妻
書いてある内容をちらっと
※ちょっと途中過激な描写がありますが、危険ですので決してマネをしないでください。
自主性の根源
子どもたちを寝かしつけた後、妻が私の枕元に座り、おずおずと口を開いた。
妻『………えっと、ごはん、食べない?』
元日から私が自室に籠もり、3日が経過していた。
あれから私は家族との関わりを一切断った。一切の食事を拒否し、水分補給とトイレに降りる以外、布団に横たわっていた。
あれから私は家族との関わりを一切断った。一切の食事を拒否し、水分補給とトイレに降りる以外、布団に横たわっていた。
妻は昼と夜の子どもたちが寝た後に、このセリフだけ口にして後は黙り込んだ。今もまた、いつもの様に妻は二の句を継げず、私が話し出すのを待っている。全く同じセリフと沈黙を繰り返すのはこれで6回目になる。
数分間の沈黙。そして妻は立ち上がりリビングに戻ろうとする。やはりまた、彼女は【ご飯は食べないって言ってたし、私なんかが話しかけてももうダメだよね】と考えているのだろう。彼女は今までも、何か手を出せずに手をこまねいている時の多くは、こういったマイナス思考からの自己完結で、確認を一切取らないままに結果的に放置や逃避する方法ばかりだった。
(あ~あ、やっぱりダメか。そろそろかと思ったんだが……)
ドアノブを掴んで半分ほど回したところで、妻の動きが止まった。そこで数分、私に背を向けたままうつむいて、何かを考えているようだった。
やがて上を見上げ、大きな深呼吸を一つすると、今度は枕元ではなく、私の顔が確認できる所に座り、手を私の体に添えた。
妻『ごめん! また、私逃げてたね。また夫に何とかしてもらおうとしてたよね。本当にごめん、許して欲しい!』
私は体を起こし、妻のほうを向いた。
【言いわけの前の“不快にさせたこと”への謝罪は潤滑剤になる】
【話し方が分からない時はそれを言う】
【傷ついた人にどう声をかけたらいいか分からなければ“手を添えて”】
【本当に気持ちを伝えたいと思ったら、相手の目を見ながら伝える】
【話し方が分からない時はそれを言う】
【傷ついた人にどう声をかけたらいいか分からなければ“手を添えて”】
【本当に気持ちを伝えたいと思ったら、相手の目を見ながら伝える】
今彼女が取った一連の行動は、今まで二人で試行錯誤しながら、妻が自分の気持ちを言えるように、バカバカしくても恥ずかしくてもいちいち紙にイラスト化したり樹形図を書いて編み出してきたテクニック。たとえその時出来なくても構わない、できる限りそれを駆使して“前に進む”意思を維持するための、今のわが家の生命線だ。
彼女は一度、自分の連綿たる過去の積み重ねと、その思考回路から諦めて部屋を出ようとした。しかし、そこで踏みとどまり、その場でやり直しをはかった。
【出来ないこと・苦手なこと】はあって当たり前。でも最初から出来ないと諦めることと、自分の常識を変えることに挑戦してから座りどころを決めるのでは、人生の厚みが大きく違う。本だけで知識を得てきた人と、実践で知識を得た人の言葉の重みが違うように、自分の思考を正しく使いこなすにはそこに立ち向かった経験が必要になる。
今、妻はその一線を確かに越えようとした。この勇気は人に教わってできることではない。自分がそうありたいと願い、その実現に実感を持っていなければ、生み出すことが出来ない。
これこそが自主性の根源だ。
これこそが自主性の根源だ。
私『……いつも言い出すのが遅いんだよ。でも、ありがとう』
怖いお母さんになる
……また、下から娘の獣の様な叫び声が聞こえてくる。
そして、同じく泣きながら謝る長男の声。
そして、同じく泣きながら謝る長男の声。
私が食を絶ってから一週間が過ぎていた。
今、私は下に降りて水分補給をした後、寝室に戻ってきた。その往復に子どもたちのいるリビングを通るのだが、長男と娘は元日の時からそのまま、私を意識しすぎて硬直し、今、まさに妻に叱られている真っ最中だ。
あの日、勇気を出して向かってきてくれた妻に、私はいくつかの指針を伝えた。
そのうちのひとつは【短期集中で父母のバランスを取り戻すため意識的に『怖いお母さん』になる】こと。これは長くやる必要はない。長男と娘が私に対して、強く意識をしてしまうきっかけとなっている理由のひとつに、【母は触れてこないことなのに、父は注意してくる】というギャップがある。
やっていいことと、いけないことは子どもたちも妻も分かっている。しかし、父親が不在の場合、母親が叱らないことを知っている子どもたちは、ふだん禁じられていることも平気でやってのけていた。その時、妻はその行動を把握しておきながら【注意したほうがいいのかな】と思考し、タイミングを逃すことで【ああ、できなかった】と諦めていた。
その結果、今は子どもたちもそれほど悪戯をしているわけではないが、私が不在の時はどうしても妻に対して大柄な態度に出てしまうクセができていたのだ。つまり精神的には、幼いころの【悪いと分かっていながら悪戯している】時と同様な感覚になっていると考えたほうが自然。その根拠とまでは言わないが、フラッシュバックやタイムスリップを起こしやすい娘は、幼いころに辞めたはずの悪戯などを突如復帰させたりするが、そのタイミングは必ず私が不在の時である。長男も表向き母親を舐めるほどではないにしても、明らかに妻と私とでは態度も言葉遣いも隔たりがあることがある。
その頃に返って妻が叱りなおすことは出来ないが、今の【母に舐めてかかる習慣】はストップさせることは可能だ。新しい認識で埋めなおしてやればいい。【怒ると怖いお母さん】をしっかりと覚えさせてやれば、彼らの習性であれば数日のうちに習慣化するだろう。
この考えは新しいものではない。今まででも3度、妻が注意をしたり、意識的に叱る様にしたことで、子どもたちと妻との関係を改善することに成功している。
この考えは新しいものではない。今まででも3度、妻が注意をしたり、意識的に叱る様にしたことで、子どもたちと妻との関係を改善することに成功している。
……では、いずれまた元にもどるのではないか?
今まで元に戻っていた原因は、上手く行きだすと妻が継続しなくなり、子どもたちの誰かが問題を起こすことで一気に自責の念に潰されて力関係を失ってきたことだ。
今回、妻にアゲインさせているのは、妻を改善するためではない。
父母のアンバランスを潰すことで、逃げ場を失うのは子どもたちである。以前、妻が意識的に娘を叱り、決闘を仕掛けた時、明らかに不安定な時間が減少していた。これは父母のバランスがとれたことで、『お母さんは何も言わないからいいや』と、どこか従わない・やらない理由に転化させていた娘の習性のひとつである。
これは実は長男の深層にもある、根源的な習性と同じものだと当時すでに見抜いていた。しかし、長男は特に問題を表面化するわけでもなく、完全に表に出さないなどクリアもしていないが、曖昧であるがゆえに手が付けられなかった。
今、短期集中的にこの膿を絞り出そうとしている。
性急かと思われるかもしれないが、こうしたのは彼らの特性を掴んだ上で、今だと判断したからだ。【自分で分かっていても、改善するための行動をとる最後の判断は、いつも人に依存している】
依存と言っても様々な範囲があるが、彼らの場合の依存の多くは、気分転換で簡単にクリアできる程度の問題を『今まで通り悩む』形で自発的に越えようとしないことにある。出来ないのではなく、出来ないと思った過去を捨てられないのだ。
同時にメインではないものの、妻にもひとつの効果を見込めると伝えてある。それは【叱るタイミングを知る・叱る空気をつかむ】こと。
短期間【とにかく叱ろう】という目で子どもたちを見る。……もう言いがかりだ。子どもたちにとっては災難といえばそうだろう。こじれたら治せばいい。その時も、しっかりとなぜそうしたのか、そうすることにどんな価値があったかを説明して意思の疎通を図ろうとすればいい。
そしてこの短期集中の【怒ると怖いお母さん】作戦には、ひとつのペナルティーがあった。【叱るべき場面で叱らなければ、私が妻を本気で叱る】ということ。
いつも通り
食を絶ってから10日が過ぎた。【怒ると怖いお母さん】作戦開始からは一週間になる。
予想通りというか、もうこの数年間で何度目かのことだが、これらの効果が出始めてきた。子どもたちが妻に対して大柄な態度や口調になることがなくなったのだ。長男は、私が降りても大きく反応することはなくなり、異様な空気になることもなくなりつつあった。
娘はまだ私を見るなり姿勢を正したり、今遊んでいる遊びが【良いことか悪いことか】を判断し直そうとしている様子が見られた。パニックしきって固まる局面は抜けたということだろう。娘が安定すれば妻がパニックに陥る確率が下がる。そうすれば立て直しが図れる上、今回の収穫も活かすことが出来る。
しかし、ここでまた妻が失速した。
長男がやや持ち直し、娘が私を意識しようとする態度があからさまでなくなったことで、妻は慢心して子どもたちを見る目を緩ませた。娘はそれを敏感に察知し、【ここまではやっていい】と都合よく解釈してしまう。実際に娘の問題が長期化している大きな理由がこれだ。この【ここまではやっていい】はすぐに【これをやっていればいい】になり、その段階で注意されると【自分の常識が崩された】ことで最大のパニックを起こす。
妻はまた娘の思う通りの穴にはまり、ここから娘の描く下降線へのルートに、今自ら足を伸ばしている。
これも何度となく妻に説明してきたことで、妻はその度に反省し、【今度からは】と言い続けた。彼女のこのパターンをどんなに分かりやすく説明し、図にしても、毎度似た状況にはまり、その度に私が被害をうけてきた。そして、何より私が気に入らないのは、こういった状況にはまった時、実は彼女自身は気がついていて、それを口にもしなければただただボーっと貝になり通して、私に解決させることだ。
夜、子どもたちが寝静まった頃、リビングに降りるとそこにはソファでボーっとしている妻がいた。
私『……また、娘の事を見ないふりをはじめたね?』
妻の顔が一瞬にして青ざめる。
妻『……えっ! いや、そんなつもりじゃ……』
私『また、【分からなかった】だろ?』
妻『…………』
何かを言おうとして、彼女はまた沈黙した。
私『分かった。よく分かったよ。もう頑張らなくていいよ』
戸棚を開け、スコッチウィスキーのボトルを取り出し、グラスに波々と注ぎ一気に飲み干した。食道から胃にかけて、一瞬にして燃え上がるように熱くなる。
続けて二杯、三杯。一週間食事を抜くと、ちょっとしたものでも体は貪欲に吸収しようとする。
三杯目を飲み干したあたりで、膝の力が抜けるような目眩が襲ってくるのをこらえ、戸棚から薬のストックをカウンターにぶちまける。その中から手にしたのは肝臓代謝の強いとある錠剤。それを数カ月分すべて口に放り込み、ウィスキーで流し込んだ。
妻『………ちょっと? なにしてるの!』
私『いいんだよ、もう。君はここまでが限界、そうなんだろ? 言われたとおりにしていれば、自分で悩んだふりして生きていくつもり、そうなんだろ?』
妻『………………………』
私『ああ、何も言わないのな。いつも通りだね。本当に君はいつも通りだよ!』
残りの錠剤をさらにウィスキーで流し込む。もうグラスを捨てて、ボトルのままあおった。
妻『お願い、もうやめて!』
私『俺に触るな! どうせこの程度の問題も受け止められないられないんじゃ、この先、この家に未来なんかありゃしねぇよ! 家族のことを見過ごして手を出せないんだから、今だって止められないんじゃない?』
ボトルを奪おうとしてくる妻を左手でいなしながら、残りも全て一気飲みした。
続けて棚から焼酎のボトルを取り出して封を開け、同じくあおる。
続けて棚から焼酎のボトルを取り出して封を開け、同じくあおる。
妻『お願い、やめて! 私がんばるから、がんばるから!』
私『頑張るって何を? 俺の言いなりになるだけで何を頑張るって? いくらでも君自身でやれることはあるのに、全部俺に言われるのを待ち続けてなにが頑張るっていうんだ?』
妻『………………! ………………!!』
私『俺は最初から出来ないことをやれって言ってんのかよ? 違うよな? いつもちょっと足りない視点を俺が補って問題を超えてきて、それで充分協力関係なのに、そこで勝手に慢心したり不安を暴走させて一番つらい時に俺に放ってきてるのは君だろ! 家庭に求められるのは維持なんだよ! 帰ってきて安心できる環境の維持なんだ! それには家族が変化していく中で【今より良く】を思い続けなきゃ無理なんだよ!』
妻『………………』
私『……………黙ったな。また黙ったな!』
手にした焼酎ボトルを一気にあおって空にした。
妻『ごめんなさい! 私そういうふうに考えたことがなかったから!』
私『そういうふうにってなんだよ? 安心できる家なんかいらねぇってのか?』
妻『違う! 私たぶん維持していくこと、考えたことなかった。家事でやることはずっと続けていくけど、子どもたちとの関係とか、夫との関係とか変わっていくことを頭に置いて、関係を考えようとしてなかったと思う。今、言われて凄くよくわかった。娘の発表会の時も、今止まっているのも、私もうこれで終わったんだと思ってた!』
私『終わった? 終わるわけねぇだろ? カタチを変えながら、ずっと一生続くんだよ』
妻『……自分でも驚いてるけど、そこの感覚がなかったみたい……グズっ』
私『だからみんな親は子どものために、自分のために命かけて家を維持してんだろうが……』
妻の感覚に時間が連続している意識がない。
意識すれば概念が理解できるが、生活を送っている中でその意識がなかった。またこれでひとつ、問題の正体が分かったなぁなどと思った瞬間、私はブラックアウトした。
意識すれば概念が理解できるが、生活を送っている中でその意識がなかった。またこれでひとつ、問題の正体が分かったなぁなどと思った瞬間、私はブラックアウトした。
好転の一枝
食を絶ってから14日が過ぎた。下からまた妻の叱る声が響いてくる。
あの常軌を逸した妻への抗議は、私を数日ゲーゲーさせ、そして妻は眼の色が変わった。
妻はまた一から出直すつもりで気合を入れなおしたようだ。今度はこれで娘が安定してきたとしても、それは今と続く将来において、いつ何時、またぶり返すかもわからないことであると意識しながら。
娘がすぐに頼りきってしまう【ここまではやっていい】という解釈と、その後に続く【これをやっていればいい】の変化、そして注意されると【自分の常識が崩された】と考えてパニックを起こすプロセスも理解したことで、かなり私の思うレベルの関わり方になりつつあった。
子どもたちの意識も大分緩くなってきたので、私はリビングにいる時間を少しずつ作るようにすることにした。
長男は意識しないようにし過ぎている感が否めないが、娘は20分程度一緒にいると、意識しなくなるようにまで変化していた。しかし、これは安定している月の場合、時折起こるレベルである。つまり、変革でもなければ、本人の意識が変わったわけでもない。
娘が安定しているものとして、思い切って私は直接、彼女と話し合うことにした。
私『これは怒っているわけでも、君になにか変えてほしいと思って言うことでもないから、楽な気持ちで聞いて欲しいし、教えて欲しいんだけど』
娘『…………うん』
素直な声だった。妻とのやり取りが利いているのか、最初から父親に対して、妙なフィルターを通して対峙しようとしていない。
私『お父さんが近くに来た時、君はもしかして【いい子にしなくちゃ】とか【自分が悪いことしてないか】とか考えてない?』
娘の顔が変わった。
娘『うん。お父さんと遊びたかった』
この言葉は前にも聞いたことがある。それは娘と妻との決闘から一ヶ月程度後、長男と娘がよそよそしくなった時に聞いた台詞だった。
私『【いい子】じゃないと【お父さんは遊んでくれない】の?』
娘『う~ん……、悪い子はひとりにされる』
この答えを聞いた瞬間、私はなにかを掴んだ気がした。
【お父さんと遊びたい】けど【悪い子はひとりにされる】から【いい子にしなくちゃ】と考えていた訳だが、この論法は前から分かってはいた。しかし、行動の意味合いは分かっても、そうしたら父親が嫌がってしまうことも何度も説明し、彼女も理解していたはずだった。
【お父さんと遊びたい】けど【悪い子はひとりにされる】から【いい子にしなくちゃ】と考えていた訳だが、この論法は前から分かってはいた。しかし、行動の意味合いは分かっても、そうしたら父親が嫌がってしまうことも何度も説明し、彼女も理解していたはずだった。
この言葉の裏は……そう、長男となにも変わりはしない。長男と同じく、彼女も私の顔色を出会い頭で判断し、その時の私の表情に一喜一憂していただけなのではないだろうか? しかし、彼女の場合は長男よりも想像力やそこへの集中力が強く、そこに完全にとらわれてしまう。表情が乏しく、プラスとマイナスの顔色が両極なため、余計にそこが分かりにくくなっていたのだ。たったこれだけの事が、今まで彼女のパニックによって、全く上辺では判別できない難解な状態になっていたということ。
つまり、もう少し分かりやすい長男への対応に当てはめて考えてみたらどうか?
今まで娘の個性を考えすぎて、長男への対応をそのまま使ってみようとは思わなかった。
今まで娘の個性を考えすぎて、長男への対応をそのまま使ってみようとは思わなかった。
……しかし、そこは今長男もつまづいているポイントだ。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の当事者の場合、苦手意識を持った場合、極端にそれを遠ざけようとしたり、その苦手意識にとらわれて頑なになってしまうことがあると聞いたことがある。正直、今まで娘の行動はあまりにも無軌道で、ASDの行動パターンと対応に当てはまらないことが多すぎて、その通りの設定で考えることが難しかった。
私『………………あのさ、今度からお父さんが部屋に入ってきた時、すぐにあいさつしなくていいよ』
娘『えっ! あいさつはしなくちゃいけないんだよね?』
私『そうだね、あいさつは大事だね、でもすぐにしなくていいってこと。ほら、お父さんが下に降りてくる時って、だいたいトイレかなんかで、ゆっくりいられないでしょ?』
娘『うん』
私『その時にお父さんがにっこり笑ってお返事返してくれないのが嫌なんじゃない?』
娘『うん。お父さんと遊びたかった』
───やっぱり。娘にとって【遊びたかった】は手に手をとって【遊ぶ】というスキンシップではなく、笑顔でのコミュニケーションを求めていたのだ。長男と同じく、彼女もそのためにドアを開けるなり私の顔色をうかがい、【遊んで(笑顔で対応して)】くれるかを観察していたのだ。
……ドアを満面の笑顔で開ける人間はまずいない。
そこの時点で破綻しているわけだが、彼女はその直感を信じこんで確認し、父が笑顔でない事に毎度ショックを受けていたということだ。つまりこれさえ起こらなければ、最初のつまづきは抑えられるし、なにより固まられるこちらの心象がまったく違うものになる!
そこの時点で破綻しているわけだが、彼女はその直感を信じこんで確認し、父が笑顔でない事に毎度ショックを受けていたということだ。つまりこれさえ起こらなければ、最初のつまづきは抑えられるし、なにより固まられるこちらの心象がまったく違うものになる!
私『うん、娘、だからこれは魔法の方法なんだ。今度からはお父さんが降りてきた時、すぐに見ようとしないで待っててごらん、お父さんがそのうち近づいてくるよ。そうしたら挨拶すればいい』
娘『わかった』
私『後ね、挨拶をさっきしちゃったから、どう声をかければいいかわからないっていう時があるよね? そんな時は手を上げて【おー】って声出すだけでいいよ』
娘『わかった』
私『分かりやすい?』
娘『分かりやすい』
私『おとうさん降りてきたらどうすればいいんだっけ?』
娘『お父さんが近づいてくるまで挨拶しない』
私『挨拶する言葉が見つからない時は?』
娘『おーってやる』
私『大正解。グレイト、グレイトだよ娘くん』
娘『娘はあたまがかしこい』
私『……そ、そうね』
この単純なひらめきから生まれた一手は、一本の枝が引っ掛かり、川の流れを変えるきっかけになるような、好転への足がかりになるとは、その時は思ってもいなかった。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~霧の正体~
スポンサーリンク