4歳くらいまでは長男にも見られたことだが、娘はどこか人の善意や優しさなどに対して、打算的とも取れる行動を取る。
もちろん道徳や空気を読んで社会性を合わせたり、どういうものが人の好意であるか、それをどう受け止めるかは、幼い子供では経験が浅く理解できないのはよくあること。
例えば以前、保育所で起こった事で、報告を受けた内容はこうだった。
みんなでドッジボールを始めたら、娘は外野を嫌がり、その場で寝転んだまま参加しようとしなかった。しかし、ボールが近くに転がってくると、突然それを取りたがり、他の子に取られたことでへそを曲げ、泣きだした。
周囲の子は娘に対して【かわいそうだ】とボールを回す。本人はそれを当たり前のように受け取り、投げてはまたボールを要求する。
ちょうどクラスメートの間では、【おともだちに優しくする】のが流行っていて、何かを与えたり譲ったりする度に、先生もまたそれを伸ばそうと褒めていた。ほとんどの子はその【おともだちに優しくする】に夢中になり、ボールを取るなり娘に回していた。
しかし、中にはそれに違和感を憶え、『せんせい、どうして娘ちゃんはちゃんとやらなかったのに、ボールをわたさなきゃいけないの!』と怒りだす子が出てきた。
彼らの意見には耳を一切貸さず、娘は聞こえていないふりを続けていた。
たまたま先生も会議で【おともだちに優しくする】のを伸ばそう、【譲り合いの心を伸ばそう】と進めていたので、その対応に揺れていたという。
その日の夕食後、娘にその話をし、“怒りだした子達は、どうして怒っていたのか分かるか”と尋ねてみた。
娘『わたしばっかりボールをもらって、ずるいっておもったから』
私『その時、君はどんな気持ちだったかな。いい気持ち? 嫌な気持ち?』
娘『いいきもち』
私『どうして?』
娘『みんながボールをくれたから』
■今だから分かること
ぱっと見、非常に利己的で人の気持ちを考えていないように見えます。一般的にはこういう時、どういう行動をとれば子供像としてしっくりくるかと問われれば、【好意に自分の行動を省みて、気まずい思いをする】と言う感じではないでしょうか。
気まずく思うから、次回からやるならちゃんと参加しようとか、修正をかけていくための踏みとどまりになるからです。娘のこういう時に感じる【危うさ】は、私からの質問に対しても一切の疑問を持たず、やはり前後関係なくそのまま答え、あっけらかんとしている点です。
こういった状況にも、本当はどういう認知の流れがあったのかを分解していくと、思いの外、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)としての特性や性質が関わっているように思えてきます。
彼女はこの時、利己的な考えのもと、利用していたのかといえば、100%ではなかったと思います。おそらく、そこらの因果関係や気まずさなどに及ぶ前の、超表面的な【ボールがもらえて嬉しい】で止まっていたと思います。
周りで怒る子が出てきた時も、分かっていたのに聞こえていないようなフリをしていたのは、こう考えていたからではないでしょうか。
【みんながくれるんだから、しかたがないじゃない】
これをもう少し深く読み取ってみる
本人も認識はしていないでしょうし、理論的に繋がっていないと思うので、ここからはあくまで私のカンです。
娘は最初、コートの中でプレイするのがメインで、外野に対してあまりいい印象を持っていなかった。だから最初に【はずされた】ように感じ、参加に対して不快感を表した。
しかし、目の前にボールが来た時、【とれそうだ】と閃いた事と、視覚的な強い情報で一気に【とりたい!】に思考がジャンプ。前後もルールも関係なく、頭の中は【ボールをとる】一色になってしまった。
結局それを他の子に取られたことで、再度【思い通りにならなかった不快感】に支配され、泣き出す(視覚的にも、自分の物と根拠なく思い込んだボールが奪われ、遠くに放り投げられた格好だし)。
それを受けて周囲の子達が【かわいそうだ】とボールを回す。
想いはボールに奪われていたので、そのショックは埋まり、今度は人に向かって投げる興奮に夢中になる。この時、ドッジボールのルールや醍醐味は完全に意識から抜けていて、外野から中に入れるなどの地続きの可能性などは一切抜けている。
自分がボールをもらうことで、怒りだした子達にも気がついているが、そこでの具体的な対応は分からず、しかし、ボールを貰うことは【楽しい刺激】なので断る必要も感じなかったため、状況を受け止めない様にしていた。
この時、ルールなどと同じく、人間関係にも地続きの可能性がある事を忘れている。【仲いい⇒仲悪くなる】など。
彼女の意識はボールに向けられ、普段仲良くしている子達の抗議も、今の状況の一要素(部屋の壁紙くらいの位置)程度として意識問題から遠くなっていた。ストレートに言えば、彼らの抗議に【困った】事だろう。
善意が通じなくなる時
では普段から彼女はこういった行動ばかりなのかといえば、実はそうでもなく、このパターンに向かう理由も見えてきています。
感情が揺れ動いた直後もしくは最中。また、一つのことに心奪われていて、そこで与えられた善意の提案が、“渡りに船”で実行できる事が全てになっている状態に見られます。
こういう時は著しくメモリが損失していて、前後関係などを読み取る働きが、全くと言っていいほど機能しなくなっています。
結果的に対応が【道徳】や【通念】など、人によって異なる『こうするものだろう』と言った曖昧なルールより、【出来る・出来ない】【やりたい・やりたくない】【受け入れる・受け入れない】などの両極思考に傾いています。
さらに【こうすれば、こうなる】という最も分かりやすい反応に、唯一実感を少しだけ感じられ、その些細な刺激に集中していく事で、他の事が余計に目にはいらない視界の狭い状態になっています。
つまり、何らかのパニックを引きずっていて、一日中~数日パニックに呑まれているような状態(体調不良・感覚過敏・疲労感・緊張など)に陥れば、視界に入るものに心奪われれば飛びつき、上記のような状況に何度でもはまっていく可能性があります。
対応
【道徳】や【通念】などではなく、【ルール】として、迷いようのない明確な線を引いていきます。
・ダメなものはダメ
・こういう時は~~だから、やりたくても断る
・このやり方では、相手は~~と感じてケンカになる
・こういう時はこうする
・こういうのは、やらなくても、結局はやることになるからやる
特に我慢耐性が弱く、親が目を離せば平気でルールを破るタイプだった娘の場合、こうして明確にしていったルールに関しては、癇癪を起こそうが、唸ろうが、呪詛を浴びせてこようが聞き入れさせ、従えた時にはそれに従った事が正解であると再度短い言葉で確認をしました(優しい声でやると、褒めているようにも見える)。
褒める時に【いいこだね・えらいね】などの人間性を引き合いに出してしまうと、次にルールを破った時に激しい自責になりかねないので、あくまでルールの正当性とそれに従った事を実感させるために“確認”する感じです。
【褒める】よりも【認める】ということでしょうか。
ちなみに最初からルールへの感情的抵抗を必要以上にみせたり、反対意見の主張に偏っている時は、純粋にその項目を【やりたい・やりたくない】ではなく、最初に彼女が発想した意見と【異なる】ために、内容の吟味なく反射的に否定していることが多いのも特徴です(本人は表面思考でその心の動きは自覚できていないことが多い)。
この場合、何かしら実際に触れることで、今までの感情的な行動が嘘のように消えることがあります。否定するのも肯定するのも自由ですが、どちらにしろ何らかの【納得】がない限り、反抗した感情だけが残ったり、【こうすれば、こうなる】という選択になってしまう原因になります。
この【納得】が勝負どころだったりします。
ちなみにこの時の対応
まず、紙にドッジボールのコートと、そこに参加している人間を、内野・外野・味方・敵と描き、ひと通りドッジボールの説明から入りました。
ボールをぶつけらたら外野に出るけど、一生外野じゃなくて、敵にボールを当てれば中に入れる。内野が主役みたいに見えるけど、ボールが当たればいつだって外野だし、外野がいなければ内野だけではボールを回しあえない。
どこからスタートするかは関係ない。それにボールが取りたいとかそんなんじゃなくて、外野にいたら外野の仕事、内野にいたら内野の仕事をやらなければ、ゲームにはならない。
その上で、彼女の取った行動を、再度本人に説明させ、ルールとの相違点を確認させました。
外野にさせられてイヤだったのも、ボールが取れなかったのも、みんなに優しくされて起こる人が出てきたのも、他の誰かが悪かったのではなく、【ルールを忘れた自分が悪い】とハッキリと教えました。
また、私は私の意見として
『遊びのルールを崩してまで、ボールを渡そうとした子達も、お父さんは正しいとは思わない。優しくするのは誰かに褒められたり、自分が満足するためのものではないから。
そう言う優しさは喜んで受けるものではない。仕方なしに受けるもの。ルールが歪んでいるのだから、不快に思う人は必ず他に出てくる。
その時は断るものだ。“自分だけじゃ、悪いから”と。
本当に正しいのは、みんながそうなっちゃってる時に、しっかりと正しいルールとやり方を知っていて、怒れた子達じゃないか』
と、伝えました。
そして、もうひとつ
『今までは周りのお友達も幼かったから許されてきたけど、これからはみんなどんどんお兄さん・お姉さんになるから、今回みたいに正しいことに気がつく子達が増えていく。自分が【間違ってる】と言われたくないのなら、まずはちゃんとルールを覚えなさい』
とも。一度で変わることはないでしょう。しかし、ひとつの論点でしっかりと納得し、自分の中に落とし込めるようになるまでは何度でも繰り返す必要があります。
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