妻
自分の足で立つために
娘への対処や叱り方以前に、まず、いくつかの妻のハードルクリアが必要となった。子どもたちのわずかな変化に対応できず、いちいちフリーズしていたのでは、妻は子どもたちから主導権を奪うことは出来ない。それは、父と母の存在感のバランス崩れを調整するには、あまりに致命的な欠陥だ。
しかし、これにはいくつもの妻自身のトラウマが関わってい可能性が高い。
仕事・将来・家事・教育・子どものケア・妻のケア・自身のケアと、あまりに多くの事が重なり、再度私の重責は増し始めている。いくら、うつ様な症状が改善されたとはいえ、だんだんと気持ちが億劫になりかけてきていた。
もう、時間がない─。
妻に提案したのは、娘に対する『わが子を壊してでも、本道を歩かせるための、本気の衝突』
これを完遂するには、妻の子育てへの戸惑いがネックであるし、この戸惑いは私へのウェイトを上げることにつながりかねない。つまり、今、妻がこれを乗り越えない限り、根本的な解決にはならない。それどころか娘は悪化していく可能性があるし、私自身、もう正直疲労感でもうろうとしてきていた。
叱ることへの拒否感
長男誕生からしばらくしてすぐに発覚した、『叱らない・干渉しようとしない』という妻の性質は、ただの気取りやドライな性格などではないことは分かっていた。しかし、その根本はあまり本人は語ろうとしないし、私も妻があまり幼少期を話したがらないことから、おおよその見当はついていた。
【叱られることが理不尽で恐ろしかったから、いざ他者を叱る時にも立ち止まってしまう】そう、幼いころの母親の叱責を彼女は未だに消化できていない可能性がある。
私『幼いころに叱られた時の事とか憶えてる?』
妻『うー……ん、正直あんまり憶えてないんだけど……。怒られだすと分かるの。これはやっちゃいけなかったんだって。でも、その時は全然どっかに飛んじゃってて、叱られてる時に思い出してた』
私『謝ったりはできてた?』
妻『途中でごめんなさいを言わなきゃって思ったりするんだけど、言っても【そうやって言えば許してもらえると思ってるんでしょ!】って聞いてくれない。
だんだん何で怒られてるのか分からなくなって、自分が小さくなっていくんだけど、途中でされる質問がぐるぐる頭を回っちゃって余計になんだか分からなくなって……。』
私『そんなにしょっちゅう怒られてたの?』
妻『んー、そうでもない…と思う』
私『社会人になってからはどうだった?』
妻『叱られるって言うのはなくなるんだけど、ミスを指摘されるとそっからダダ崩れになったり……かたまっちゃってた気がする』
私『気がする?』
妻『うん。そういう時って私あまり憶えてないみたい』
【叱られる】にまつわる質問はその他にも投げかけたが、生まれつき【叱られ耐性が弱い】というわけでもなさそうだ、しかし『正解・不正解』などへのこだわりからパニックに陥っているような印象を受ける。
この後、今度は【子どもがこういうことをしていたらどうするか?】という質問を向けるが、ほぼ全問正解だった。ただ、それは今まで彼女がスルーしてきた、実際に子どもたちが起こしたいたずらや問題行動だった。
どうやら彼女はその場で【白黒つけられない】状況や、【判断を迫られる】時、そこへの思考にとらわれて現実の子どもたちの行動に対処できないようだ。
つまり【善悪の判断ができているのか不安】な場合に立ちすくんでいる。
これは誰しもが持ち、時には間違っていたことで反省したりもする事だ。しかし、彼女にとってはそれは視界が狭くなり、時に動悸をともなう緊張に迫られる【重大な判断】となってしまう。
これは誰しもが持ち、時には間違っていたことで反省したりもする事だ。しかし、彼女にとってはそれは視界が狭くなり、時に動悸をともなう緊張に迫られる【重大な判断】となってしまう。
迷ってしまってタイミングを逃すなどであれば、方針をしっかりとして行けば対処ができると結果が出ている。しかし、迷って答えが出ない時にフリーズしてしまうのには、もう少し奥に理由があるように思えた。
気持ちを言う・ぶつかる・緊張への萎縮
迷いがあると口に出せないのは、思わぬ問題に発展することがある。まず単純に子どもたちにスキを見せてしまうこと。そして、自分の悩みや不安に関しても『言うべきかどうか』や『どう伝えればいいか』の判断に全神経が集中してしまい、フリーズしたりフラストレーションを溜め込み続けたりしてしまう。
ここにはふたつの側面があるように思われた。
ひとつは【意思決定や判断を他者に依存している】という先天的特性。ひとつは【感情的に物言うこと・問題に対して意思をもつ事への不安】という後天的特性。
先天的部分は比較的薄く、これはフリーズしたりパニック状態などの、判断力が低下している時に陥りやすい。
後天的部分は基本的姿勢に現れていて、そうしないと【衝突するのではないか】などに似た、人間関係での不安感が首をもたげてしまう。これは多分に今までの環境によって形作られていて、身内同志の言い争いにはさまれ、フォローもなければ逃げ場もないまま“貝”になるしかなかったなどの、特異な状況に適応するために培われたようだ。
実はこの後天的な要素こそが、彼女にとって最も大きなトラウマとなっているように思えてならない。
愛情の渇望と不安
妻は元々、近親者や顔見知りより遠い関係の者には、結構率直に意見を伝えることができるタイプであることは独身時代から気がついていた。実際、保育所のイベントなどでも、他の子どもや、保護者同志などでは余裕のある対応ができていたりする。
しかし、自分の身内や近親者となるとそうではなくなってしまう。親しい者へは『近くにいたい』あまりに、自分の意見を押し込めてしまったり、ちょっとした意見でもそれが『別離へのきっかけ』になるのではないかという不安感が伴うからだ。
ふつうならば、やや重たくて言いにくいことでも、自ら軽いうちにシチュエーションを選んで軽く伝えたりなどができる。しかし、妻の場合、近親者相手となると、その意見の重い軽いに霧がかかったようになり、ちょっとした気持ちでもいえなくなってしまう。
この日の会話は、その不安感を向けている相手、近親者の私から投げかけられたのだ。
妻はやや興奮気味に泣きじゃくりながら、それまでたどたどしく自分の気持ちを述べたり、過去の出来事を教えてくれていた。しかし、自分の不安の正体に内容が及び出すと、段々と落ち着き、目に光が差し始めていた。
これは妻だけでなく、長男と娘にも共通していることだが、パニックや不安から抜ける時、勝手に涙が出たりわけもなく泣きじゃくることがある。そうして涙を流した後、非常にスッキリとした顔で納得したように歩み始めることがある。
つまり今、彼女は自分の観念のうちの一つに、向き合うことが出来たという証拠だろう。
実践への足がかり
自分の足に絡まっていた、いつのものだかわからないルールの正体は分かった。しかし、これは気がついただけでは解決とは言えない。問題はそのルールより意義のあるルールと、大きな目的意識が必要だ。
まず、どんな些細な事であれ、自分が嫌だと思ったのなら【嫌だ】と気持ちを単語で伝える。理由は後からでもいい。とにかく答えを相手に流される前に伝えること。理由がわかった時に自分に落ち度があるのなら謝ればいい。
そうすれば、良くも悪くも自分の考えや意思は伝えられる。人は一度きりの判断で人となりを左右するのではなく、【どういった思考をするタイプか】の判断がついてから対応を変える事が多い。
そして、子どもは親の思考パターンの中から『これはいけない』『これは喜ばれる』などの具体的なケーススタディを行う。つまり、どんな理由にせよ気持ちを伝えないのは、子どもたちの自発的な判断力を鈍らせることにもつながりかねない。
いや、事実、わが家の子どもたちの依存心の強さは、もう嫌というほど実感しているはずだ。
いや、事実、わが家の子どもたちの依存心の強さは、もう嫌というほど実感しているはずだ。
妻と考えたルールはこうなる
1:自分の【違和感】を信じる
2:少しでも違和感を感じたら、止める
3:止める時の言葉が浮かばなければ、両手で子どもの肩に触れるだけでいい
4:どうしても違和感の正体が分からずに言葉が浮かばない時は【お母さん、それイヤだな】
2:少しでも違和感を感じたら、止める
3:止める時の言葉が浮かばなければ、両手で子どもの肩に触れるだけでいい
4:どうしても違和感の正体が分からずに言葉が浮かばない時は【お母さん、それイヤだな】
そう、とにかく【お母さん、それイヤだな】を伝えられれば、すでに注意の7~8割は目的を遂げているし、子どもたちの判断材料も与えてあげられていると言っていい。
夫の見解、妻の反応
妻の表情は明るい。それはそうだろう。結婚以前からの重荷の理由も解明出来たのかもしれないのだから。書き上げたルールの紙を、それがまるでマイホームの設計図であるかのような、希望に満ちた目で見つめる妻。
そして、私は妻に以前から思っていた言葉を伝えた。
私『おそらく君もアスペルガー症候群だろうと思っているよ』
妻は照れくさそうにうなずいた。
妻『うん。娘のこと分かれば分かるほど、そうなのかなって思ってた』
私は安堵と悲しみと絶望とが同時に込み上げてくるのを感じた。
闘っているものの正体。この闘いが長期化すること。が同時に明確化されたのだから。
そして───。
場合によってはとてつもなく孤独な闘いになること。それも理解した。
場合によってはとてつもなく孤独な闘いになること。それも理解した。
私がこれから歩むのは、時には誰も味方のいない時期の点在する人生になるのだと、妻の笑顔がそう言っているように思えた。
【つづき】⇒アスペ妻の記録~娘との決闘~
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