確認に触れられる事がある。
成功を産み出したもの
謝恩会から帰宅した妻は、『ちょっと買い物から帰ってきた』といった体で、全く疲労も動揺も見られなかった。以前の妻であれば表情は固く、眉間に力が入った様な、どこか余裕のない顔で帰ってきたであろう。
そうなってもおかしくない設定の状況だった。
大勢の保護者と子供、そして先生方がいて、会を進行しながら細々と仕事をこなし、子どもたちの様子を見る。またその会を“楽しまなければならない”と背負い込んだりすれば、同じような力で同時にこなすことが多くなりすぎる。
しかし、妻の顔には一切曇がない。
妻『お疲れ様、長男たちのことありがとうね~』
私『いやいや、こっちこそありがとう。疲れた?』
妻『ううん、全然大丈夫。でも、これで一段落だねぇ』
嬉しそうに目を細めながら、お茶をすする。
私『でも、すごいね。ここまで凄くたくさんのやることが重なってきたのに、ここ最近余裕で回してるじゃん。俺、出る幕なかったよ』
妻『うん。前に比べて“参加する”ってことの距離感が分かったって感じかなぁ』
私『……と、いいますと?』
妻『仕事も家庭のことも、今日みたいなイベントのことも、前はもうちょっと【何か役に立たなくちゃ】とか【参加しないと申し訳ない】みたいのがあったんだ』
確かに今までの妻には、“どうして君がそこまで背負い込むんだ?”と、距離感のようなものを見失いがちな所があった。そう言われてみるとここ1~2ヶ月の間にそうしたアドバイスをせざるを得ない状態に陥っていない。
そう聞いた時、私の中でひとつのことに合点がいった。この大変なスケジュールになるであろう時に、妻から相談らしい相談を受けていないのに、こちらも心配にならなかった。それは彼女がこれらの事を深刻になる前に気軽に口にしていたということ。
気軽な言葉だからこそ、こちらも気軽に対応していて、さほど印象に残らない様な受け答えでも小さな解決を繰り返していたのだ。そうして彼女自身が気軽でいられたことが、余裕と行動力を生んでいた。
実力を正当に発揮する
妻と娘がこの1~2年でクリアしてきたことは、その表面的な出方とは別に、内包している問題点は非常に似通っていた。
自己評価を適正化して自信を取り戻し、認知のズレに気がついて行動と選択を選び直す。
この2つが進むごとに、彼女たちの出来ることが増えていった様にも見えるが、ここまで大きく変化していく二人を見ていると、こんな見方が浮かんでくる。
そこにはもちろん認知のズレもあるが、“自分がこうすれば、相手はこう動くはず”というコントロールの存在も疑うべきだ。なぜなら、そうして思考と行動の交通整理がついた時、彼女たちはサクッと変化を見せる事がほとんどだ。
以前から定型発達者の成長が、緩やかな曲線で上昇するのに対し、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者の成長は踊り場の点在する階段上の成長だと感じていた。
そこには一定以上の納得や情報が揃った時に、その蓄えた分の成長をしている様な印象を受ける。
今、妻が自分の実力を正当に発揮できている理由として、自分の特性や気質に対し、自分の認知から正確に状況把握するための対抗手段が揃っている。
それは一つ一つに【ああするこうする】と対策を用意していくピンポイント対応の段階から、【自分がどう思うかで判断する】という大きく広範囲な納得を得るための方法に移行してきているからだ。
少なくとも私は今、妻と一緒に歩いていて、彼女が何に不安を持っているか分からないことに不安になることがない。ひとつの問題にお互いの違った意見を出し合うことも、お互いの協力関係を気軽に信頼し合えることもできる。
人生は長い、これからも何度もいろんな問題にぶつかることだろう。しかし、私達夫婦が到達したこの状態は、無理して維持しているものではなく、気づきを重ねてきた認知だ。これはお互いが孤独にならないための、センターラインの様なもの。
ここに宣言する。
私たち夫婦は、カサンドラ症候群の可能性を克服出来た。お互いの認知の違いが生む問題を卒業できたのだ。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~赦しのルール~