妻
旅支度
子どもたち3人を座らせ、私は紙に要点を文字にしながら、説明を始めた。
私『家族ってどうしていればいいんだっけ?』
長男・娘『ただいるだけでいい』
次男『だけでいい』
私『仲良くするために何かしなくちゃいけないことは?』
長男・娘『なにもない』
次男『ない』
私『じゃあ、旅行に出かけている時はどうなんだろう? どうしていればいい?』
長男・娘『………!』
次男『………! ………りょこう?』
娘の手元にはイラスト付きスケジュール表と、これから会う親族の顔写真帳。私たちはこれから一時東京に里帰りをすることになった。妻側の親族に会うのは2年ぶり、私の実家に帰るのは4年ぶりになる。次男の出産以来、実質三年間の絶縁状態であったため、父は次男とあったこともなかった。
父とは電話でのやりとりがあったが、高齢であることはもちろんだが、家庭内以外の全ての手続や外出をやらずに来た父は、新幹線の切符の購入方法も分からない。父は私から母に頭を下げ、実家に来れる関係改善を望んだが、私はそれを三年間断り続けた。
なぜなら私と母がぶつかったことの後ろにある、お互いがお互いの人生で抱えてきた大きな憤りがあり、またその問題の性質があまりに近すぎて、口を開く度に衝突をしかねない状態であったから。
なぜなら私と母がぶつかったことの後ろにある、お互いがお互いの人生で抱えてきた大きな憤りがあり、またその問題の性質があまりに近すぎて、口を開く度に衝突をしかねない状態であったから。
時間と距離が必要で、直接的な問題解決が裏目に出ることもあるのだ。
ではなぜ今、私たちは里帰り旅行を計画したのか?
それはわが家の自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)当事者3人の抱えている問題が、あらかた出尽くした上、解決方法もそろって来た安定状態であること。また、その状態をさかのぼって説明出来るだけの経験と知識が、ようやく私の中に蓄積されてきたからである。
そして何より私が行動に出た大きな理由は、母の持つ憤りの正体を確定し、その問題を大部分説明しきり『憤り』の部分をほぼ解消することに成功したのだ。それにより母は私の問題をいちいち反発しながら聞く姿勢を取らなくなり、お互いの問題意識や経験になぞらえて話し合う余裕を持てるようになっていた。
そして何より私が行動に出た大きな理由は、母の持つ憤りの正体を確定し、その問題を大部分説明しきり『憤り』の部分をほぼ解消することに成功したのだ。それにより母は私の問題をいちいち反発しながら聞く姿勢を取らなくなり、お互いの問題意識や経験になぞらえて話し合う余裕を持てるようになっていた。
期は熟したのだ───。
私『お家から離れてもね、家族は家族。ただ一緒にいるだけでいいんだよ』
長男・娘『はぁい』
私『何かしなくちゃいけないことはあると思う?』
長男・娘『なにもない』
私『うん。それでいい』
次男『………りょこう?』
私たちはこれから、初めて自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の正確な認識の元、お互いの親や親族と、未来に取るべき歩調の話をつけに行く。
母の憤り
旅のニヶ月ほど前、私は母に何冊かの本を贈っていた。
ラインナップは自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の家族を理解するための、初歩的な本を数冊。そして二次障害やカサンドラ症候群に関する内容のもの。
ラインナップは自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)の家族を理解するための、初歩的な本を数冊。そして二次障害やカサンドラ症候群に関する内容のもの。
その中の『カサンドラ症候群』に関する事実が、母の心を貫いた。
父はおそらくASDではない。しかし、後天的な要因でそれに似た、人との境界線・接触障害・パニック障害・癇癪・自己評価の低下などが見られ、それが母を長年に渡り傷つけてきていた。
【あの人がこうなのは、私に何かが足りないのかもしれない】
この想いは母のパートナーとしての自己評価を下げ、献身的であることに強迫観念を持ちながら、その裏で本心として憤りを溜めてきた。しかし、その母には仕事があった。医療に従事し、病院の現場から経営にまで関わりながら、定期的に複数の大学等で講義を持つなどの地位にあり、人の上に立ち人から先生と呼ばれている。
このギャップに母本人も苦しみながら、夫婦二人きりになった家庭では、毎朝のようにストレスで吐くほどに追い詰められながらも、自分の在り方で何とかしようともがいてきた。
母の苦しみと対処は、ここまでの私の闘いと問題が強く似ていながら、わずかな視点の差があった。相手への理解以上に、その周りや自分の言動を理解しようとする点である。
相手の心理を理解できない以上、その反応だって予測し切ることは難しい。特に相手が何に対して感情的になるのかのポイントが分からない時は、反応ばかりを見ていてはなおさら見えにくくなるし、離れられない環境の場合は顔色を伺うようになる。母はここに嵌まり、自己評価を下げながら依存を生み出し、また父も自己評価を下げていく悪循環に落ちていたのだ。
そうして憤りをふくらませつつ、そこから抜け出す他の言葉やヒントに対して、視線を向けられるだけの余裕をも失っていった。
そうして憤りをふくらませつつ、そこから抜け出す他の言葉やヒントに対して、視線を向けられるだけの余裕をも失っていった。
いわば、私の陥った【自殺観=もうそれ以外の選択肢がないという錯誤】と似たようなメカニズムである。
母はこういった状態の中でも、自身の生家で培った【家族】というものの社会通念と現実の自分の家庭とのズレに怒りを持っていた。しかし、それを言える相手はいない。根本的に父との間にある問題を理解しない限り、どんなに愚痴をこぼしてもその気を晴らす事にならないからだ。結果的にその憤りは、環境も思考も血も近い私に向けやすくなる。そしてそれは対等な立場で話すことは、親子関係にあるタブーに触れることが多いため、さらに自己評価にキズをつけることにつながる。
これが今までわが家が実家に協力を仰ぐことが出来ない、大きな原因の柱であった。
この柱を打ち崩したのは、正しい知識と共に本から手に入れた、他人の視点という新鮮な風である。アスペルガーに関わるパートナーが陥る、ストレス性の症候群をカサンドラ症候群だと限定するのであれば、母はカサンドラ症候群ではない。しかし、ボールであろうがバットであろうが、ぶつかって出来ればコブはコブである。
母は私が救われた瞬間と同じように、自分のパートナーの問題点というものを正確に理解したのだった。
レッテルを貼る
旅の初日、私たちは妻の親族の家を訪れ、お互いの近況を伝え合った後、私と長男だけ一足先に私の実家へと出発した。妻自身の変化や成長、そして娘の診断や歩みを、婿のいない状態で気兼ねなくゆっくり話し合ってもらいたかったし、私も両親と積もる話があったからだ。
初日の夜は妻と娘と次男が妻側の親族の家へ、私と長男は私の実家へとふた手にわかれた。
初日の夜は妻と娘と次男が妻側の親族の家へ、私と長男は私の実家へとふた手にわかれた。
妻の親族は児童教育やスクールカウンセラーといったその道の人がいる。
娘の診断についての報告が済むと、段々と細かい私たち家族の関わりなどについて及んでいった。
娘の診断についての報告が済むと、段々と細かい私たち家族の関わりなどについて及んでいった。
【そんなに幼いのに診断をしてしまって良かったのか? レッテルを貼る事にこだわるのは危険もある。こどもはどんどん変わっていくのだから】
【父親に極度の意識を持つということは、父親に原因があったのではないか?】
【通院させているのは本人のキズにならないか】
中でもこの3つは、今までどこででも聞かれ、最初はどこででも私たちが耳を塞ぎたくなった問いかけである。この夜、妻は次の様な説明をしてきた。
私たちはあの子が【自閉症スペクトラムである】ことにすがりついたのではなく、あの子が抱えている問題や成長の歪さ、心の反応の難しさに対処しているうちに辿り着いた。だから、それが他の脳の障害であったとしても、精神障害であったとしても関係はない。
そこに起きている問題に対し、そこにはちゃんと娘なりの反応なんかの原因があって、それは絶対に理解できないものではなくて、調整が必要なものだった。
妻はここまでに起きていた事や、わが家が陥った状況。そしてとってきた対策を事細かに説明。親族の方々は状況を理解し、何よりも親族の中から上がった言葉が安心感を生み出したという。
【前にあった時と本当に顔が変わった。凄く明るくなってる】
娘は私との関係改善の中から、それまでの【人を気にしすぎる性質】も少しずつ越えてきた。以前ここに来た時は、そのまっ只中にいたため、どこか険しい表情をしていたのだ。この言葉は私にとっても大きな安心感を得ることが出来た。ある程度表情や遺伝的な正確などを把握している親族からみても、そういった良い変化が目に見えているということは、私の思い込みではないと証明されたようなものだからだ。
妻は滞在中に娘が問題行動をとったり、興奮状態に入り込もうとするのをいつも通りに止め、またそれを【今日くらいはいいじゃない】という親族に切り返していた。
【“どこまでやっていいのか”が分からない子だから、こうやって抑えてあげるの。時には分かるまで説明もする】
彼女が親族に示したものは、わが家そのものの“歩調”を見せたことである。それはまた親族の理解を生み、娘がどういった苦手を抱えているのかを、これ以上なく伝えることに他ならない。
自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)のみならず、多くの障害や精神症など社会行動に支障がある場合、その診断などのレッテルを貼ることに敏感な風潮がある。確かにワインボトルに不適切なレッテルを貼り、それを信じこんで取り扱えば問題が起こるかもしれないし、他からの評価が……と考えるのも理解は出来る。
ただ、娘のように本人が受けられるトレーニングや治療、人に理解してもらい共通意思を持つには必要であったし、私の母のように父に貼り付けたレッテルから、理解を得られ先に進むということもある。貼り方によって、レッテルも人生には必要な場合があるのだ。
ワインボトルのレッテルにこだわるとすれば、それは名前が知られたような一部のワインだろう。多くの場合はそのレッテルの裏や端っこに書かれている【仕様書】や【取扱説明】を気にするものだし、それが貼られていなければ、その味を大きく壊してしまうことにすらならないだろうか。
ワインボトルのレッテルにこだわるとすれば、それは名前が知られたような一部のワインだろう。多くの場合はそのレッテルの裏や端っこに書かれている【仕様書】や【取扱説明】を気にするものだし、それが貼られていなければ、その味を大きく壊してしまうことにすらならないだろうか。
妻はこの日、娘のレッテルにはどこに何が書かれていて、どんな歩みで培われてきたのかを説明してきたのだ。【レッテルを貼る】この言葉のイメージを超えた、本当に必要な物の意味を、妻が母として娘に見出している証拠でもある。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~家族の呼吸~
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